王権が閉じる音
王の力は、
使われた瞬間よりも、
それが閉じられるときにこそ、
多くを語る。
それは、
命令ではなく、
信頼でもなく、
――別れの音だった。
岩肌を削る風の音だけが、
谷に残っていた。
セリューは、わずかに後退していた。
三方向から、同時。
呼吸を読むように詰めてくる――覆面の敵。
一歩、下がる。
また一歩。
「……囲われているな」
低く呟いたのは、タシトだった。
だが、その声に焦りはない。
彼は、まだ一度も動いていなかった。
砕けた岩が跳ねる。
その破片が、カナタへ向かう。
――瞬間。
青い光が走った。
タシトのシールドが、音もなく弾く。
「動くな」
短い命令。
カナタは、息を呑んだまま頷いた。
その間にも、戦況は変わる。
セリューの腕を覆うリングが、ひとつ――消えた。
次の瞬間、もうひとつ。
速度が、変わる。
空気が、裂ける。
「……解除か!くそ」
敵の一人が、わずかに声を漏らした。
その“隙”だった。
背後から伸びた高速の腕が、
王の背へ――突き立つ。
「ぐはっ!」
「エルナス!!」
カナタの叫びと同時に、
呻いたのは、王ではなかった。
敵が口から血を吐き、崩れ落ちた。
直後、その頭上と下から二つの影。
――轟音。
地面が盛り上がり、岩が突き上がる。
影は、同時に叩き伏せられた。
静寂。
耳鳴りだけが、遅れて戻ってきた。
覆面が、地に落ちた。
セリューは、息を整えながら、それを見下ろす。
「……ミシーダ・ドルリオン」
その名を、誰も口にしなかった。
だが――
次の瞬間。
エルナスの腕のリングに、識別画面と数字が浮かび、光が一周した。
「ありがとう、セリュー」
その一言で。
セリューのリングは、元の状態へと戻っていった。
――かすかな音を立てて。
それは、
王権が閉じられる音だった。
「迎えが来ました」
セリューの声に、エルナスは一度だけ、高野を振り返った。
「……わかった」
決意を押し込めるように言い、岩場を駆け上がる。
エルナスは、沈黙のあとカナタに声を落とした。
「……また、会える?」
一瞬の間。
目の前にいるのが、かつての友なのか、
それとも――王なのか。
「王がお望みなら」
そう答えたカナタに、エルナスはわずかに目を細めた。
「それは禁止だ。……“エルナス”で頼む」
その手が、カナタに伸びかけた瞬間。
「――そこまでだ」
タシトの声だった。
制止するように、タシトは王の腕を掴んだ。
迷いはなかった。
エルナスが、驚いたように振り返る。
次の瞬間、セリューが割って入った。
「無礼であるぞ」
冷えた声。
「つつしみたまえ。タシト・レヴァント」
王と、戦場の男の間に、明確な線が引かれた。
タシトは、そのわずかなセリューの緊張を読み取ると、
無言のまま、王の腕を離した。
「カナタ・アレイシアは、私の直属の部下だ。
部隊行動中は、私を通してもらいたい」
「……きさま……」
セリューは、即座に言葉を返せなかった。
その沈黙を受けて、エルナスが静かに口を開く。
「いい、セリュー。
彼の言うことは、もっともだ」
一瞬、空気が張り詰める。
「今は、王ではなく――
同じ戦場に立った者として、判断する」
「……エルナス様」
セリューは歯を食いしばった。
「タシト・レヴァント。
彼女を頼みます」
それは、命令ではなかった。
信頼としての言葉だった。
最新鋭の軍用機が、砂を巻き上げて着陸した。
ハッチが開き、ひとりの男が降り立つ。
整いすぎた動き。無駄のない視線。
「エルナス・リュシオン様。お迎えに参りました」
その声に、セリューが即座に反応する。
「――遅延理由を報告せよ」
男は一瞬だけ視線を伏せた。
「メア・フェール航空基地は、何者かの攻撃を受けました。 生徒を乗せた飛行船は、離脱に成功しています」
その言葉に、エルナスの視線がタシトへ向く。
「……そうか」
短く、それだけ。
男は続けようとした。 「中継基地への帰還便を――」
「必要ない」
答えたのは、タシトだった。
男がわずかに眉を動かす。
「三日後、予備機が来る」
それだけ告げ、タシトは一歩引いた。
エルナスは、何も言わずに頷いた。
――それが、別れだった。
軍用機が再び浮上する。
砂塵の向こうに、王の姿が消えていった。
*
砂嵐は、完全には去っていなかった。
だが、谷を覆っていた殺気は、確かに薄れている。
タシトは、短く通信を入れた。
座標指定。簡潔な指示。
それだけで十分だった。
ほどなくして――
岩陰や崩れた地形の向こうから、
生徒たちが、慎重に姿を現す。
九人。
誰も欠けていない。
「なんだこれ?」ひとりの生徒は、大きな飛行船の残骸と焼け焦げた臭いが鼻に付いておののいた。
擦り切れた装備、砂に汚れた顔。
だが、全員が立っていた。
「……よく耐えたな」
それ以上の言葉は、必要なかった。
誰も、笑わない。
だが、空気がわずかに緩む。
カナタは、その輪の中に合流する。
――頭痛は、起きなかった。
それが、何よりの証拠だった。
ここにはもう、
“引き金になる何か”が存在していない。
タシトは、高野を一度だけ振り返る。
王は、もういない。
「移動する」 その一言で、全員が動き出す。
この戦場は、
もう彼らの場所ではなかった。
――同時刻。
惑星アストレア中枢ネットワークに、
緊急速報が流れる。
・ミシーダ・ドルリオン派閥
・軍需開発部門における不正資金
・実践訓練を装った、非公式戦力投入
調査開始。
関係者の一部、身柄拘束。
まだ、詳細は伏せられている。
だが――
「王権に対する重大な背信行為」
その文言だけで、
事態の重さは十分だった。
◇
柔らかな朝光。
鳥の声、緑が澄みわたるバルコニー。
白磁の皿。
蒸気を立てる紅茶。
果実を切る、静かな音。
スコーラオは、
端末に流れるニュースを眺めながら、
優雅に朝食をとっていた。
「……ほらお食べ」パンの端を小鳥に差し出す。
ミシーダ・ドルリオンの名が表示され、
次々と「調査」「更迭」「拘束」の文字が並ぶ。
だが、その表情に
安堵も、驚きもない。
むしろ――
認識しただけ、という顔だった。
カップを置く。
「……がん細胞ってさ、
いつも“再生”の名目で、守られるんだよね」
そう呟き、フルーツの実を丸ごと食べた。
「――続いて、今後の戴冠式についてです」
その言葉だけが、朝の空気に残った。
(第十七章・了)
王は去り、
戦場は空になった。
だが、
その選択が引き起こした波紋は、
すでに別の場所へ届いている。
正義として裁かれるもの。
利益として回収されるもの。
そして――
まだ、名前すら与えられていない影。
物語は、
静かに次の局面へ進む。




