静寂の選択
ただの訓練のはずだった。
だが、その場所は選択を強いる。
怖れと責任と、守りたいものを秤にかけながら──
静かに、運命が揺れ始める。
特殊訓練施設に場所を移す。
地下の白い壁に囲まれた、息をするだけで、緊張に変換されるような場所。
自動で床から、
所々に隠れることの出来る超合金の柱が出没する。
「チーム戦を行う。
班長はリングを完全制御しろ。――使えない状態だ。
要人警護を想定した指揮官役を兼ねる」
「ユウナギ、ミラ、カナタの三人だ」
円陣の中心に、タシトが立っていた。
まるで“そこだけ温度が低い”みたいに、空気が締め上げられている。
「後ろ姿もいい」ミルルは、囁く。
「カナタ班長は、レベルゼロだからちょうど良かったんじゃない?」
どこか、誰の声かもわからないのに、はっきり聞こえた。
カナタは、タシトを見る。
先ほどの出来事を全く感じさせない空気。淡々とルールを説明していた。
向かい側にいるプラス先生は、
目が定まっていない。明らかに動揺していた。
「大丈夫か?」隣にいるユウナギが、落ち着かないカナタを心配して聞いてきた。
「ユウナギ‥‥‥」
回想――
その声は、優しくもなかった。
事務所を出た後、
タシト隊長は私にだけ聞こえる声で言った。
それは、ただ冷たい刃みたいに耳元へ滑り込んだ。
『大事な者を守りたかったら、俺の言うとおりにしろ』
それは、命令でも忠告でもない。
――脅しだった。
――
カナタは、もう一度タシトを見た。タシトと目が合う。
ドキッと胸が鳴る。
それは、憧れなんかじゃない。――恐怖だ。
だがすぐさまタシトの瞳は他へいった。
「中心に立つ班長が“床に”手、もしくは膝を着いた時点で、その班は敗北とする」
「班長を守れ!」
スタートの合図が鳴るまでの短い時間、三つの班はそれぞれ円陣を組んで作戦を練り上げていた。
「カナタ班長! 聞いてる?」 「え? あ……ごめん」
カナタは、どこか上の空の返事をした。
「まぁ、要は――班長を守り切れば勝ちだ。細かい作戦は、俺らで組むから任せてくれ」 班の仲間がフォローするように言う。
それでも、胸の奥のざわめきは止まらない。
***
少し離れた場所。
ユウナギは、自分の班の輪の外側から、遠くのカナタ班を一瞬だけ見やった。
「どっちが先に仕掛けてくるかで動きは変わる。
ただ俺たちは“受けに回らない”。心理的に攻める」
淡々とした声で、しかし鋭い目つきで続ける。
「最初にミラ班を叩く。派手に行く。
――そうすればカナタ班は、必ず助けに来る。
そこで状況を巻き込んで主導権を取る」
班員たちは黙って頷いた。
***
ミラは、班員たちをぐっと近づけるようにして円陣を狭めた。
声を外に漏らさないように、ひどく静かに言う。
「先にカナタ班を潰す。
あそこは、もう統率が崩れてるはず」
そこで一瞬、目が細くなる。
「――それに、ユウナギは“攻める側”だよ。
守りに徹するなんて、絶対にしない」
班員たちがわずかに息をのむ。
「だから、迷ってる班から落とす。
考える前に、先に“現場”を取る。
スピード勝負。容赦はしない」
静かに、それでも力強く全員が頷いた。
***
――始まりのベルが鳴った。
空気が切り替わる。
ドン!
次の瞬間、カナタの視界が揺れた。胸の奥が強く締めつけられ、足が勝手に折れる。
膝が床を叩く硬い音が響いた。
「え、班長!?」「まさか…!」
カナタ班の士気が一瞬で崩れ落ちる。
ユウナギ班は即座に動いた。
シャインスフィアが砕け、複数の細い軌道へと枝分かれし、仲間たちが連携して撃ち込む。
眩い光がミラ班のシールドに叩きつけられ、火花のように拡散した。
「来るって分かってたわよ!」
ミラは叫び、仲間に指示を飛ばす。
形勢は拮抗したかに見えた。
だが、ミラのわずかな意識が“カナタ”へ向いた、その一瞬――
ユウナギ班の一人の攻撃が角度を変え、シールドの継ぎ目を正確に撃ち抜いた。
シールドが悲鳴を上げるようにひび割れる。
「――っ!」
ミラの膝が床についた。
決着は、思っていたよりも静かだった。
その間にも、カナタの視界は揺れ続けていた。
耳の奥で、冷たい声が蘇る。
――『大事な者を守りたかったら、俺の言うとおりにしろ』
呼吸が、止まる。
「戦わないやつは、部下を全て見殺しにする」
タシトの低い声が目の前に落ちた。
カナタは震える声で絞り出す。
「た、戦わないといけないの…ですか…」
「当たり前だ」
その声は容赦がなかった。
「……もう、レベルもないのに戦いたくない!」
初めて、感情のまま声をぶつけた気がした。
その直後、限界が来たように身体が崩れ落ちる。
「カナタ!!」
ユウナギが駆け寄る。
タシトが淡々と告げた。
「心配ない。班長を変えて訓練を続けろ」
そして、崩れたカナタを抱き上げ、医務室へ向かっていく。
プラス先生は、ただその背中を見守るしかなかった。
――どれくらい時間が経ったのだろう。
視線の気配に、意識が水面へ浮かぶ。
ぼやけた天井。医務室の白。
ずっと、誰かに見られていた気がした。
目を開くと、そこにタシトがいた。
「……無理をさせて、悪かった」
第一声がそれだったことに、少しだけ意外に思う。
「……タシト隊長」
声が震える。まだ身体が完全には戻っていない。
タシトは、短く息をついてから言った。
「婚約の件だが――期間を設ける。一年。
その間は形式だけでいい。手は出さないと約束する」
ただ事務的で、なのに妙に丁寧で。
その言葉が余計に胸に重く落ちる。
「それと――この経緯は、他言無用だ」
「ユウナギにも?」
一瞬、タシトの視線が揺れた。
沈黙が落ちる。
そして、低く続ける。
「……もし、ユウナギがこの話を外に漏らしたら、
彼は“只では済まない”。そういう立場にいる」
冷たい現実をただ告げる声。
「だが――彼を信じられるなら、話してもいい。
おまえの判断に任せる」
カナタは、迷わなかった。
「……信じられます」
その一言に、タシトの瞳が、わずかに細められた。
感情とは呼べない、ほんの微かな反応。
「……わかった」
それだけ告げると、
静かな足音をたて出ていった。
――静寂。
医務室には、白い天井と、消えない鼓動の音だけが残された。
(第二十九章・了)
終わったのは訓練だけ。
終わらなかったのは心の揺れと、胸に残る選択の跡。
医務室の白だけが、それを静かに見つめていた。




