腕の重み
人は、強いから立っているわけじゃない。
ただ、止まることができないだけなのかもしれない。
止まってしまったら、崩れてしまうものもある。
だから皆、何もない顔で歩き続ける。
――けれどもし、
ほんの少しだけ立ち止まれる場所があるのなら。
その時間は、きっと
誰かの人生を、少しだけ救う。
目が覚めた瞬間、腕の重みに気づいた。
息が止まる。
隣に――タシト隊長がいた。
静かな寝息。
こんな顔、誰が知っているだろう。
そこにいたのは――ただの「青年」だった。
「ひゃっ……!」
慌てすぎて、カナタはベッドから転げ落ちた。
その気配に、タシトがゆっくりと目を開けた。
表情はほとんど変わらない。けれど、その声だけが、わずかに温度を帯びていた。
「……あ。おはよう」
――おはよう!?
カナタの顔に熱が一気に上る。
自分は昨日のままの服。
けれどタシトは、上半身裸で――視線の置き場に困る。
どうしてこうなったのか。
――そうだ。私が抱きしめたまま、安心して寝てしまったんだ。
床に落ちていないということは、
タシト隊長が、とっさに起きて抱き抱えてくれたのだろう。
ふがいなさに、カナタは耳まで赤くなった。
しばらく、タシトはぼんやりと両手を見つめていた。その腕には、いくつものリングが微かに脈打つように光っている。
ふと、リングの数に目がいくカナタ。
息を飲む。
数え終わる前に、タシトはふとこちらを見た。
ドキッとするカナタ。
その時――タシトは、指を確かめるように動かし小さく息をはいた。
「……夢じゃない」
ただ、その声の震えだけが胸に刺さる。
次の瞬間、タシトは顔を両手で覆った。
肩が――小さく揺れた。
「……このままで、よかった」
そう呟いてから、
すぐに自分を戒めるように息を吐いた。
「え……どうされたのですか?」
胸がざわついて、カナタは思わず近寄った。
タシトはゆっくり息を整え、
いつもの――冷静な仮面をかぶりなおした表情で言った。
「問題ない」
声は整っている。
でも――どこか、遠かった。
スーツに着替えると、腕のリングはすぐに隠れてしまった。
タシトは、無言でリビングへ向かう。
「あ! 朝ごはん作りますね!」
カナタは慌てて追いかける。
「カフェオレでいい?座ってろ」タシトは、迷いなくコーヒーマシンを操作し、二人分のカフェオレを淹れた。
サンドイッチが常温レンジで一瞬でフレッシュに解凍される。その手つきは、あまりにも手慣れていた。
――いつも、こうしてひとりで済ませてるんだ。
カナタの出る幕はなかった。
「すみません……ありがとうございます」
「今日は、戻らない。
だけど……気にしなくていい」
「あ……はい」
「私は君の上官でもある。だから私には気を遣うな」
そう短く告げると、タシトは出ていった。
「……気を遣う?
どういう意味なんだろう」
部下なら上司に気を遣うのが通例だと思っていたが、タシト隊長の場合、違ったのかもしれない。
静まり返った部屋に、
温かいカフェオレの湯気だけが残った。
カナタは思う。
少しだけ――
タシト隊長のことが分かった気がした。
強い人だと思っていた。
遠い人だと思っていた。
でも、本当は。
“止まったとき”にだけ、
あの人は、ようやく呼吸できるのかもしれない。
何となく、そう思った。
それだけで、
胸の奥が、少し痛んだ。
(第四十六章・了)




