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『地元に戻ると、俺がストーカーになっていた』  作者: こうた


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第10話 俺は幸せだった



みさきから電話があった翌日。


俺はいつも通り、店を開けた。


「おはようございます!」


スタッフの声。


「おはよう」


オーブンの音。


焼き上がった生地の香り。


店の前を歩く人たち。


何も変わっていない。


昨日までと同じ。


俺の日常だった。


なのに。


俺の中だけが。


何かおかしかった。


「しげる?」


エレーヌが厨房から顔を出した。


「どうしたの?」


「……何が?」


「朝から怖い顔してる」


「そうか?」


「うん」


俺は笑った。


「ちょっと寝不足なだけや」


「昨日の電話?」


俺は黙った。


エレーヌには。


隠したくなかった。


「みさきからやった」


「……そう」


彼女は驚かなかった。


「何を言っていたの?」


「十二年前のことを聞きたいって」


「それだけ?」


「あと……」


俺は言葉を止めた。


「俺が、ずっと自分を追いかけてたんじゃないかって」


エレーヌの表情が変わった。


「あなたが?」


「そう」


「どうしてそんなことを?」


「俺にも分からん」


エレーヌはしばらく俺を見ていた。


そして。


「しげる」


「ん?」


「あなたは、今幸せ?」


突然の質問だった。


俺は少し考えた。


「幸せや」


「本当に?」


「うん」


迷いはなかった。


「俺には店がある」


「うん」


「好きな仕事ができてる」


「うん」


「それに……」


俺はエレーヌを見る。


「エレーヌがおる」


彼女は少し照れた。


「……それなら、過去に戻る必要はないね」


「せやな」


俺は笑った。


本当に。


そう思っていた。


俺は幸せだった。


十八歳の頃の俺が見たら。


きっと驚くと思う。


自分の店を持って。


フランスで知り合った女性と婚約して。


毎日、好きな仕事をしている。


あの頃。


佐渡で一人になっていた俺には。


想像もできない人生だった。


その日の昼。


一人の客が店に来た。


「すみません」


「はい」


「オーナーさん、いらっしゃいますか?」


「私ですけど」


女性は俺を見た。


そして。


少し驚いた顔をした。


「……やっぱり」


「何か?」


「佐渡の、しげるさんですよね?」


俺の背筋が凍った。


「……そうですけど」


女性は笑った。


「やっぱりそうだ」


「どこかでお会いしました?」


「覚えてない?」


俺は顔を見た。


知らない女性だった。


少なくとも。


大阪では。


「私、佐渡に住んでる者です」


その瞬間。


店の空気が変わった気がした。


「……佐渡?」


「はい」


「何でここが?」


女性は答えなかった。


代わりに。


小さな紙を差し出した。


「これを」


俺は受け取った。


そこには。


電話番号が書かれていた。


「誰のですか?」


「ご両親からです」


「……」


「一度、帰ってきてほしいそうです」


俺は紙を握った。


また。


帰ってきてくれ。


なぜ。


そこまで俺を呼ぶ?


「何かあったんですか?」


女性は少し迷った。


「……みさきさんのことです」


「!」


「最近、佐渡でいろいろ噂になっていて」


「何が?」


「ストーカーの件です」


俺は黙った。


「みさきさんを追いかけているのは、しげるさんじゃないかって」


「……」


「でも」


女性は声を落とした。


「最近、少し変な話が出てるんです」


「変な話?」


「みさきさんを見張っている人間がいる」


「……誰?」


「それが分からないんです」


俺は息を呑んだ。


「ただ……」


女性は言葉を濁した。


「昔から、みさきさんの周りにいた男の人たちが、今も彼女を守っているんです」


「男?」


「ええ」


「誰です?」


「ひろきさんとか……たかしさんとか」


その名前を聞いた瞬間。


俺の中で。


十二年前の記憶が蘇った。


――たかし。


――ひろき。


高校時代。


俺とみさきの間に入り込んできた二人。


「……あいつら、今もみさきの周りにいるんか?」


「はい」


女性は頷いた。


「みさきさんを守るために、何人かで集まっているそうです」


「何人?」


「十人くらい……だったと思います」


俺は黙った。


十人。


そんな人数が。


今もみさきの周りにいる。


そして。


俺をストーカーだと思っている。


偶然なのか。


それとも。


十二年前から続いている何かがあるのか。


女性が帰ったあと。


俺は一人で厨房に立っていた。


手には。


佐渡から渡された電話番号。


捨てることもできた。


電話をかけることもできた。


迷った。


その夜。


俺は父親に電話をかけた。


「……もしもし」


『しげるか?』


「うん」


父さんの声だった。


十二年ぶりに。


電話越しではあるが。


故郷の父親と話した。


「何で俺を呼ぶん?」


『……話したいことがある』


「みさきのこと?」


『それもある』


「じゃあ、何や?」


父さんは黙った。


長い沈黙。


そして。


低い声で言った。


『お前が島を出たときのことだ』


「……」


『あの日のことを、もう一度話したい』


俺の呼吸が止まった。


「今さら何を?」


『今だからだ』


「どういう意味?」


父さんは答えなかった。


ただ。


最後に一言。


『しげる。帰ってきてくれ』


電話が切れた。


俺はスマートフォンを見つめた。


十二年前。


俺は何もしていない。


そう信じて生きてきた。


でも。


もし。


あの日に。


俺が知らない何かがあったのなら。


そして。


今起きているストーカー事件が。


その続きを意味するのなら。


俺は。


知らないふりをし続けることはできない。


俺は窓の外を見た。


梅田の夜。


たくさんの人が歩いている。


俺が選んだ街。


俺が築いた人生。


そして。


その向こうにある。


俺が捨てた故郷。


「……帰るしかないんか」


その夜。


俺は初めて。


十二年ぶりに。


佐渡へ帰ることを考えた。

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