第十一話 関白と蔵人頭
第十一話 関白と蔵人頭
雅山大公主が死んだ夜。
九龍国の都は、表面上だけは静かだった。
月は出ている。
風もない。
大路には夜警の兵が立ち、遠くでは寺の鐘が鳴っている。
だが。
その静けさの裏で。
何百人もの役人、兵、密偵、貴族の使者たちが動いていた。
皇帝の妹。
雅山大公主。
その死は。
一人の皇族が殺されたというだけの話ではない。
宮廷の権力均衡そのものを。
大きく揺らす。
その夜。
橘家にも。
二人の男が訪れた。
◇
「関白と蔵人頭?」
華は家令を見た。
「はい」
「二人一緒?」
「ご一緒にお越しではございません」
家令が答える。
「ほぼ同時に到着されました」
「偶然?」
「私には何とも」
華は五条を見る。
五条はすでに立っていた。
「行くぞ」
「俺も?」
「お前に会いに来た」
「何で」
「俺に聞くな」
今日だけで何回これを言われただろう。
華は自分の手を見る。
雅山の血。
もう洗い落としている。
それでも。
まだ残っている気がする。
――優希は失敗したのではない。
――成功したから殺された。
あの言葉。
聞かなければ。
華はすぐにでも布団に入っていたかもしれない。
でも。
今は眠れない。
「会う」
華は言った。
五条が頷く。
◇
客間へ向かう途中。
父・秀逸が現れた。
「華」
「父上」
秀逸は華を見る。
目。
衣。
怪我。
全部確認する。
「身体は」
「大丈夫」
「医師は」
「診てもらった」
「誰に」
華が少し止まる。
「英先生」
秀逸の眉が動く。
また。
「知ってるでしょ」
「後だ」
「また?」
「後だ」
父も頑固だ。
「関白様と義弘殿が来ている」
秀逸が言う。
「義弘殿?」
「源義弘。蔵人頭だ」
「母上を知ってる人?」
秀逸の目が僅かに変わる。
「そうだ」
「どれくらい」
「かなり深く」
華は歩き出す。
秀逸が呼び止める。
「華」
「何?」
「今夜」
秀逸の声が低くなる。
「聞いたことを全部信じるな」
華は父を見る。
「二人とも信用できない?」
「違う」
「じゃあ?」
秀逸は少し考えた。
「人間は」
一拍。
「自分が知っている範囲でしか真実を語れない」
華の顔が少し変わる。
「嘘をついてなくても間違う?」
「ああ」
「父上も?」
「当然だ」
また。
こういうところ。
説庵に似ている。
「分かった」
華は答えた。
そして。
「父上」
「何だ」
「一緒に来ないの?」
「行かない」
「どうして」
「二人が会いたいのはお前だ」
「父上がいた方が」
「華」
秀逸の目が鋭くなる。
「私がいれば」
少しだけ。
声が柔らかくなる。
「お前は私の顔を見る」
華が黙る。
「自分で聞け」
「自分で考えろ?」
「ああ」
父も。
やはり同じだった。
◇
客間。
先に目に入ったのは。
大きな男だった。
五十代半ば。
体格は良い。
背筋。
まっすぐ。
顔は端正というより。
厳しい。
無駄な表情がない。
華を見る目。
冷たい。
いや。
冷たいように見える。
この人。
多分。
人から好かれるための顔を。
最初からする気がない。
平岳。
九龍国関白。
皇帝・大和武尊に次ぐ権力者。
平英姫の父。
そして。
大公主とつながっている可能性のある参議・平司の父。
その隣。
もう一人。
細身。
五十代。
地味な衣。
目立たない。
だが。
目。
異常に鋭い。
こちらは。
源義弘。
蔵人頭。
九龍国の治安・情報機構を統括する人物。
母・優希が生きていた頃。
護衛兼助手として彼女の近くにいた。
華は部屋に入った。
「橘華です」
頭を下げる。
岳が言った。
「知っている」
華の眉が少し動く。
五条と同じ返し。
「関白様?」
「ああ」
「平英姫のお父上」
沈黙。
岳の眉が。
ほんの少し。
動いた。
義弘が華を見る。
五条が目を閉じる。
華は気づく。
「何かまずかった?」
岳が言う。
「英姫と会ったのか」
「はい」
「どこで」
「村」
「何をしていた」
華は少し考える。
英との約束。
平家では知らないことにする。
でも。
父親。
しかも本人が知っている。
「……医者?」
岳が目を閉じた。
「そうか」
何だ。
その反応。
「駄目なんですか?」
「駄目と言っても聞かん」
「先生が?」
「そうだ」
「分かります」
岳が華を見る。
初めて。
少しだけ人間らしい顔。
「分かるのか」
「頑固だから」
義弘が僅かに顔を伏せる。
笑った?
