第二次ミッドウェー海戦2
1939年9月22日。南洋府ミッドウェー島南東200キロ海域。遂に大日本帝国海軍連合艦隊とアメリカ合衆国海軍太平洋艦隊の艦隊決戦が勃発した。世にいう『第二次ミッドウェー海戦』の始まりであった。
第二次ミッドウェー海戦は第一次世界大戦時の第一次ミッドウェー海戦と同じく、大日本帝国海軍の水雷部隊による攻撃から始まった。しかもその部隊は第一次世界大戦時は『水雷戦隊』だったが、有用性が証明された事から『水雷艦隊』に格上げされより大規模になっていた。それはある種他国を隔絶しており大日本帝国海軍連合艦隊第9艦隊〜第12艦隊の水雷艦隊編成は、正規空母1隻、軽空母1隻、打撃巡洋艦10隻、巡洋艦20隻、駆逐艦40隻というものであり、中小国では主力艦隊を担える程の規模だった。
アメリカ合衆国海軍も第一次ミッドウェー海戦の教訓として大日本帝国海軍を真似て水雷部隊を創設したが、それはかつての大日本帝国海軍連合艦隊の水雷戦隊以下の規模であった。だがアメリカ合衆国海軍太平洋艦隊の水雷戦隊は、大日本帝国海軍連合艦隊水雷艦隊に果敢に挑んだのであった。
しかし両者にはそもそも論として圧倒的な装備差があったのである。それは魚雷だった。大日本帝国海軍は砲熕兵器のみならず、魚雷兵器開発に於いても著しく発展していた。そしてその成果として大日本帝国独自装備として、酸素魚雷を開発していたのだ。
従来の魚雷は圧縮空気を燃焼させる為に水面に白い気泡が表れていたが、酸素魚雷は純酸素を燃焼させる為に排出されるのは水に溶けやすい二酸化炭素だった。その為に酸素魚雷は航跡が見えず、回避が不可能に近かった。更には速度も50ノットを超え、射程も40キロを超えていた。その為に大日本帝国海軍連合艦隊の酸素魚雷は、驚異的な破壊力を発揮するものだったのである。
そして第一次ミッドウェー海戦と同じく、第二次ミッドウェー海戦も大日本帝国海軍連合艦隊水雷艦隊による雷撃は、アメリカ合衆国海軍に大打撃を与えた。
大日本帝国海軍・アメリカ合衆国海軍共に空母は配備していたが、艦隊決戦を優先し双方が艦載機を発艦させていなかった。その為にまずは大日本帝国海軍連合艦隊水雷艦隊の酸素魚雷が、アメリカ合衆国海軍太平洋艦隊水雷戦隊に襲い掛かった。水雷艦隊所属の打撃巡洋艦愛宕級・巡洋艦阿賀野級・駆逐艦秋月級は一斉に、酸素魚雷を発射した。
第一次ミッドウェー海戦の教訓からアメリカ合衆国海軍太平洋水雷戦隊は、大日本帝国海軍連合艦隊水雷艦隊の魚雷が驚異的な性能を有すると判明した事から、今回は早い段階から回避行動を開始した。だが回避行動をしたとしてもそもそも酸素魚雷の航跡が見えない事から、アメリカ合衆国海軍太平洋艦隊水雷戦隊の艦艇に次々と酸素魚雷は命中した。
その破壊力は驚異的であり、全長180メートル・最大幅20メートルを誇る巡洋艦ボルチモア級でも、艦首を吹き飛ばされたものは前のめりになり沈没していき、不運にも回避行動が間に合わず片舷に数本の酸素魚雷が命中したものは、大爆発を起こして轟沈した。
全長145メートル・最大幅16メートルの駆逐艦ベンハム級は更に悲惨でありそもそもの装甲が皆無である事から、何処に命中しても轟沈していく有様だった。更に不運なものは数本の酸素魚雷が命中すると大爆発を起こし、文字通り消滅する程であった。回避行動や僚艦の沈没に混乱状態のアメリカ合衆国海軍太平洋艦隊水雷戦隊であったが、そこに更なる不運が訪れた。
第一次ミッドウェー海戦時と違い、次発装填装置を有する大日本帝国海軍連合艦隊水雷艦隊から、追い討ちをかける酸素魚雷が発射されたのである。




