遠いもの
変わらない日常は、
いつの間にか、誰かを置いて進んでいく。
その距離に、名前はまだないのかもしれない。
「ミルル、最近パンやたら食うな」
ソードがミルルのトレーを覗き込む。
「一個ちょうだい」
いつもと変わらない声。
変わらないやり取り。
だから余計に――胸の奥が痛かった。
食堂から買い出しで教室に戻る。
いつもの景色。
だけど、もう“いつもの”じゃない。
ユウナギは、相変わらずカナタの横にいる。
それが、もう当たり前みたいに見えてしまう。
「……私、ユウナギみたいになれない」
誰にも届かない、小さな声。
置いていかれているのは、きっと自分だけだ。
そう思った瞬間、
ミルルは手元のパンを見つめた。
ただのパンなのに――
ひどく遠いものみたいに見えた。
―――回想。
「父さんが、敵役するからミルルは攻撃頼む」
「わかった!強いヒーローになるね」
幼い頃のミルルは、
自分がAttackかDefenceかも知らずに――父と架空の世界で悪い敵を倒していた。
客観的に自分を見つめられるようになった頃、
父が怪我をして帰ってきた。
なのに、とても興奮していた。
アレイシア波動生体研究局での倒壊事故。
まるで、世紀のヒーローを見たかのように。
「凄い少年が、光と共に現れて、研究者と闘うんだ!」
父が修理工として派遣されていた。隣接した向かいのロビーで見ていたのだ。
少年がヒーローなのか、
研究者がヒーローなのか、
——よく分からなかった。
ただ父は興奮して、写真を撮った。
だが、誰も信じなかった。光と煙しか写っていなかったからだ。その後、ニュースになることもなかった。
父は、嘘つき呼ばわりされた。
父の汚名を返上するために、
彼があれほど心を揺さぶられたヒーローに、
私もなりたいと思って走ってきた。
結果はDefenceのレベル六だった。十二歳の冬に聞いた。
それでも人口の二%、自身が誇りだった。
――でも、あの優しい父が
「何でDefence 何だ?」と言った。
十六歳の特殊部隊生になって、目の前にタシト隊長が現れた。
父に言ってやりたい。
本当のヒーローは、こう言う人を言うんだと。
タシト隊長は、私にとって圧倒的に冷静で強かった。
―――
パンをのせたトレーに、涙がこぼれ落ちる。
気づかれないように、ミルルは、パンをずらして隠した。
*
薄暗い会議室。
カーテンの隙間から見える軍の車列。
夜の滑走路には、降り立つ航空機のライトが連なっていた。
「――タシトは危険すぎる」
「軍事均衡を崩しかねない。特殊部隊を、あいつの独断で動かせるようにしていいはずがない」
「連中は……歩く凶器だ」
「惑星グランディアと一枚噛んでいる可能性もある」
低く抑えた声が、いくつも重なる。
机の上には分厚いファイル。
そして、その上に置かれた一枚の報告書――
『内部より提供・極秘情報』
――誰かが、告げたのだ。
それだけが、否応なく真実としてそこにあった。
*
今日も校門前には迎えに来る。
黒い車が止まる。
ケティオスが黒いスーツを身にまとい、
鋭く静かに、運転席から出てきた。
特殊メガネをかけていて、
どこを見ているかわからない。
帰宅する生徒たちは、視線を向けるでもなく、
それでも無意識に歩調を落としていた。
「要人の迎えかな?」「何か怖いね」
ユウナギは、カナタの隣出歩く。
「毎日、お迎えくるんだね」
「そうなの。何かやたらと大げさだよね」
カナタは、無理にはにかみ、苦笑いを浮かべた。
ユウナギと別れ、カナタは車に乗り込む。
車内には、今日も変わらない静寂が満ちていた。
それは、もう一週間続いている日常。
けれど――胸の奥だけは、まったく慣れない。
「……ケティオスさんって、ただの運転手じゃないですよね」 カナタは、思い切って声をかけた。
「ええ。特殊部隊付きの護衛です」
いつもの落ち着いた声。
「やっぱり。強そうだなと思ったんです」
「ありがとうございます。……一応、現場にも出ます」
「そうですか」
「……」
カナタにとって、精一杯の会話。
新しい生活は未だ馴染めなかった。
(第三十七章・了)
それでも、
誰かのために温かいものを
作ろうと思えたなら――
きっと、まだ戻れる場所がある。




