羽音の中で
告げられた事実は、
誰の心にも、まだ馴染んでいなかった。
言葉を飲み込んだまま、
感情だけが行き場を失う。
そして、考える暇も与えられないまま――
現実は、次の局面へと動き出す。
「……ごめん」
その答えが、全てだった。
静まり返る訓練施設。
ユウナギの胸が、勝手にざわつく。
いつ、どこで――
そんな状況になったのか?
走馬灯のように過去の記憶がフラッシュバックする。
四年前のあの日――
タシトが中庭に突然現れ、カナタを抱き締めた瞬間。
……いや、先週かもしれない。
衛星メア・フェールでの班分け。
峡谷での出来事。
カナタは、頭痛で動けずタシトに抱えられていたと言っていた。
頬に、何かが伝った。
自分でも、その流れを止められなかった。
「ユウナギ……泣いてるの?」
ミルルが側に寄ってきて、はっとする。
そんな、わけがない。俺はずっとカナタを見てきた。
きっと、何か理由があるはずだ。
「俺が泣く? 笑わせるな」
ユウナギは、自然に微笑んで応える。
「あ、すみません、タシト隊長」
その時、プラス先生がそっと割って入った。
「今日の訓練は私が引き受けます。
生徒の心が乱れていては、せっかくの講義も、馬の耳に念仏ですから」
「その必要はありません。どんな精神状態でも、前に進むしかありません」
タシトはそうきっぱり言うと、プラス先生を退出させた。
皆は息を飲む。
「やっぱり、殺される……」
どこからか、小さく呟きが聞こえた。
「勘違いするな。 むやみに前に進めとは言っていない」
タシトは周囲を鋭く見渡し、諭すように声を落とす。
そして講義を始めた。
「戦いでは怒りが己を失わせ、同時に力をも与える。一度、その状態を受け止め――その感情のエネルギーを利用する」
タシトは指を弾いた。瞬間、赤く輝くシャインスフィアが現れ、宙に浮かぶと静かに青へと色を変えた。
どよめきが微かに起こる。
一方、列の隅ではバーチが毒づく。
「あれが二歳年下だなんて誰が信じる? どんな人生歩んできたんだよ!」
「しかも、とっとと婚約までしちまって……」
「そこだろ?気にしてるの」
ソードが舌を出して笑う。
「お前もだろ!」
「俺はいる、違う学校だけどな」
「え!? そうなの?」
しゅんと縮こまるバーチ。
何かマウントを取られた気分だった。
「外でやれ。今は放課後ではない」
後ろに立つタシトの声が響く。
ひっ――
空気が、一気に引き締まった。
それ以降、誰も無駄口を叩かなかった。
――。
更衣室。
シャワーの音だけが、静かに響いている。
誰も、ユウナギに話しかけない。
「シャド、シャンプー貸してくれない?これ空なんだ……」
いつもと変わらない声で、ユウナギが言った。
「あ、いいよ」
隣のシャワールームから、設置用のシャンプーが手探りで差し出される。
「サンキュー」
しばらく、湯の音だけが続いた。
誰も、その話題には触れなかった。
「……なぁ、ユウナギ」
シャドが、少しだけためらってから声を出す。
「今日、一緒に帰らない?」
意外だった。
――たぶん、今まで一度も、シャドから誘われたことはない。
「お、初めてじゃん、シャドからなんて」
ユウナギは笑う。
「今日は一人で帰りたい気分だったけど……
まぁ、こんなチャンスないよな」
その笑い声が、ほんの少しだけ、空元気に聞こえた。
バーチとソードは、顔を見合わせる。
「……そこまで好きじゃなかったんじゃね?」
ソードが小声で言う。
「どうだろな」
バーチはぼそっと返し、ふとソードの背中を見る。
「てか、お前またタトゥー増えてね? これ」
バンッ。
「いってぇ!! 殺すぞ!!!」
ソードが叫び、周りの空気が少しだけ和んだ。
髪から落ちる水滴が、床に小さな音を立てる。
ユウナギは、胸の奥に残るざわめきを、
笑顔の裏に押し込めたまま、シャワーを浴び続けていた。
――その直後だった。
警報が鳴る。
ジリリリ――
事件発生時に鳴らされる、徴集の合図だ。
「まじか!? こんな時に、初出動かよ」ソードは、濡れた頭を振った。
慌ただしくタオルで拭い、特殊スーツに袖を通すユウナギたち。
手首のリングが光り、プラス先生から通信が入った。
「徴集だ。特殊部隊候補生は、速やかにA1ヘリポートへ集合しろ」
ユウナギたちは、校内に隣接するヘリポートへと走り出す。
心がまだ追い付かない。
◇
立て籠り事件。
五十二階建てのタワーマンション、その四十八階部分で、犯人は人質を取って立て籠もっていた。
現場に到着した特殊部隊一行は、ヘリコプターから次々と屋上へ着地する。
地上では、警察と別部隊がすでに包囲を始めていた。
「うひょー、瞬殺してやるぜ!」
ソードは回転しながら降下し、屋上に膝をつく。
「勝手に行くなよ」 バーチが低く嗜める。
「ミラ、予定通りだ。人質を確認次第、ベランダ側からフィールドを展開しろ」
プラスの指示が飛ぶ。
「了解」
ミラは短く応え、屋上から降下用ワイヤーを伝って移動した。
地上では――
「特殊部隊様のお出ましだな」 軍関係者の誰かが、皮肉めいた調子で呟く。
「私語を慎め! 任務に集中しろ!」
上官の怒声が、現場に緊張を走らせた。
地上では人だかりができ、規制線の向こうでざわめきが渦を巻いている。
リングが光った。
「ユウナギはヘリに残れ」
「……了解」
「シャドとソードは四十九階から進入。合図で、犯人直上の床を破壊し、即座に拘束しろ」
「了解!」
シャドとソードは額に装着した熱感知ゴーグルを下ろす。
視界が赤と青の輪郭に切り替わった。
ビルの窓越しに、怯えた影が一瞬見えた。
『プラス先生。人質、四名を確認しました』
ミラの通信が、静かに入る。
「シャドは扉側から進入、ソードの援護に入れ」
『了解』
短いやり取りの裏で、全員が呼吸を揃える。
作戦は、すでに始まっていた。
けれど――
ユウナギは、ひとり取り残されたように、
ヘリコプターの羽の回転音を、胸の奥で受け止めていた。
(第三十一章・了)
回り始めたローターの音が、空気を震わせる。
それは、迷いも感情も置き去りにして、前へ進めと命じる合図だった。
個人的な痛みを抱えたまま、
彼らは“任務”という名の現在へ引き戻される。
羽音の中で、
まだ誰も、自分の心を振り返る余裕はない。




