嘘の太陽
人は、真実では生きられない。
けれど――
嘘だけの世界にも、必ず歪みは生まれる。
それが、救いに似ているほど、
なおさら。
砕けちる石膏。飛び退くユウナギ。
「人はな、真実なんて欲しがらない。
欲しいのは、“耐えられる世界”だ」
数珠が、街の鼓動と同じリズムで分散していく。
その間、誰ひとり、息を吸えなかった。
ユウナギの視界が、かすかに揺れた。
数珠が、力を得たように不規則に回転し始める。
その余波は、
街の裏側で――誰かの判断を、静かに書き換えていた。
これまでにない加速する王の気迫、回りの空気が重みで沈んでいく。
街の明かりが次々に消える。不安定な状態。
王にとってユウナギは、初めて“壊せる可能性”を持った他者だった。
ドン!ドン!
数珠が不規則に飛んでくる。壁が円形状に陥没した。
ミルルはシールドを張るも、数珠の力に圧され、それは糸くずになって儚く消えた。
「こんなの相手なんて無理!」
恐怖で足は、針で刺されたように浮き立つ。
ミルルは、ユウナギを見る。
ユウナギは、激しく壁に打ち付けられていた。
涙をこらえミルルは、リングに手を当てた。
「……リングレベル、全解除!!」
それは、防護ではなく、
自分の限界を削る選択だった。
ミルルの防護壁は、
赤から黄色へと不規則に波打った。
戦闘の中で無意味なほどに美しい光。
だが、その眩さは、ミルル自身を削っていた。
今までとは、明らかに違う厚みだった。
高速で向かってきた数珠を跳ね返す。
だが数珠は、少し弓なりに抵抗を受けただけで、静かに宙を回る。
「へぇ、それがお前の全身全霊なのか」
膝をつくミルル。目は充血していた。
「……く、くるしい」息がうまく出来ない。レベルの解除に自身が耐えられず首を押さえる。
「戻せ!ミルル!」ユウナギの合図でミルルのリングは、再びリングを制御し出した。大きく呼吸する。
「絶対絶命……どうすんの?お前たち」
王は、指を二本立てた。
「二分経過」
王は静かに壁を見る。ユウナギの後ろに広がっているであろう景色が見えているかのように。
「俺を殺したら共に街は死ぬ。でもお前たちに、俺を殺す力はない。だから街は死なない。俺はお前たちをすぐにでも殺せる」
「チャンスは、残ってる」
王は、ゆっくりと指を折った。
ミルルは、ユウナギを見た。
「あ、逃がさねーぞ」王は、笑った。
*
二人の影が再び街を歩く。
「真っ暗になりましたね。しかも何か冷えてきた」
特殊スーツを身にまとったバーチには、あまり変化を感じなかったが寒そうにするリロに、どこか店に入ることを提案した。
薄暗いバーは、
ランプの明かりを使用していた。
「ねぇ、あの人、変ですよね」リロは、考え込んでいた。
「それ、俺がさっきから言ってるやつじゃん」バーチは、そう言って、リロが指差す方向を見た。
「え?……ソード?」
ソードは、木箱の上に立ち歌っていた。頭には、しゃもじで耳を生やし、お尻には長い靴下をぶら下げ、小動物を演じている。
「見たくなかった……」バーチはそう言うと、ソードの前までやってきて顔面を殴った。
倒れるソード。
「ここまでイカれてるなんて、この指輪がそうさせてるんかもな!」バーチは、店を出てソードを路地裏に運んだ。
「探していたのは、この方だったんですね」リロは、鼻血を出すソードを手当てしていた。
「この指輪、取れる?リロ」
「わかりません、これは、王の紋章の指輪。きっと、この後に玉座に導かれる予定だったのでしょう」
「……こいつが道草ヤロウで助かったぜ」
ガッ!――指輪の端に衝撃波が流れる!
