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扉の向こう

王母とリリアの不穏な影が差し込む宮殿。


だが、その場を静かに塗り替えるように、

もう一つの存在が歩み寄っていた――。


それは、笑顔と軽さを纏いながら、

人々の心に“測りようのない不安”を残す男。


戴冠式を前に、エルナスの周囲は、

静かに、しかし確実に動き始めていた。


招待状、同伴者一人。

それは、選択肢ではなかった。


《どうしたの?》ユウナギが通信に出た。


「あの明後日なんだけど、戴冠式一緒に行かないかな~って思って」


《パレードならモニターから観るよ。なんで?》


「いや、式の方」


《え?……》ユウナギの頭の中で疑問符が浮かぶ。《式って?》


「あの、招待状が来て」


《え?凄いね、ははは。本当に?そんな知り合いが……》ユウナギの声が途絶える。


「もしもし、ユウナギ?」


《……》


「あれ、電波悪いのかな」カナタは、そっとリングを触る。


《‥‥まさかエルナス・リュシオンから?》


「そう!そのまさかだよ」


《……本当に?なんで?》


「なんでって、友達だから。いつかのラン友、前に話した人」


《……》


「ユウナギ?」


《……それ、断れないやつ?》


「予定があるなら、いいよ」


《違う。カナタが、行かないといけないのかなって》


「どおゆうこと?」


《ごめん、……俺がこんな事言える立場じゃないけど、行って欲しくなくて》


「遠くから参加するだけだよ、祝い事だし。ひょっとしたら友達いないかもしれないエルナス。戴冠式は、一生に一度のことだから」


《……》


「どうしたの?」


《友達いないって、王に対しての爆弾発言。録音したよ》


「あ!」


ユウナギの笑い声が通話越しに聞こえた。

《わかった、一緒に行こう。気が済んだらすぐ帰ろ?約束な!》


「うん!ありがとう」



「……三百二十二、三百二十三」

乾いた呼吸と機械音だけが響く訓練室で、エルナスは黙々と腕を動かしていた。


「エルナス様、リリア様が来られています」


「いないって言って」


「しかし、先日もそうお伝えしましたので」


「リリアが求めている私は永久にいない」


「……かしこまりました」セリューは、そう言うと扉を出る。


外側にいつかの爽やかな男が立っていた。警護班だ。

「私が代わりに、お伝えしてまいりましょうか?」


「いや、結構だ」セリューは、そう言うと応接間まで向かった。


セリューを見るなり、女は声を荒げた。

「エルナス様は、リリアがそんなにお嫌いか?」

自分を指し示し、甲高い声が宮殿に響く。


「もう、決められている事なのよ。安心なさいな、リリア」

そう言って、エルナスの母が前に出た。


リリアの薬指にはめられているリングを擦る。


「はて。何が“決められている”のでしょうか」セリューは、首をかしげる。


「無礼者!」エルナスの母は、セリューに対して鞄を投げつけた。


「いや、王からそのような事、伺いませんので、失礼いたしました」セリューは、転がった鞄を拾い、大理石のテーブルにそっと置いた。


「セリュー、私を誰だと思っているの?王の母よ!あなたの処遇は何だって出来るわ」

置かれた鞄を拾い、もう一度投げつけた。セリューの腕を弾く。


カランッ――腕のリングに当たった。


「……」

セリューは、真顔になった。


「な、何よ!」


「今日のところは、お引き取りください。王も戴冠式前で会える気持ちに余裕がないのです」セリューは、にこりと微笑んだ。


傍らで、女が静かに通信を繋いだ。

「……はい。ええ、できるだけ早く“あれ”を離職させて」


王母とリリアは憤慨したように身を翻し、応接間を出ていく。

すれ違うように、一人の男が入ってきた。


スコーラオだ。


王母がいち早くそれに気づいた。

「スコーラオ殿……ご、ご機嫌よう」


「やあ!」一言返し、

スコーラオも、穏やかな笑みを浮かべる。


王母はそそくさと逃げるように去った。

背中には、はっきりと冷汗の跡があった。


スコーラオは、それをまるで気にも留めていない。

「セリュー、元気にしてたあ?」


「……スコーラオ殿。お久しぶりです」

セリューは困惑を隠せずに応対する。この男は、掴みどころがない――それが一番厄介だ。


スコーラオは、前王朝唯一の生き残り。

自ら王位を放棄し、研究に没頭してきた特殊能力者。

だが近頃、その名を巡る“不穏な噂”が、静かに広がっていた。


「戴冠式には参加しないからね。今日は、お祝いを持ってきたんだ」


「ありがとうございます。どうぞこちらへ」

セリューは、エルナスの元へ案内する。


長い廊下。

所々に警備班が立ち並び、スコーラオを見るたび、わずかに空気が張りつめた。

さきほどの爽やかな青年──ルイゼンは、目をそらさない。


扉が開く。


「やあ、エルナス。今日も頑張ってるね」


「スコーラオ殿……どうされたのですか?」


「戴冠式のお祝い。クッキーだよ」


「……ありがとうございます」

エルナスはトレーニングマシンから立ち上がり、汗を拭った。


「あ、私が焼いたわけじゃないよ。助手が焼いたの」


「……」


エルナスはクッキーを受け取った。

「感謝します」


「普通のクッキー。ちゃんと食べられるやつ。毒とか入ってないよ」

スコーラオは真顔で言った。

一拍の静寂――そして、ふ、と小さく笑う。


「…………」


「エルナスにお願いがあるんだ。

このリング、私の『解除許可レベル』少し上げてくれない?

悪いことには使わないよ」


「……それは、できません」


「だよねぇ」

楽しそうに肩をすくめる。


「じゃあさ。いつなら“十以上”を使っていいのかな?」


「緊急時なら」


「それで、間に合うかな」

スコーラオの瞳の奥が、一瞬だけ深く沈んだ。


「…………」


「でもね」

ふっと口元だけが笑う。

「例外を認めないエルナス、私は好きだよ」


セリューが身構えるのを横で感じながら、スコーラオは軽く彼の襟を整えた。

「君だけで、守り切れるかな?」


「……手をお離しください」

セリューは静かに、その手を払いのけた。

「精鋭は揃っております」


「ああ、扉の前の子ね」


そして再び、穏やかな声色に戻る。


「気を悪くしたら、ごめんね。

今日はただ――クッキーを渡しに来ただけだから」




(第二十六章・了)


表向きにはただの挨拶。

そして、ただのクッキー。


しかし、スコーラオが残していったのは、

甘さとはまるで逆の、冷たい余韻だった。


彼は何を知っているのか。

そして、どこまで関わるつもりなのか――。


戴冠式を目前に、エルナスの世界は、

静かにその輪郭を歪ませ始める。

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