第二十話 九龍の華
第二十話 九龍の華
京へ戻った華たちが最初に目にしたのは、いつもの巨大な皇宮ではなかった。
城壁も、朱塗りの門も、幾重にも連なる殿舎も何一つ変わってはいないはずなのに、門前に配置された近衛の数は以前の倍以上に増え、大路を行き交う役人たちの表情からは余裕が完全に消えている。雅山大公主が死に、海陸国で反乱が起こり、鳳国と大亀国まで軍を動かした直後に皇帝暗殺未遂が発生したのだから当然ではあったが、それ以上に華が気になったのは、皇宮全体がまるで誰か一人を恐れているように見えることだった。
「五条」
「何だ」
「兵が多いのに、安心する感じがしない」
五条はしばらく皇宮を見上げ、それから小さく答えた。
「敵が外にいるなら、兵を増やせば安心できる。だが今は、誰が敵なのか分かっていない」
「中にいるから?」
「そういうことだ」
華は馬から降りると、後ろを振り返った。英は再び関白家の娘としての姿に戻っており、顔には面紗を掛けているため、その表情はほとんど分からない。しかし、兄・藤宮が行方不明となり、司からと思われる文まで届いている以上、平静でいられるはずがなかった。すみれはいつも通り英の半歩後ろに控えているが、その右手は袖の中にあり、いつでも鉄扇を抜ける状態になっている。
「先生」
華が声を掛けると、英は僅かに顔を向けた。
「何でしょう」
「藤宮さんは多分生きてる」
「根拠は」
「ない」
英の返事が止まった。
「でも、自分から敵の中に入ったなら、簡単には死なないと思う。それに、あの暗号は俺たちに何かを見せるためだった。だから少なくとも、書いた時点では兄上は生きていた」
英は少しだけ沈黙した後、静かに答えた。
「華様は時々、根拠がないと言いながら、妙に人を安心させることをおっしゃいますね」
「褒めてる?」
「いいえ」
「最近分かってきた。先生、それ大体褒めてる」
面紗の向こうで英がどんな顔をしたのかは分からなかったが、隣のすみれが僅かに笑ったので、華はそれ以上追及しなかった。
◇
皇宮へ入る前に、華たちはまず関白邸へ向かった。
そこでは平岳と橘秀逸、そして源義弘がすでに待っていた。三人とも数日の間に明らかに疲れていたが、平岳だけは相変わらず表情にほとんど出ていない。
華が部屋へ入ると、岳は開口一番に言った。
「帰ってきたか」
「はい」
「海陸国で余計なことをしたそうだな」
「最初にそれ?」
「自治案まで持ち帰ったと聞いた」
華は懐から文書を取り出した。
「海陸国王からです」
岳は受け取ると、ざっと目を通した。横から秀逸も確認し、義弘は内容より華の顔を見ている。
「父上」
「何だ」
「これ、どう思う?」
秀逸は少し考えた後に答えた。
「九龍国としては認めすぎだ」
「じゃあ駄目?」
「そうは言っていない。このままでは駄目だと言っただけだ」
華が少し笑う。
「良かった」
「何が」
「父上なら全部却下するかと思った」
秀逸の眉が動いた。
「私はそこまで頭が固いか」
岳が横から言った。
「固い」
「関白様に言われたくありません」
義弘が僅かに顔を伏せる。どうやらこの三人は、華がいない間にもかなりの時間を一緒に過ごしていたらしい。
しかし、華には聞かなければならないことがあった。
「藤宮さんは?」
岳の表情から、僅かに空気が変わった。
「戻っていない」
英が一歩前へ出る。
「父上」
「分かっておる」
岳は娘を見る。
「生きている」
「なぜ言い切れるのです」
「私の息子だからだ」
英が黙る。
華は少し思った。
この人。
意外と親馬鹿かもしれない。
だが、今は口にしなかった。
「それと」
華は暗号を解いた文を取り出した。
「これ」
岳が受け取る。
秀逸。
義弘。
三人とも読む。
司を追うな。皇宮内。母の敵。
義弘の目が変わった。
「母の敵」
秀逸が低く繰り返す。
岳は文を長く見たあと、英を見た。
「藤宮の暗号か」
「おそらく」
「なら」
岳の目が鋭くなる。
「優希の敵が皇宮内にいる」
華が言った。
「九条雅継?」
三人が華を見る。
「知っているのか」
秀逸が聞く。
「名前は初めて聞いたけど、皇宮襲撃の通行印が内廷文書局のものだったって、途中で伝令から聞いた」
