敵性AI反応
それは、帰還の途中に起きた。
まだ誰も、
「異常」という言葉を口にしていない、
その瞬間に。
白くて、小さくて。
ウサギのような耳を持つ、葉片を重ねたようなリーフ型ユニット。
それは、ミラの目の前に、全身を使って跳ねてきた。
――生き物の真似をするみたいに。
一瞬、状況がわからなかった。
次の瞬間、自分が眠っていたのだと気づく。
飛行船に戻った一行は、補給を終え、待機していた。
その間、交代で仮眠を取っていた――はずだった。
「……おまえ、勝手に飛行船に入って来たの?」
ユニットは、無音のまま微かに揺れた。
ミラはなぜか、そのユニットに名前をつけたくなった。
「モフモフ」
「全然モフモフしてないよ」
シャドが額の汗を拭う。
室温が上がっている。
恒星ソレイユの光が、船体をじりじりと焼いていた。
《ミラ、聞こえるか?》
「タシト隊長、聞こえます。給油、完了しました」
《惑星アストレアに帰還する。合流座標は赤経11時05分、赤緯プラス9度、パイロットに送る》
「承知いたしました」
――帰れる。
その一言で、船内の空気が一気に緩んだ。
《補給ステーションから離脱せよ》
乗員が一斉に席につき、身体を固定する。
「モフモフ、悪いけど――ここでお別れよ」
ミラはユニットを抱え、ハッチの外へ放った。
《人類側生存率……計測不能》
《更新――十一名、確認》
《敵性AI反応――確認中》
「……早く離脱した方が良さそうね」
ハッチを閉めた、その直後だった。
――キィィン。
機械音。
振り返ると、
そこに“モフモフ”がいた。
「……え?」
思わず窓を見る。
外にも、白いリーフ型の影が見える。
「……二体?」
違う。重なってる。もっと、いる。
次の瞬間だった。
いつの間にか増えていた船内のユニットから、霧が噴き出した。
《敵性AI反応、97%》
「一同、酸素ボンベ装着!」
パイロットの指示が飛ぶ。
ミラは足元の小型ボンベを掴み、口元に押し当てた。
間に合わず、何人かが倒れる。
シャドがユニットを掴み、非常用口から放り投げた。
その奥――
補給ステーションの影から、人の形をした何かが現れる。
歩いている。
……いや、走ってきている。
「タシト隊長!
リーフ型ユニットによるガス攻撃です!
外に、人影が――!」
《ゼスカ!
シールドを張れ、即座に離脱しろ!》
パイロットが操作レバーを引く。
視界が歪み、音がこもる。
「……っ!」
ミラは、思わず声を上げた。
恐る恐る目を開ける。
船外に――
タシトが立っていた。
「……え?」
次の瞬間、飛行船は急上昇する。
人の形をしたいくつもの影が、タシトへと飛びかかった。
――ドンッ。
閃光。
補給ステーションは、音もなく霧散した。
そこには、もう何もなかった。
タシトの姿も。
「……た、隊長……」
ミラはその場に崩れ落ちた。
シャドも、ミラ班の生徒たちも、誰一人、言葉を発せずにいた。
「ゼスカ、ガスの分析を開始しろ」
その声に、ミラははっと顔を上げた。
倒れている生徒に寄り添う影――タシトだった。
いつ、どうやって戻ったのか。
誰にも分からなかった。
「承知しました」
パイロットは、タシトの突然の出現にも、驚きの色を見せず、分析を開始する。
混乱の中、タシトは無言で次々と口元に酸素ボンベを当て、救助を進めていった。
「た、隊長……!」
ミラはマスク越しでも、両手で口を押さえた。
「どうやって……?」
シャドは目を見開き、眉間に深く皺を寄せる。
「確認しました。神経性の催涙ガスです」
「アストレア空軍基地に、救護班を要請」
シャドは、タシトの力を目の当たりにしていた。
まさか、瞬間移動したのか――。
補給ステーションも、跡形もなく、一瞬で消滅していた。
襲撃下であっても、あれほどの施設をタシトはためらいなく全壊させた。
――その事実が、船内の空気を凍らせた。
仲間の顔を見る。
誰も口を開かない。
ただ、強烈な緊張だけが船内に残っていた。
《四名負傷。救護班、確認しました》
窓の向こうでは、爆散したはずの宙域が、何事もなかったかのように星を映している。
その静けさが、かえって――
タシトという存在の輪郭を、誰の心にも刻みつけた。
そして、誰も口にしなかった疑問が、深く胸の奥で眠ったまま、静かに息を潜めていた。
(第二十四章・了)
爆発の痕跡は、何も残らなかった。
星は、何事もなかったかのように輝いている。
ただひとつ、
誰も口にしなかった疑問だけが、静かに胸の奥に沈んでいた。
――あれは、救助だった。
同時に、壊すべき場所が揃ってしまっただけではなかったのか。