「いて!何?何してんだよ!バーチ!」
ソードは、目を覚ました。指輪は依然として外れていない。「ここは、どこだ?」
*
「もう一度、あんたの言う“信じたい世界”を俺にも見せてくれ」
一か八かだった。
いや――正確には、
勝てない可能性の方が高い。
それでも。
“何もしないまま信じる”よりは、
自分で踏み込む方を、ユウナギは選んだ。
ユウナギは、王の言うノイズが鍵を握っている、そんな気がしていた。
「歓迎だねえ」
目を見開き不敵に笑う王。
数珠が螺旋状に回り出し元の位置に戻っていく。
同時に、街の光が灯っていった。
それは救いの光ではなく、
再び“信じる準備が整った”合図だった。
唾を飲み込むユウナギ。一度しかチャンスはない。
ユウナギは、ミルルを見た。
ミルルは、次の瞬間、
何かが変わると分かっていた。
もう戻れない。
そんな恐怖と、わずかな期待の狭間にいた。
ユウナギは、王の胸めがけて拳を突き出す――
直前で、ユウナギは狙いを変えた。
「ミルル——!」
一瞬の視線。
言葉はそれだけで、十分だった。
ミルルのシールドが、反射的に前へ展開される。
“現実を守る膜”。
ユウナギは、その中心へ拳を突き出した。
直前でリングの制御を、すべて解く。
シャインスフィアが、光の線となって放たれる。
それは王ではなく、
ミルルの防護壁へと——激しく突き刺さった。
閃光。
シールドが、一瞬だけ歪む。
光は弾かれることなく、
“現実を通過したまま”進路を変えた。
次の瞬間、
シャインスフィアは王の身体をすり抜け、
その背後で爆発した。
街が、星が瞬くように点滅した。
——手応えが、ない。
王のいた先には大きな穴が開く。周囲の壁が、跡形もなく崩れ落ちる。
空間そのものが、衝撃に耐えきれず、剥がれ落ちだした。
ユウナギ自身も、その異様さに息を呑む。
その直後だった。
すり抜けたはずの王が、
咳き込むように口元を押さえた。
「……ガハッ」
床に落ちた赤は、
血の形をしていたが、
どこか“重さ”がなかった。
王はふらつきながら、ユウナギを引き寄せるように抱き寄せる。
「威力だけは、誉めてやる」
低く、諦めにも似た声。
「……だが」
王は、ユウナギの耳元で囁いた。
「完全に、嘘に乗っかったな」
その瞬間――
ユウナギの視界が、揺らいだ。
世界が、焦点を失う。
抱きよせられていたはずの身体は、もうそこにない。
気づけば、王の姿は消えていた。
瓦礫も、破壊の痕跡もない。
現実が、静かに塗り替えられていた。
ただ――
数珠状の球体だけが、何事もなかったように、静かに回っている。
ユウナギは、立っていられなくなり、片足を着いた。
「……失敗した」
視界が歪み、ぐらつく。
王の世界が、静かにユウナギを飲み込もうとしていた。
その時だった。
目の前に小さな靴が見えた。
顔をあげると――
幼いカナタが立っていた。
「なぜ……」
「……帰ろう」
その言葉に、胸の奥がわずかに揺れた。
――初めてじゃない。
遠い記憶のどこかで、
同じ声に、同じように救われた気がした。
カナタは、ユウナギの手を取ろうとする。
そこへ、笑って横切る幼き自分がいた。
これは、王の嘘――
ユウナギが気付くのに時間はかからなかった。
ユウナギは立ち上がり、中央の大きな球体まで歩く。
視界がぶれては戻る波のように。眠りに落ちるような感覚が続く。
それでも現実を歩いた。
そして、球体の前まで辿り着く。
ユウナギは、“それ”を優しく包み込んだ。
それは、壊すための触れ方ではなかった。
「……帰るんだ」
それは、誰かに見せられた世界ではなく、
自分で選び直すための意志だった。
すると、球体は大きく鼓動した。
ノイズが、走る。
――ズン――
空間が、ひとつ沈んだ。
視界が一瞬ズレる。
そして、再び戻った。
重さが抜けていく。
数珠は、優しく音を奏でるかのように螺旋状に回りだした。
水の音。地上から流れ落ちる雨の音だ。
王は戻ってこない。
「あっ」ミルルは、
脱力して地面に座り込んだ。
街は、再び光を帯びる。
それは安定ではなく、
自分の足で呼吸を始めたような動きだった。
街は、元に戻ったのではない。
まだ、戻り途中だった。
(第二十二章・了)
嘘の太陽は、すぐには消えない。
けれど、
誰かが「帰ろう」と選んだ瞬間、
それはもう、絶対の光ではなくなる。
この街は、まだ途中だ。
それでも――
誰かに与えられた明るさではなく、
自分の足で呼吸を始めた。