義弘が頷く。
「現在、最も疑いが濃い人物です」
「捕まえないの?」
「消えた」
「え?」
「昨夜から所在不明です」
華の表情が変わる。
内廷文書局。
国家の文書。
勅命。
人事。
記録。
そして母の改革。
「じゃあ」
華が言う。
「皇宮の中にまだいるかもしれない」
義弘が頷く。
「その可能性が高い」
岳が立ち上がった。
「皇帝に会う」
秀逸も立つ。
義弘も。
そして華も当然のように立った。
「お前は残れ」
三人が同時に言った。
華は完全に止まった。
「また?」
岳が言う。
「今回は本当に危険だ」
「俺が狙われてるなら、俺がいないと出てこないかもしれない」
秀逸の顔が変わる。
「自分を餌にするな」
「皇帝はやったでしょ」
「だから私は反対した」
「でも」
華が続けようとしたその時、岳が低い声で言った。
「華」
いつもとは違う声だった。
「優希に頼まれた」
華が止まる。
岳は華を見る。
「あの子たちを頼む、と」
華は何も言えなくなる。
「あの女が最後に私へ残した頼みを」
岳は静かに続ける。
「これ以上、軽く扱わせるな」
英も。
華も。
岳にとっては。
優希が残した子。
華はゆっくり座り直した。
「……分かった」
全員が少し驚いた。
「本当に?」
五条が聞く。
「何で驚くの」
「珍しい」
「俺だって言うこと聞く時ある」
英が小さく言った。
「今日が初めてかもしれません」
「先生まで」
◇
だが、その判断は一刻もしないうちに無意味になった。
皇宮から使者が来たのである。
勅命。
橘華、平英姫、ただちに参内せよ。
岳の顔が完全に固まった。
「二人とも?」
「はい」
使者が頭を下げる。
「陛下直々の御命令にございます」
岳が目を閉じた。
「馬鹿が」
秀逸が咳払いする。
「関白様」
「本人の前でも言う」
「今はいません」
「ならなおさら言う」
華は英を見る。
「呼ばれたね」
「嬉しそうに言わないでください」
「嬉しくはない」
本当に。
嫌な予感しかなかった。
◇
皇宮へ入ると、案内役は吉田司だった。
左腕の怪我はまだ治っていないが、歩き方はいつもと変わらない。
「華様、お帰りなさいませ」
「吉田さん」
「はい」
華は吉田を見る。
じっと。
「何でしょう」
「疑っていい?」
吉田が少し笑った。
「何をでございますか」
「皇帝を襲った人」
「私を?」
「条件だけなら一番怪しい」
吉田は怒らない。
「そうでございますね」
英が華を見る。
「本人に言いますか」
「隠しても仕方ないから」
吉田が静かに言った。
「その判断は正しいと思います」
「じゃあ違う?」
「それを私自身が申し上げても、証拠にはなりません」
華は少し笑った。
「やっぱり吉田さん、結構好き」
吉田が僅かに困ったような顔をする。
五条が後ろから言った。
「簡単に人を好きと言うな」
「人としてだよ」
「お前はその説明を都の女にも必ずしろ」
「何で?」
英とすみれが。
同時に。
小さくため息をついた。
◇
皇帝の部屋へ入ると、大和武尊は一人で立っていた。
華。
英。
岳。
秀逸。
義弘。
五条。
すみれ。
吉田。
全員が揃う。
大和武尊は華を見ると、最初に言った。
「海陸国で随分暴れたそうだな」
「暴れてません」
「軍監が軍略へ口を出し、敵軍へ一人で入り、海陸国王と自治交渉までした」
「一人じゃない」
「そういう意味ではない」
皇帝の口元が僅かに動く。
「自治案は」
華が文書を出す。
「これです」
吉田が受け取り、大和武尊へ渡す。
皇帝はしばらく読んだ。
誰も口を開かない。
やがて。
「面白い」
華が驚く。
「却下じゃない?」
「誰がそう言った」
「父上が認めすぎって」
秀逸が華を見る。
「私はそのままでは、と言った」
「同じようなものじゃ」
「違う」
皇帝が少し笑う。
「親子らしくなってきたな」
華と秀逸が。
同時に。
嫌そうな顔をした。
そこで。
空気が変わった。
大和武尊が文書を置く。
「本題だ」
全員。
表情が変わる。
「九条雅継」
皇帝が言う。
「優希の行政改革を支えた文官の一人だった」
義弘が頷く。
「はい」
「だが」
皇帝は続ける。
「それだけではない」
秀逸が見る。
