扉の向こう
王母とリリアの不穏な影が差し込む宮殿。
だが、その場を静かに塗り替えるように、
もう一つの存在が歩み寄っていた――。
それは、笑顔と軽さを纏いながら、
人々の心に“測りようのない不安”を残す男。
戴冠式を前に、エルナスの周囲は、
静かに、しかし確実に動き始めていた。
招待状、同伴者一人。
それは、選択肢ではなかった。
《どうしたの?》ユウナギが通信に出た。
「あの明後日なんだけど、戴冠式一緒に行かないかな~って思って」
《パレードならモニターから観るよ。なんで?》
「いや、式の方」
《え?……》ユウナギの頭の中で疑問符が浮かぶ。《式って?》
「あの、招待状が来て」
《え?凄いね、ははは。本当に?そんな知り合いが……》ユウナギの声が途絶える。
「もしもし、ユウナギ?」
《……》
「あれ、電波悪いのかな」カナタは、そっとリングを触る。
《‥‥まさかエルナス・リュシオンから?》
「そう!そのまさかだよ」
《……本当に?なんで?》
「なんでって、友達だから。いつかのラン友、前に話した人」
《……》
「ユウナギ?」
《……それ、断れないやつ?》
「予定があるなら、いいよ」
《違う。カナタが、行かないといけないのかなって》
「どおゆうこと?」
《ごめん、……俺がこんな事言える立場じゃないけど、行って欲しくなくて》
「遠くから参加するだけだよ、祝い事だし。ひょっとしたら友達いないかもしれないエルナス。戴冠式は、一生に一度のことだから」
《……》
「どうしたの?」
《友達いないって、王に対しての爆弾発言。録音したよ》
「あ!」
ユウナギの笑い声が通話越しに聞こえた。
《わかった、一緒に行こう。気が済んだらすぐ帰ろ?約束な!》
「うん!ありがとう」
◇
「……三百二十二、三百二十三」
乾いた呼吸と機械音だけが響く訓練室で、エルナスは黙々と腕を動かしていた。
「エルナス様、リリア様が来られています」
「いないって言って」
「しかし、先日もそうお伝えしましたので」
「リリアが求めている私は永久にいない」
「……かしこまりました」セリューは、そう言うと扉を出る。
外側にいつかの爽やかな男が立っていた。警護班だ。
「私が代わりに、お伝えしてまいりましょうか?」
「いや、結構だ」セリューは、そう言うと応接間まで向かった。
セリューを見るなり、女は声を荒げた。
「エルナス様は、リリアがそんなにお嫌いか?」
自分を指し示し、甲高い声が宮殿に響く。
「もう、決められている事なのよ。安心なさいな、リリア」
そう言って、エルナスの母が前に出た。
リリアの薬指にはめられているリングを擦る。
「はて。何が“決められている”のでしょうか」セリューは、首をかしげる。
「無礼者!」エルナスの母は、セリューに対して鞄を投げつけた。
「いや、王からそのような事、伺いませんので、失礼いたしました」セリューは、転がった鞄を拾い、大理石のテーブルにそっと置いた。
「セリュー、私を誰だと思っているの?王の母よ!あなたの処遇は何だって出来るわ」
置かれた鞄を拾い、もう一度投げつけた。セリューの腕を弾く。
カランッ――腕のリングに当たった。
「……」
セリューは、真顔になった。
「な、何よ!」
「今日のところは、お引き取りください。王も戴冠式前で会える気持ちに余裕がないのです」セリューは、にこりと微笑んだ。
傍らで、女が静かに通信を繋いだ。
「……はい。ええ、できるだけ早く“あれ”を離職させて」
王母とリリアは憤慨したように身を翻し、応接間を出ていく。
すれ違うように、一人の男が入ってきた。
スコーラオだ。
王母がいち早くそれに気づいた。
「スコーラオ殿……ご、ご機嫌よう」
「やあ!」一言返し、
スコーラオも、穏やかな笑みを浮かべる。
王母はそそくさと逃げるように去った。
背中には、はっきりと冷汗の跡があった。
スコーラオは、それをまるで気にも留めていない。
「セリュー、元気にしてたあ?」
「……スコーラオ殿。お久しぶりです」
セリューは困惑を隠せずに応対する。この男は、掴みどころがない――それが一番厄介だ。
スコーラオは、前王朝唯一の生き残り。
自ら王位を放棄し、研究に没頭してきた特殊能力者。
だが近頃、その名を巡る“不穏な噂”が、静かに広がっていた。
「戴冠式には参加しないからね。今日は、お祝いを持ってきたんだ」
「ありがとうございます。どうぞこちらへ」
セリューは、エルナスの元へ案内する。
長い廊下。
所々に警備班が立ち並び、スコーラオを見るたび、わずかに空気が張りつめた。
さきほどの爽やかな青年──ルイゼンは、目をそらさない。
扉が開く。
「やあ、エルナス。今日も頑張ってるね」
「スコーラオ殿……どうされたのですか?」
「戴冠式のお祝い。クッキーだよ」
「……ありがとうございます」
エルナスはトレーニングマシンから立ち上がり、汗を拭った。
「あ、私が焼いたわけじゃないよ。助手が焼いたの」
「……」
エルナスはクッキーを受け取った。
「感謝します」
「普通のクッキー。ちゃんと食べられるやつ。毒とか入ってないよ」
スコーラオは真顔で言った。
一拍の静寂――そして、ふ、と小さく笑う。
「…………」
「エルナスにお願いがあるんだ。
このリング、私の『解除許可レベル』少し上げてくれない?
悪いことには使わないよ」
「……それは、できません」
「だよねぇ」
楽しそうに肩をすくめる。
「じゃあさ。いつなら“十以上”を使っていいのかな?」
「緊急時なら」
「それで、間に合うかな」
スコーラオの瞳の奥が、一瞬だけ深く沈んだ。
「…………」
「でもね」
ふっと口元だけが笑う。
「例外を認めないエルナス、私は好きだよ」
セリューが身構えるのを横で感じながら、スコーラオは軽く彼の襟を整えた。
「君だけで、守り切れるかな?」
「……手をお離しください」
セリューは静かに、その手を払いのけた。
「精鋭は揃っております」
「ああ、扉の前の子ね」
そして再び、穏やかな声色に戻る。
「気を悪くしたら、ごめんね。
今日はただ――クッキーを渡しに来ただけだから」
(第二十六章・了)
表向きにはただの挨拶。
そして、ただのクッキー。
しかし、スコーラオが残していったのは、
甘さとはまるで逆の、冷たい余韻だった。
彼は何を知っているのか。
そして、どこまで関わるつもりなのか――。
戴冠式を目前に、エルナスの世界は、
静かにその輪郭を歪ませ始める。




