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届かぬ距離

医務室の扉を叩く音がした。

今日も迎えが来る

――ただし、これは普段の習慣ではない。

体は元気でも、心はまだ昨日の戦いの余韻で揺れていた。


医務室の扉を叩く音がした。


「カナタ、いる?」

ユウナギだった。手にはカナタの鞄も持っている。


「大丈夫?」


「……うん。ありがとう。もう大丈夫」


ユウナギがベッドの側まで来る。

「帰ろう」


静かに掛け布団を畳もうと伸びたユウナギの手を、

カナタはそっと握った。


「え?」

ユウナギは目を見開く。

今まで一度も、カナタからこうして“意味を持った手”を握られたことはなかった。

ほんの僅かに、頬が赤くなる。


「あの……ユウナギ」


「な、何?」

緊張が声に滲んだ。


「私ね、タシト隊長と――」


カラン。

鞄から、ウサギのキーホルダーが転がり落ちた。


「あ、危な。カナタの宝物、失くすとこだった」

ユウナギは笑いながら拾い上げ、元の場所に付け直す。

「ごめん、何?」


「…………何でもない」


カナタは首を振った。

こんな時まで、ユウナギはいつも通り優しかった。

それが、今はただ苦しくて。


握っていた手だけが、名残惜しそうに震えていた。

いつもと変わらないユウナギの優しさが、今は胸に刺さる。


「カナタ、大丈夫?」


遅れてミラが入ってきた。

「休日の疲れが出たのかな」


ミラは戴冠式の話が聞きたかったが、カナタの顔色を見て言葉を飲み込んだ。


「タシト隊長って、よくわからない人だよね」


「どういうこと?」ユウナギがふと聞き返す。


「だって、医務室ならプラス先生や私で運べるのに。なんで“隊長の彼”が真っ先に動くのかなって……。――何か、されなかった?」


ミラの勘は、遠く外れてはいなかった。


「……え、うん」


「ほんと怖いよね、あの人。何考えてるか全然読めない。そのくせ、とんでもない力を秘めてるし……」


ミラは、補給ステーションで見た破壊の光景を思い出して身震いした。


「ミルルなんか、のぼせ上がってるけど……。

ユウナギ班だけじゃない? タシト隊長の“やばさ”をまだちゃんと見てないの」


少し間が空き。


ユウナギは静かに言った。


「そんなことない」


ミラが瞬きをする。


「前に話した、アレイシア波動生体研究局の件。

――スコーラオと戦った“あの少年”。」


ユウナギの声が低くなる。


「……ずっと引っかかってた。

“あの圧”と、“あの波”。

今日、はっきりした」


息を整え、言葉に変える。


「同じだ。

あれは、やっぱりタシト隊長だ」


ミラの顔色が変わる。


「嘘……! じゃあ、スコーラオさんに――」


「言えなかった」


ユウナギは即答した。


「スコーラオは危険すぎる。

関わったら、誰もただでは済まない。

たとえ確証がなくても――

俺たちは、踏み込んではいけない」


ミラは言葉を失う。


その会話を聞きながら――


カナタは息を呑んだ。


タシト隊長の背中が、また遠くなる。

婚約の“事実”だけでも追いつけないのに、

今度は“正体”まで。


胸の奥が、静かにきゅっと痛んだ。


ユウナギたちと別れて、カナタは家路につく。

玄関が、いつもより騒がしい。


「何か、あった?」


「ごめんね、カナタ」


母が出てきた。 その「ごめん」が、どこか軽い。作り物の響き。


「どうしたの?」


見ると、カナタの荷物がほとんど 玄関の外へとまとめられていた。


「え……? どういうこと?」


「それが―― タシト・レヴァント様が来られてね。 『必要なものだけをまとめておいてほしい』って」


母は、興奮を隠せない声で言った。


「あなたたち、婚約してたの?」


「……そ、そうよ」


声が、わずかに浮いた。


「軍の人なんでしょう?あのバッジ…… もう立場のある人よね?」 母は、ため息まじりに笑う。


「すごく、若いのに落ち着いた人だった。無愛想だけど……

なんていうのかな、安心できる、って感じ?」

――母の視線には、自然と信頼が滲んでいた。


――優しそう、ではなく。


“信じていいと思わせる人だった”。


それが母の感想。


その言葉が、胸にひっかかる。


優しい? 安心?


(……違う)


カナタの喉が、小さく鳴った。



母と、最後の食事を取る。


――また戻って来てね、なんて言葉はない。

もう、そういう関係ではないのだろう。

ようやく母の肩の荷がおりる。


一年間の婚約。いったい、何に意味があるのだろう。


心が通ったことは、一度もなかった。

それでも、ここまで育ててくれた母に、感謝だけはしよう。

そう思って、ひとくち、口に入れた。


しょっぱい味がした。

涙がこぼれていることに、遅れて気づいた。


――この涙は、どこから来るのだろう。


朝が来た。


まだ頭はぼんやりしていて、現実と夢の境を行ったり来たりしている。


今日もユウナギが迎えに来る――きっと、これが最後になる。

そう思いながら身支度を整え、登校の準備をした。

帰りは学校まで、“迎え”が来ると母は言っていた。


ビーッ。チャイムが鳴る。


玄関を開けると、そこにはいつもと変わらない、屈託のないユウナギの笑顔があった。


「行きしなにコロッケ買ってしまった」

ユウナギは笑って袋を差し出す。

「一緒に食べよう!」


食欲はなかったが、歩きながらふたりで分けて食べた。


「……ごめん」

カナタは、ふいに口を開いた。


「何が?」

ユウナギが振り返る。


「明日から迎えに来なくていいよ」


「え? 何? 怒ってるの?」


「ううん……寮で生活することにしたから」


――カナタは、ユウナギに初めて嘘をついた。 ――――――――――――



変わらず訓練施設の中央に、タシト隊長が立っていた。

訓練生たちは、その背を囲むように集まっていく。


「ああ、今日も後ろ姿カッコいい……」

ミルルがため息をつく。


「いつも後ろ姿だよな」

バーチが小さく笑った。


カナタの表情は、昨日以上に曇っていた。

ミラは一瞬だけ彼女を気にする――だが、タシトの声が場を切り替える。


「整列」


空気が一変した。


「今日は、“戦う意義”について意識してもらう」

タシトは静かに告げる。


「戦う、意義……?」

誰かが小さくつぶやいた。


「その前に、皆に伝えておかなければならないことがある」


タシトの視線が、まっすぐカナタへ向けられた。

列が、わずかに揺らぐ。


――消えてしまいたい。

カナタは、思わず目を伏せた。


「皆には黙っていたが――

私は、カナタ・アレイシアと婚約している。

これは事実であり、撤回はない」


「!!」


場に衝撃が走った。


「はぁああ!?」 バーチが叫び、慌てて両手で口をふさぐ。


一斉に視線がカナタへと集まる。

そして、そのままユウナギへ流れた。


「そ、そうなの? カナタ……」

ミラが震える声で言う。


「……冗談よね?」


「隊長、冗談言うタイプだった?」

シャドがぼそりと落とす。


視線が、自然とユウナギへ集まった。


ユウナギは、ゆっくりと振り向く。

その瞳は、まっすぐカナタを捉えていた。


「――どうなんだ、カナタ」


――その問いだけは、一番聞きたくなかった。

心臓がぎゅっとなる。




(第三十章・了)


訓練施設に立つ隊長の背中は、

変わらず圧倒的だった。


目の前にある“事実”と“問い”だけが、静かに残る。

それにどう応えるか

――答えはまだ、誰にもわからない。

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