「何を知っていたのです」
大和武尊は。
少し。
華を見る。
「優希が」
一拍。
「人の記憶と思考を保存する研究をしていたこと」
華の目が変わる。
岳。
英。
義弘。
全員。
黙る。
「九条雅継は」
皇帝が続ける。
「その技術を欲しがった」
「何のため?」
華が聞く。
「永遠に自分を残すためだ」
華の顔が変わる。
「自分を?」
「ああ」
「でも」
華が言う。
「同じ人にはならない」
皇帝の目が。
鋭くなる。
「やはり」
「何が」
「お前」
一拍。
「そこまで知ったか」
秀逸が華を見る。
義弘も。
華は少し。
しまった。
と思う。
でも。
もう隠せない。
「母上の記録を見た」
大和武尊の顔から。
表情が消える。
「研究室へ行ったのか」
「うん」
「どこだ」
「言わない」
岳が額を押さえる。
皇帝。
少し。
笑う。
「優希らしい」
華の眉が動く。
「何が」
「最後まで」
大和武尊が言う。
「私にも場所を教えなかった」
華は。
母の手紙を思い出す。
皇帝を警戒しろ。
そして。
皇帝だけを恨むな。
矛盾。
その答え。
まだ。
分からない。
◇
その時だった。
皇宮の奥。
遠く。
鐘。
一度。
二度。
三度。
吉田の顔が変わる。
「これは」
義弘が立つ。
「内廷封鎖の鐘です」
大和武尊の目が鋭くなる。
「来たか」
岳が皇帝を見る。
「何を知っている」
「知らん」
「なら嬉しそうにするな」
「誰が嬉しそうだ」
直後。
大きな音。
床。
揺れる。
華が立つ。
五条はすでに刀を抜いている。
すみれも。
吉田も。
「地下」
華が言った。
「何?」
五条が見る。
「下から来る」
大和武尊が華を見る。
「なぜ分かる」
「研究室と同じ」
「何が」
「音」
前世。
爆発。
破壊。
空気の振動。
華は。
知っている。
「伏せて!」
次の瞬間。
床の一部が。
吹き飛んだ。
◇
煙。
破片。
悲鳴。
黒装束。
十数人。
一斉に。
部屋へ。
五条が動く。
義弘。
吉田。
すみれ。
そして。
岳。
華は初めて。
関白・平岳が。
刀を抜くところを見た。
速い。
一人目。
首ではなく。
手首。
二人目。
腹。
三人目。
刀を奪う。
「関白様」
華が思わず言う。
「強い!」
岳が怒鳴る。
「感想を言うな!」
英が華を引く。
「華様、下がって!」
「先生も!」
「私は――」
「医者!」
「分かっています!」
混乱の中。
さらに。
地下から。
一人。
現れる。
老人。
九条雅継。
その横。
平司。
そして。
血まみれの。
藤宮。
「兄上!」
英の声。
藤宮は。
立っている。
怪我。
肩。
脇腹。
だが。
生きている。
華の顔。
少し。
明るくなる。
「藤宮さん!」
藤宮が。
僅かに笑った。
「遅い」
「何が!」
「暗号を解くのが」
「結構早かったと思うけど!」
この状況でも。
普通に会話。
岳が息子を見る。
「藤宮」
「父上」
「あとで話がある」
「生きていたら」
「必ず生きろ」
それだけ。
親子。
でも。
十分。
◇
九条雅継が。
大和武尊を見る。
「陛下」
「雅継」
「長い間、お世話になりました」
「礼を言いに来た顔ではないな」
雅継が。
静かに笑う。
「私は」
一拍。
「この国を終わらせに来たのではありません」
「では」
「完成させるのです」
華が眉を寄せる。
「何を」
雅継が。
初めて。
華を見る。
その目。
怖い。
皇帝とは違う。
人を見る目ではない。
物。
研究対象。
「橘華」
「はい」
「ようやく会えた」
華は。
嫌な感覚。
「俺を知ってる?」
「生まれる前から」
英の顔。
変わる。
義弘も。
「あなたは」
雅継が言う。
「優希の最高傑作だ」
華の目が。
冷たくなる。
「その言い方」
「何だ」
「嫌い」
雅継が。
少し笑う。
「感情も正常」
「当たり前」
「思考速度」
「記憶」
「知識」
「判断」
雅継。
興奮。
少しずつ。
顔に出る。
「すべて」
「母上が作った?」
華が言う。
「違う」
雅継が止まる。
「母上は」
華。
続ける。
「俺を作ったかもしれない」
一拍。
「でも」
「俺は母上の作品じゃない」
雅継の笑みが。
消える。
「母上の息子だ」
英が。
