表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
45/50

ポトフ

ビルの前でケティオスと別れ、

カナタは気合いを入れてキッチンに立つ。


「ジャガイモは、皮をむいて……」

キッチン横のモニターの案内に沿いながら、作り出す。


「あれこの包丁、刃が丸い。しかもガラスのよう。……こんなんで切れるのかな」包丁の柄にあるスイッチを押した。

刃が光った。


「あ!伸びた。へぇ」


感心しながら台所用品を使うカナタ。最大値ボタンを押した。近くにあった花瓶に刺さる。花瓶は砕け散った。

「これ完全に凶器だね……」


キッチンの戸棚から、普通の小さい包丁に変えた。


「にんじん……皮、むいた方がいいのかな。

……いいや、そのままで」

カナタは、料理というより力業で食材をさばいていった。


「料理って楽しいな」


カナタは、大きな独り言を呟いていた。


「あ!」カットしようとした玉ねぎが床に落ちてしまった。


「体ばっかり鍛えてないで、もっとこういうことしとけば良かったかな……」


悪戦苦闘の末に、ようやくそれらしいものが出来上がってきた。


ポトフらしいものは、すぐに温かい香りを満たした。


ほどなくチャイムが鳴る。


「……自分の家、なのに」

少し可笑しくて、でも胸が締めつけられる。


「まずかったら……怒られるかな」

半分冗談で、ひとりごとのように笑った。


扉を開けると、タシトが立っていた。


「遅くなった」


靴を脱ぎ、控えめに上がってくる。

空白を埋めるような気配が、

やけに現実味を帯びて胸に迫る。


「遅くなった、じゃないですよ……遅すぎです」

勢いで、冗談めかして言ってしまった。

――それは、どこか家族みたいで。


タシトは、一瞬だけ目を丸くする。

それから何事もなかったかのように椅子へ向かった。


――あ、ちょっと恥ずかしい。


カナタは慌てて器にポトフをよそい、

そっと差し出す。


「どうぞ」


テーブルに置かれたポトフは、

驚くほど綺麗に仕上がっていた。


カナタは、少しだけ胸を張る。


「……ありがとう」


向かい合って食卓につく。

二人のあいだに静けさが落ちる。


ふと、タシトの食べ方が目に入った。

丁寧で、静かで、育ちの良さを感じさせる所作。


(戦場の人なのに……)


その仕草のどこかに、なぜか

エルナスを思わせる影が重なった。


食べ終えると、カナタは静かに口を開いた。

「今日は少し、タシト隊長のこと、教えてください。何も知らないなんて、可笑しいです。例え嘘の婚約者でも」


真正面からタシトを見る。四年前に出会った人。あの頃より、ずっと大人になっている。


「どんなこと?」


「えっと……家族構成とか、出身地とか。好きな食べ物でも」

スムーズにいかない会話に、どこかで気を悪くしないかと胸が騒ぐ。


「家族構成は、私一人。父も母も死んでいる。出身はコロニールミナリア。つまりここだ」


「……」

それは、カナタとよく似た境遇だった。

父は生きているとはいえ、拒絶されている。


——ひとりで生きてきたのは、

この人も同じなのかもしれない。


カナタは、少しだけ親近感を覚えた。


「それから、好きな食べ物はポトフだ。……今日、決まった」

淡々とした声だった。


言葉のあと、

タシトはほんのわずか、横に視線を落とした。


その横顔を見たとき、

胸の奥が、少しだけ痛んだ。


私には、ユウナギがいた。

ずっと一緒にいて、

ひとりじゃないと教えてくれた人がいた。


けれど、タシト隊長はどうだろう。


――ずっと、


その後ろに隠れている孤独の年月が、

確かに聞こえた気がして――


カナタの目から、涙がひと粒、落ちた。


「ポトフ、気に入ってもらえたなら、よかったです」


「おいしいよ。すごく」


感情を表に出さないタシト隊長が、

こんなふうに言葉をくれるなんて思わなかった。


――今、少しだけ

家族みたいだと思った。


タシトの「私一人」という言葉が、

胸の奥に残っていた。


この人は、誰にも「おかえり」と言われずに

生きてきたのだろうか。


そう思った瞬間、

胸の奥が、強く締めつけられた。


「……抱きしめても、いいですか」


カナタの口から漏れた言葉は、自然な感情だった。


返事を待つ一瞬が、ひどく長く感じられた。


カナタは、はっと我に返った。

——言い過ぎた。

頬がみるみる熱くなっていく。


「いいよ」


「え?」


「抱きしめてもいいよ」


短く返された言葉に背中を押され、戸惑いながらも、カナタはそっとタシトを抱きしめた。


タシトは、抵抗しなかった。

むしろ――

わずかに、力が抜けた気がした。


(あ……)


その重みが、腕に伝わる。


「……え?」


覗き込むと、

タシトは静かに目を閉じていた。


思っていたより温かい。


――そうだ、ちゃんと人間なんだ。誰かの子供で、生きてきた人なんだ。


そんな当たり前のことが、

今さらのように胸に迫った。


私は、人から抱きしめられたことがあっただろうか。

父と母の影が、ふと頭をよぎる。


この温もりは、精神療法の資料で見たことしかない。抱きしめる方にも効果があるのかな。


「……え?寝てる?」


腕の中で、

タシトは静かに眠っていた。


その呼吸は、驚くほど穏やかだった。

腕の中の重みが、なぜか少しだけ切なかった。



(第四十五章・了)


人は、安心できる場所でしか眠れない。

どれだけ強い人でも、


どれだけ一人で生きてきた人でも、

心が休まる場所がなければ、

本当の意味で眠ることはできない。


その日、

二人は少しだけ、

同じ場所に帰る人になった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