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『地元に戻ると、俺がストーカーになっていた』  作者: こうた


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第5話 佐渡を捨てた日



十八歳の春。


俺は、佐渡を出た。


朝早くの港。


父さんと母さんが、見送りに来ていた。


大きな荷物は、それほどなかった。


着替え。


少しの生活用品。


そして。


東京で働くための書類。


「忘れ物ないか?」


父さんが聞いた。


「ない」


「本当に?」


「うん」


母さんは、何度も俺の顔を見ていた。


「身体だけは気をつけるんだよ」


「分かってる」


「ちゃんとご飯食べるんだよ」


「分かってるって」


「仕事が大変だったら、いつでも帰ってきなさい」


俺は返事をしなかった。


その言葉を聞いた瞬間。


胸が苦しくなったからだ。


帰ってくる。


そんな選択肢は、俺の中にはもうなかった。


「じゃあ、行ってくる」


「しげる」


母さんが俺の腕を掴んだ。


「……何?」


「本当に、佐渡に帰ってこないつもりなの?」


俺は少し黙った。


そして。


「……帰らへん」


母さんの顔が曇った。


「どうして?」


「俺には、ここは合わん」


それだけ言った。


本当は違った。


合わないんじゃない。


怖かった。


ここにいると。


みさきのことを思い出す。


教室で笑っていた顔。


二人で帰った道。


そして。


最後に向けられた、怯えた目。


何より。


自分が悪者にされたことが悔しかった。


俺は何もしていない。


それなのに。


誰も信じてくれなかった。


それが許せなかった。


船が出る。


港が少しずつ遠ざかっていく。


俺は甲板から佐渡を見た。


島は静かだった。


何も知らないような顔をしている。


俺は拳を握った。


「さようなら」


小さく呟いた。


東京へ着いた。


そこから始まった生活は、想像していたより厳しかった。


働くことになったのは、都内の老舗旅館。


料理人の見習いとして採用された。


最初は皿洗い。


野菜の下処理。


厨房の掃除。


食材の整理。


何をやっても怒られた。


「しげる! 遅い!」


「すみません!」


「こんな切り方じゃ使えない!」


「はい!」


「返事だけはいいな!」


毎日が必死だった。


それでも。


嫌ではなかった。


料理や菓子を作っているときだけは。


余計なことを考えずに済んだからだ。


特に。


デザートを作る時間が好きだった。


果物を切る。


クリームを立てる。


チョコレートを溶かす。


砂糖の温度を測る。


少しずつ。


自分の世界ができていった。


ある日。


厨房の隅で、一人でデザートを作っていると。


料理長の高木さんが近づいてきた。


「しげる」


「はい」


「お前、菓子が好きなのか?」


「……好きです」


「料理より?」


「……はい」


高木さんは笑った。


「正直だな」


それから。


俺は少しずつ菓子を任されるようになった。


仕事が終わってからも。


本を読んだ。


技術を覚えた。


休みの日には、菓子店を巡った。


東京には。


佐渡にはなかった世界があった。


知らない店。


知らない味。


知らない技術。


俺は夢中になった。


そして。


いつしか。


「菓子職人になる」


それが俺の目標になっていた。


故郷のことを考える時間も。


少しずつ減っていった。


みさきのことも。


思い出さなくなっていった。


――そう思っていた。


二十歳になる少し前。


俺は厨房で働いていた。


その日。


一人のフランス人が旅館を訪れた。


名前は。


ジャン=ピエール。


日本の料理や菓子に興味を持つ料理人だった。


俺が作ったデザートを食べた彼は。


しばらく黙っていた。


そして。


突然、俺に言った。


「君は、フランスに来る気はあるか?」


俺は目を丸くした。


「……フランス?」


「ああ」


ジャン=ピエールは笑った。


「君には才能がある」


その言葉を聞いた瞬間。


胸の奥が熱くなった。


俺は。


新しい世界へ行けるかもしれない。


佐渡でも。


東京でもない。


もっと遠い場所へ。


「……行きたいです」


俺は答えた。


迷いはなかった。


こうして。


俺の人生は、さらに大きく変わっていった。


二十歳。


俺はフランスへ向かった。


飛行機の窓から、日本が遠ざかっていく。


そのとき。


なぜか一度だけ。


みさきの顔が浮かんだ。


――元気にしてるかな。


そう思った。


でも。


すぐに目を閉じた。


もう終わったことだ。


俺は前に進む。


そう決めた。


それから十年。


俺は一度も佐渡に帰らなかった。


家族とは連絡を取っていた。


両親が大阪や東京まで来てくれたこともあった。


でも。


佐渡には帰らなかった。


俺の中では。


あの島は。


十八歳の俺を置き去りにした場所だった。


だから。


二度と戻らない。


そう思っていた。


――三十歳になるまでは。


そして今。


梅田の店で。


俺は、みさきと再会した。


しかも。


彼女は俺に言った。


「まだ私を追いかけてるの?」


十二年前。


俺が故郷を捨てた理由。


その中にいた女が。


十二年後。


今度は俺を、ストーカーだと言っている。


皮肉な話だった。


けれど。


俺はまだ知らなかった。


フランスへ行った俺の人生が。


その後、どう変わったのか。


そして。


俺が今、誰と婚約しているのかを――。

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