華を見る。
岳。
秀逸。
義弘。
それぞれ。
僅かに。
表情。
変わる。
大和武尊だけ。
静か。
◇
雅継が言う。
「優希も同じことを言った」
華の目。
鋭く。
「知ってるの」
「当然だ」
「母上を」
華。
声。
低い。
「殺した?」
大和武尊が。
華を見る。
雅継は。
笑った。
「いいや」
一拍。
「命令したのは」
皇帝を見る。
「陛下だ」
静寂。
分かっていた。
でも。
本人の前。
言葉。
重い。
華は。
大和武尊を見る。
「本当?」
皇帝は。
逃げない。
「本当だ」
秀逸。
拳。
固く。
岳。
目。
閉じる。
義弘。
何も言わない。
華は。
皇帝を見続ける。
「何で」
「優希は」
大和武尊。
答える。
「私の兄弟を殺したことを知っていた」
「うん」
「国家を」
一拍。
「私一人の意思では動かない形へ変えた」
「それが怖かった?」
「怖かった」
即答。
華。
少し。
驚く。
皇帝。
認める。
「そして」
大和武尊。
続ける。
「研究」
華。
黙る。
「人を」
「記憶を」
「人格を」
「未来へ残す」
皇帝。
目。
少し。
遠く。
「私は」
一拍。
「それを理解できなかった」
華。
「だから殺した?」
「だから」
皇帝。
声。
少し。
低く。
「止めようとした」
「同じ」
「違う」
大和武尊。
初めて。
声。
強く。
「私は」
一拍。
「研究を止めろと命じた」
雅継の顔。
ほんの僅か。
変わる。
華。
見逃す。
「母上を殺せって」
皇帝。
「言った」
静寂。
「それは」
大和武尊。
目。
閉じる。
「私の罪だ」
雅継が。
笑う。
「随分都合のよい告白ですな」
皇帝。
見る。
「だが」
大和武尊。
続ける。
「優希を殺した後」
「研究施設まで消せと命じたのは」
一拍。
「私ではない」
華の目。
雅継へ。
「……あなた?」
雅継。
笑み。
戻る。
「研究は」
「一人の女に所有させるには」
一拍。
「価値がありすぎた」
義弘の目。
殺気。
「雅継」
「優希が死んだ後」
雅継。
続ける。
「私は研究を引き継ぐつもりだった」
「だが」
華が言う。
「母上が隠した」
「そうだ」
雅継の顔。
初めて。
苛立ち。
「施設も」
「記録も」
「被験体も」
一拍。
「消えた」
「俺と英先生」
華。
言う。
「そうだ」
雅継。
英を見る。
「E-01」
英の身体。
僅かに。
震える。
すみれ。
一歩前。
「先生を」
目。
冷たい。
「番号で呼ばないでください」
雅継。
興味なさそう。
「第一世代は不完全だった」
華。
「先生は不完全じゃない」
雅継。
「技能継承率は高かったが」
華。
一歩。
「聞いてる?」
五条。
華を止める。
「華」
「俺」
華。
怒っている。
明確に。
「この人嫌い」
「分かる」
五条。
珍しく。
即答。
◇
雅継が。
右手を上げる。
黒装束。
動く。
「橘華を生かしたまま捕らえろ」
五条が。
華の前。
「断る」
「お前に聞いていない」
「俺が答えた」
そして。
戦い。
始まる。
◇
五条。
藤宮。
岳。
義弘。
吉田。
すみれ。
全員。
強い。
華も。
刀。
抜く。
英。
後方。
負傷者。
見る。
黒装束。
一人。
華へ。
速い。
華。
受ける。
重い。
二撃。
三撃。
五条。
来る。
「下がれ!」
華。
一歩。
戻る。
五条。
首。
一閃。
「殺した?」
「今それ聞くな!」
別。
二人。
藤宮。
片方。
受ける。
もう片方。
蹴る。
足。
完全に。
動く。
華。
少し。
感心。
「本当に歩ける」
藤宮。
「後で驚け!」
英。
「華様!」
「分かってる!」
混乱。
でも。
敵。
多い。
さらに。
廊下。
近衛。
来ない。
「何で兵来ない!」
華が叫ぶ。
吉田。
「通路を封鎖されています!」
雅継。
文書。
印。
門。
命令。
全部。
この人。
国の仕組み。
利用。
母が。
作った制度。
その制度で。
皇帝。
殺す。
◇
突然。
華は。
気づく。
「父上!」
秀逸が。
見る。
「何だ!」
「文書局!」
「今何を」
「雅継がここにいるなら」
華。
叫ぶ。
「文書局に命令出してる人が別にいる!」
雅継の顔。
一瞬。
変わる。
秀逸。
理解。
