ヒーロー
視線を上げると、そこにカナタが立っていた。
肩で息をする様子もなく、ただ真っ直ぐにこちらを見ている。
次の瞬間だった。
上級生の一人が、吹き飛ばされた。
「!」
「いてててて……」尻餅をつき、鼻を抑えていた。
拳が振り上げられたのを、誰もはっきりとは見ていない。
あまりにも、一瞬だった。
「このガキ!!ふざけやがって」
遅れて、怒声と拳が返ってくる。
カナタは避けない。
真正面から受け止め、絡み合うように前に出た。
激しい殴り合いだった。
無様で、乱暴で、洗練とは程遠い。
髪は乱れ、制服は引き裂かれ、膝から血が滲む。
それでも、カナタは引かなかった。
やがて、一人、また一人と後ずさりする。
泣きながら逃げ出す者が現れ、
それを合図に、残りも散っていった。
静けさが戻る。
「一緒に水やりするって言ったでしょ」
カナタはユウナギの頬を掴んだ。
真っ直ぐで、乱暴で、それでも温かい手だった。
「……花壇ぐちゃぐちゃになっちゃったね。守れなくてごめんね」カナタは、花壇の苗にそっと手を置くと小さく呟いた。
「無力なものに力をぶつけるなんて、ダサすぎる」
その瞳は、限りなく澄んでいた。
ミラとの口喧嘩も、いつも見ていた。
仲がいいのか悪いのか、よく分からない。
でも――いつもカナタが一枚上手だった。
あの頃の自分にとって、カナタは憧れだった。
ヒーローのようで、
それでいて、遠い光のようで。
いつか、自分もあの隣に立てると、疑いもしなかった。
……あの日までは。
ルミナリア研究区の大規模爆発事故。
全てが変わった。
記憶がない。
力がない。
意志さえも、どこかに置き去りにされていた。
「また、一からやり直せる」と思っていた。
なのに、カナタを見るたび、胸が締めつけられる。
そんな時、タシトが突然現れた。
スコーラオとの戦い。
繰り広げられる激しい戦闘。
目の前で怯えるカナタ。
なぜか確信した。
――カナタを守れるのは、自分しかいない、と。
守られる存在だった自分が、
いつの間にか“守る側”へと立っている――
その実感に、身体が震えた。
だけど、目の前で繰り広げられる“本物の力”は、あまりにも遠かった。
だからあの日以来ずっと考えていた。
自分は戦えない。なら――作ればいい。
研究者になって、力を生み出す側に回ればいい。
幾度もそう夢を見続けた。
それは、自分の心の中での話だった。
タシトが知るはずもない――はずだった。
『ユウナギ、研究者になりたいんだろ。
嫌なら、辞めろ』
タシトの声が頭に響く。
これも、何かの能力か――
ユウナギは小さく頭を振った。
だけど――カナタの傍を、離れたくなくて、
ここまで走ってきたんだ。
訓練を終えたあと、
ユウナギは気づけば川原に来ていた。
夜の風だけが、静かに胸の奥を撫でていく。
今、思い浮かべているのは――
あの日のヒーローではない。
“今のカナタ”だ。
その姿を考えるたびに、胸の奥が静かに沈んでいく。
「……こんなんじゃだめだ。
カナタに思いを伝えよう」
その一歩を、ようやく踏み出そうとしていた。
(第三十九章・了)