「義弘!」
「はい!」
「外へ!」
義弘。
動く。
雅継が。
「止めろ!」
黒装束。
三人。
義弘へ。
岳。
間。
入る。
「行け!」
義弘。
走る。
華。
思う。
やっぱり。
一人。
じゃない。
◇
その時。
平司が。
動いた。
刀。
誰へ。
華。
ではない。
大和武尊。
「陛下!」
吉田。
間。
入る。
刀。
受ける。
司。
押す。
強い。
吉田。
怪我。
左腕。
使えない。
「吉田さん!」
華。
行こうとする。
五条。
「見るな!」
別。
敵。
華。
刀。
受ける。
その隙。
司。
皇帝へ。
大和武尊。
自分で。
刀。
抜く。
一合。
二合。
司。
押される。
皇帝。
強い。
でも。
背後。
雅継。
短刀。
抜く。
華。
見た。
「皇帝!」
大和武尊。
振り返る。
遅い。
その間。
誰か。
前へ。
平岳。
刃。
腹。
深く。
入る。
「父上!」
英の声。
岳。
雅継の腕。
掴む。
「捕まえた」
血。
口。
雅継。
驚く。
岳。
刀。
振る。
雅継。
肩。
深く。
斬る。
五条。
来る。
雅継。
後退。
岳。
膝。
つく。
「関白様!」
華。
走る。
英も。
「父上!」
英が。
岳。
抱える。
血。
多い。
傷。
深い。
「先生」
華。
見る。
英。
傷。
確認。
顔。
変わる。
「すみれ!」
「はい!」
二人。
処置。
でも。
岳。
英の手。
止める。
「よせ」
「黙ってください!」
「無理だ」
「私が決めます!」
英の声。
初めて。
崩れる。
「父上は患者です!」
岳。
少し。
笑う。
「お前に患者と言われる日が来たか」
「喋らないで!」
「英姫」
「嫌です!」
「聞け」
英。
涙。
面紗。
中。
見えない。
でも。
声。
完全に。
娘。
「華を」
岳。
息。
浅い。
「頼む」
華。
止まる。
「関白様」
「優希には」
岳。
笑う。
「借りがあった」
「だから」
一拍。
「これで」
血。
「少し返せた」
「そんなの」
華。
声。
震える。
「母上が頼んだのは、死んで守れじゃないと思う」
岳。
華を見る。
「分かっておる」
「じゃあ」
「だが」
岳。
息。
「時には」
「生き残らせるために」
一拍。
「死ぬ者もいる」
華。
何も。
言えない。
岳。
英の手。
握る。
「英姫」
「はい」
「顔を」
英。
止まる。
面紗。
岳。
自分の娘。
本当の顔。
知る。
数少ない一人。
英。
ゆっくり。
面紗を。
外す。
華。
初めて。
見る。
平英姫。
本当の。
顔。
美しい。
とか。
そんな言葉。
足りない。
でも。
華は。
それより。
泣いている顔。
見る。
岳。
微笑む。
「母に」
一拍。
「似てきたな」
英。
首。
振る。
「違います」
「そうだな」
岳。
さらに。
「お前は」
息。
「お前だ」
英。
目。
閉じる。
岳。
手。
落ちる。
◇
「父上!」
英の声が。
皇宮。
響く。
華は。
動けない。
関白。
平岳。
皇帝に次ぐ。
権力者。
恨む者。
多い。
冷たい男。
そう。
言われていた。
でも。
最後。
守った。
皇帝。
そして。
華。
英。
優希との約束。
守って。
死んだ。
◇
その瞬間。
華の背後。
殺気。
五条が。
振り返る。
「華!」
遅い。
平司。
刀。
華へ。
司。
目。
狂っている。
「お前さえ!」
華。
振り返る。
刀。
抜く。
間に合わない。
刃。
胸。
深く。
入る。
「――っ」
英が。
顔を上げる。
五条。
司を。
斬る。
司。
倒れる。
華も。
倒れる。
「華様!」
英。
走る。
胸。
血。
多い。
「先生」
華。
声。
出ない。
「喋らないで!」
英。
傷。
見る。
心臓。
ぎりぎり。
肺。
大血管。
「すみれ!」
「はい!」
英の顔。
瞬間。
変わる。
泣いている。
娘。
から。
外科医。
へ。
「手術します」
全員。
止まる。
「ここで?」
吉田。
「このままでは死にます」
英。
即答。
「場所」
華。
意識。
遠い。
でも。
聞こえる。
手術。
あの言葉。
前世。
手術室。
母。
研究。
◇
英は。
皇宮の一室を。
強引に。
手術室へ変えた。
湯。
煮沸。
布。
酒。
刃物。
針。
糸。
すみれ。
完全に。
助手。
吉田。
人。
集める。
五条。
入口。
誰も。
入れない。
秀逸。
外。
立つ。
顔。
完全に。
父。
大和武尊。
少し。
離れて。
華。
見る。
そして。
英。
手。
震えない。
胸。
開く。
血。
「吸って」
すみれ。
布。
「もっと」
「はい」
「ここ」
「見えます」
「肺ではない」
英。
記憶。
外科医。
誰か。
昔の人。
その技能。
今。
華。
救う。
「血管」
英。
小さく。
「切れています」
すみれ。
「止められますか」
英。
答えない。
縫う。
細い。
糸。
一針。
二針。
三針。
華。
脈。
弱い。
「華様」
英。
小さく。
「死なないで」
すみれ。
聞く。
でも。
何も。
言わない。
「あなた」
一拍。
「私に」
「昔の誰かと同じじゃないって」
声。
少し。
震える。
「言ったでしょう」
華。
意識。
ない。
「なら」
英。
続ける。
「あなたも」
一針。
「ここで」
一針。
「終わらないでください」
血。
少し。
減る。
脈。
まだ。
ある。
「先生」
すみれ。
「はい」
「戻っています」
英。
目。
閉じない。
「まだです」
手術。
続く。
一刻。
二刻。
三刻。
◇
夜明け。
英が。
部屋から。
出る。
血。
衣。
疲労。
顔。
本当の姿。
面紗。
もう。
ない。
秀逸。
立つ。
「華は」
英。
数秒。
何も。
言えない。
大和武尊も。
見る。
五条。
壁。
動かない。
藤宮。
怪我。
処置。
終え。
立っている。
すみれ。
英。
支える。
「生きています」
秀逸の身体から。
力。
抜ける。
五条。
目。
閉じる。
皇帝。
何も。
言わない。
英。
続ける。
「ただし」
全員。
見る。
「まだ」
一拍。
「今夜を越えられるか」
声。
小さい。
「分かりません」
◇
三日。
華は。
目を覚まさなかった。
九条雅継は。
義弘が内廷文書局を制圧し。
逃走経路を。
断つ。
最終的に。
藤宮。
捕らえる。
平司。
重傷。
だが。
生存。
全て。
調べる。
雅山大公主。
襲撃。
優希研究施設。
皇帝暗殺。
鳳国。
大亀国。
海陸国反乱。
すべて。
一つ。
ではない。
雅継は。
それぞれの不満。
欲。
恐怖。
利用。
自分だけは。
表。
出ない。
平司。
関白への欲。
雅山。
皇帝への恨み。
諸国。
九龍国への警戒。
全部。
つなぐ。
その目的。
優希の研究。
そして。
華。
人格。
保存。
自分。
永遠。
でも。
終わる。
◇
四日目。
華。
目。
開く。
最初。
白い。
天井。
「……また」
声。
弱い。
「手術室?」
英が。
横。
眠っていた。
顔。
本来。
面紗。
ない。
華。
少し。
見る。
「先生」
英。
目。
開く。
数秒。
華。
見る。
「華様?」
「うん」
次の瞬間。
英。
泣く。
本当に。
泣く。
華。
驚く。
「先生」
「喋らないでください」
「でも」
「喋らないで」
「はい」
華。
黙る。
少し。
して。
「先生」
「何です」
「綺麗だね」
英。
完全に。
止まる。
華。
まだ。
分からない。
ただ。
思った。
から。
言う。
「そばかす」
「なかった」
英の目。
一気に。
冷たくなる。
「今それを言いますか」
華。
少し。
笑う。
胸。
痛い。
「痛っ」
「だから喋るなと!」
すみれ。
外。
笑う。
五条。
「生きてるな」
華。
「五条」
「何だ」
「心配した?」
「してない」
「嘘」
「寝ろ」
いつも。
通り。
◇
その日の夕方。
大和武尊が。
来た。
一人。
華。
寝ている。
英。
席。
外す。
五条。
残る。
皇帝。
華を見る。
長い。
「死にかけたな」
「皇帝も」
「私は死にかけていない」
「関白様が」
華。
声。
少し。
止まる。
岳。
死んだ。
大和武尊。
目。
伏せる。
「岳には」
「うん」
「借りができた」
「返せない」
「そうだ」
皇帝。
静か。
華。
少し。
皇帝を見る。
「母上」
大和武尊。
顔。
変わらない。
「殺したんだね」
「そうだ」
「許してほしい?」
「いや」
即答。
華。
少し。
驚く。
「なぜ」
「許されることではない」
大和武尊。
言う。
「私は」
一拍。
「皇帝として」
「優希を恐れた」
「人として」
少し。
「優希を愛していた」
華。
完全に。
止まる。
「父上が」
「知っている」
「でも」
「秀逸から」
皇帝。
目。
逸らす。
「奪うつもりはなかった」
華。
「じゃあ」
「優希は」
「秀逸を選んだ」
大和武尊。
小さく。
笑う。
「私ではなく」
華。
少し。
父。
思う。
橘秀逸。
まだ見ぬ父。
血。
つながらない。
でも。
父。
◇
皇帝。
しばらく。
黙る。
そして。
ついに。
言う。
「華」
「何」
「お前は」
一拍。
「私の息子だ」
華。
母。
手紙。
思い出す。
皇帝があなたを自分の子だと言い出した時こそ、最も警戒しなさい。
華の目。
変わる。
「母上」
大和武尊。
少し。
驚く。
「何だ」
「当ててた」
「何を」
「皇帝が」
華。
少し。
笑う。
「俺を自分の子って言うって」
大和武尊。
完全に。
黙る。
華。
続ける。
「でも」
「うん」
「違うよ」
皇帝。
見る。
「俺には」
華。
ゆっくり。
「普通の意味の父親はいない」
大和武尊の顔。
変わる。
「知ったか」
「うん」
「義弘から?」
「一部」
「優希の記録も」
「うん」
皇帝。
少し。
目。
閉じる。
「なら」
「何で」
華。
聞く。
「俺を息子って言うの」
長い。
沈黙。
大和武尊。
答える。
「優希が」
一拍。
「お前を作るため」
「私の遺伝情報を」
華。
顔。
止まる。
「使った?」
「一部」
皇帝。
言う。
「秀逸も」
華。
さらに。
驚く。
「父上も?」
「ああ」
「優希自身も?」
「一部」
華。
目。
閉じる。
「混ぜた?」
「正確には」
皇帝。
「私にも分からん」
華。
思わず。
笑う。
痛い。
「何だ」
「いや」
胸。
押さえる。
「結局」
一拍。
「誰の子でもあるし」
もう一拍。
「誰の子でもない」
皇帝。
少し。
笑う。
「そうだな」
華。
「だから」
皇帝。
見る。
「父親って言った?」
大和武尊。
答える。
「違う」
華。
「じゃあ」
皇帝。
少し。
言葉。
迷う。
初めて。
「優希が」
一拍。
「お前を」
「私にも守らせようとした」
華。
「母上が?」
「お前が生まれた後」
皇帝。
続ける。
「一度だけ」
「うん」
「私へ」
一拍。
「この子を」
「自分の子だと思えるなら」
「守って」
華。
何も。
言わない。
母。
皇帝を恐れ。
皇帝に殺され。
それでも。
守らせようとした。
「でも」
華。
言う。
「母上」
「皇帝を警戒しろとも書いてた」
大和武尊。
一瞬。
そして。
大きく。
笑う。
「優希らしい」
華も。
少し。
笑う。
「みんなそれ言う」
◇
数か月後。
九龍国。
大きく。
変わる。
九条雅継。
反逆。
公開。
内廷文書局。
解体。
文書権限。
複数部署へ。
分散。
母。
優希。
制度。
もう一度。
作り直す。
海陸国。
自治権。
拡大。
九龍国。
宗主権。
残す。
税。
減る。
地方官。
海陸国側。
任命。
裁判権。
一部。
戻す。
東昇国。
保証。
鳳国。
大亀国。
通商会議。
参加。
戦争。
終わる。
平司。
爵位。
官位。
剥奪。
生涯。
幽閉。
藤宮。
下半身不随。
嘘。
公表。
近衛大将。
復帰。
ただし。
本人。
嫌がる。
英姫。
町医者。
続ける。
関白家。
岳。
死。
後継。
藤宮。
でも。
本人。
「面倒」
言う。
皇帝。
強制。
関白。
就任。
華。
十四。
高野山。
戻らない。
京。
学ぶ。
東昇国。
玄理。
招待。
受ける。
半年。
留学。
◇
そして。
二年後。
華。
十六歳。
英姫。
十九歳。
二人。
関白邸。
庭。
華。
書類。
山。
「何これ」
英。
町医者姿。
「華様がお作りになった行政改革案です」
「多すぎる」
「自分で作ったのでしょう」
「昨日の俺を止めてほしい」
「無理です」
華。
ため息。
「先生」
「何です」
「結婚する?」
英。
手。
止まる。
「…………」
華。
普通。
「父上が」
「どちらの」
「秀逸父上」
英。
少し。
笑いそう。
「何と」
「そろそろ身を固めろって」
英。
目。
冷たい。
「それで私?」
「うん」
「理由は」
華。
少し。
考える。
「一緒にいると」
英。
見る。
「楽」
英。
「…………」
華。
続ける。
「先生なら」
「俺が変なことしても」
「止める」
「怪我したら」
「治す」
「あと」
少し。
「話してて」
「楽しい」
英。
完全に。
黙る。
華。
「駄目?」
英。
面。
少し。
赤い。
でも。
華。
気づかない。
「華様」
「何」
「女性への求婚として」
一拍。
「最低に近いです」
華。
驚く。
「何で!」
すみれ。
離れた場所。
笑っている。
五条。
さらに。
遠く。
「知っていた」
華。
「何が!」
英。
少し。
笑う。
本当の。
笑顔。
「ですが」
華。
止まる。
「はい」
英。
答える。
「お受けします」
華。
少し。
驚く。
「本当に?」
「はい」
「何で」
英。
目。
細く。
「今それを聞きますか」
華。
完全に。
分からない。
すみれ。
頭。
抱える。
◇
橘華。
前世。
天才的。
記憶力。
そう。
本人は思っていた。
でも。
実際。
手のつけられない脳腫瘍。
未来へ。
冷凍保存。
脳内情報。
AI。
スーパーコンピュータ。
記録。
それが。
長い。
長い。
時間。
越え。
橘優希。
拾う。
人格。
記憶。
知識。
思考。
そして。
新しい。
生命。
華。
生まれる。
英姫。
先。
生まれる。
実験。
でも。
二人。
実験体。
ではない。
人。
華。
言う。
「先生」
「何です」
「俺たち」
「はい」
「母上の」
「研究の結果なんだよね」
英。
「そうですね」
「でも」
華。
庭。
空。
見る。
「それだけじゃない」
英。
華。
見る。
「私もそう思います」
華。
少し。
笑う。
九龍国。
空。
青い。
この国。
皇帝。
絶対。
でも。
少しずつ。
制度。
変わる。
六国。
争う。
でも。
話す。
未来。
誰にも。
分からない。
華。
前世。
未来。
知っている。
でも。
未来を。
そのまま。
作る気。
ない。
「華様」
英。
「何」
「何を考えておられますか」
華。
答える。
「この国」
一拍。
「もっと面白くできるかなって」
英。
ため息。
「また仕事を増やすおつもりですか」
「母上に似た?」
英。
少し。
笑う。
「はい」
華。
「それ」
「最近」
一拍。
「一番嬉しい」
庭。
風。
吹く。
二人。
並ぶ。
遠く。
藤宮。
書類。
怒鳴る。
秀逸。
さらに。
書類。
持ってくる。
五条。
逃げる。
すみれ。
笑う。
皇帝。
呼び出し。
使者。
来る。
華。
顔。
引きつる。
「やっぱり高野山戻ろうかな」
英。
即答。
「駄目です」
「何で」
「私を置いて逃げるおつもりですか」
華。
止まる。
少し。
笑う。
「じゃあ」
手。
出す。
「一緒に行く?」
英。
その手。
見る。
そして。
取る。
「どこへ」
華。
答える。
「分からない」
英。
笑う。
「なら」
一拍。
「一緒に考えましょう」
華。
頷く。
九龍国。
その後。
六国。
歴史。
大きく。
変わる。
行政。
司法。
医学。
軍事。
教育。
AI。
古代文明。
そして。
人の記憶。
まだ。
秘密。
いくらでも。
残る。
でも。
それは。
また。
別の物語。
ただ。
後世。
九龍国の歴史書には。
この時代。
一人の少年。
記される。
皇帝の子。
太政大臣の子。
優希の子。
未来の記憶。
持つ者。
そんな。
複雑な説明。
ではなく。
もっと。
単純に。
六国の時代を終わらせ、新しい時代への扉を開いた男。
その名。
橘華。
そして。
彼の隣には。
いつも。
一人の女。
いた。
平英姫。
表。
関白家。
姫。
顔。
面紗。
隠す。
裏。
町医者。
そばかす。
田舎娘。
そして。
華だけが。
知る。
本当の。
姿。
華は。
後年。
聞かれる。
「英姫様のどこに惚れられたのですか」
華。
考える。
長く。
考える。
そして。
答える。
「……最初から先生だったから?」
英姫。
その横。
笑う。
「やはり分かっておられませんね」
華。
最後まで。
女心だけは。
理解できなかった。
第二十話 九龍の華 完
――第一部・完――