岳の目が華へ。
「お前に言われたくはないだろう」
「何で俺?」
「会って一日で分かる」
五条が小さく頷いた。
華は五条を見る。
「何で同意するの」
「事実だからだ」
ひどい。
◇
「座れ」
岳が言う。
誰の屋敷だ。
華は少し思った。
でも。
座る。
義弘が華を見る。
ずっと。
何も言わない。
「蔵人頭様」
華が言った。
「はい」
「さっきから俺の顔見てますよね」
義弘の目が僅かに変わる。
「申し訳ございません」
「母上に似てます?」
義弘が止まった。
岳も。
華は続ける。
「みんな言うから」
義弘は少しだけ笑った。
「目が」
「目?」
「よく似ておられます」
「母上の目?」
「はい」
華は自分の目を触る。
当然。
自分では分からない。
「性格は?」
義弘が少し考える。
「優希様より」
一拍。
「面倒かもしれません」
「また!」
岳の口元が。
ほんの僅かに動く。
五条も。
華は不満だ。
「母上ってそんな面倒だったんですか」
岳が即答した。
「面倒だった」
「関白様まで」
「会議を一つ開けば十個仕事を増やす女だった」
義弘が言う。
「しかし、必要な仕事でございました」
「必要だから余計に腹が立つ」
岳が答える。
華は二人を見る。
この二人。
母を。
よく知っていた。
敵意ではない。
懐かしさ。
それが分かる。
「母上は」
華が言った。
「どんな人だった?」
岳と義弘の表情が変わる。
華は続ける。
「頭がいい」
「うん」
「国の仕組みを変えた」
「うん」
「怖い」
雅山の言葉。
「それも聞いた」
沈黙。
「でも」
華は二人を見る。
「俺、母上のこと全然知らない」
声。
少しだけ。
小さくなる。
「普通に笑ったり」
「怒ったり」
「何が好きだったとか」
「父上とどうやって結婚したとか」
華は。
自分でも。
少し驚いた。
知りたいことは。
国の秘密だけではない。
母親。
その人自身。
義弘がゆっくり言った。
「甘いものがお好きでした」
「え?」
「特に栗を」
華が義弘を見る。
「栗?」
「はい」
岳が言う。
「茶は濃いものを嫌った」
「そうなんですか」
「酒は弱いくせに飲みたがった」
義弘が言う。
「一杯で赤くなられました」
「…………」
華は少し笑った。
初めて。
母親が。
人間になった気がした。
国を変えた天才。
謎の研究者。
ではなく。
甘いものが好きで。
酒に弱い。
一人の女性。
「父上は知ってるかな」
岳が答える。
「全部知っている」
「でも教えてくれない」
「秀逸は」
岳が少しだけ目を細める。
「優希の話をすると、今でも顔が変わる」
華は昼間の父を思い出した。
――好きだったんだ。
多分。
今も。
◇
「雅山大公主」
岳が言った。
空気が変わる。
華の笑みが消える。
「死ぬ前に」
岳の声。
冷静。
「何を話した」
五条が華を見る。
義弘も。
華は少し考える。
隠す理由。
ない。
少なくとも。
一部は。
「皇帝を疑え」
岳の表情。
動かない。
「関白を疑え」
岳が華を見る。
「蔵人頭も」
義弘は静か。
「父上も」
そして。
「自分自身を」
部屋。
完全に静まる。
義弘が言う。
「それだけですか」
「あと」
華は手を見る。
雅山の血。
「母上は」
言う。
「失敗したから殺されたんじゃない」
岳の目が変わる。
義弘も。
「成功したから殺された」
沈黙。
長い。
華は二人を見る。
「何に?」
誰も答えない。
「母上は何に成功した?」
岳が義弘を見る。
義弘も岳を見る。
何だ。
この反応。
二人とも。
知っている。
「教えて」
華が言う。
岳が。
静かに答えた。
「知らん」
華の眉が動く。
「嘘」
「嘘ではない」
「じゃあ何で今」
「華」
岳の声が低くなる。
「優希が」
一拍。
「何かを作っていたことは知っている」
華の心臓。
少し速くなる。
「何を」
「知らん」
「義弘さんは?」
義弘が答える。
「私も全容は存じません」
「護衛兼助手だったんですよね」
初めて。
義弘の顔が。
明確に変わった。
「どなたから」
「オジィ」
半分嘘。
説庵から直接詳しく聞いたわけではない。
でも。
設定として。
華は知っている。
義弘が小さく息を吐く。
「説庵様なら仕方ありません」
「何を手伝ってた?」
「研究」
「何の」
「分かりません」
「助手なのに?」
義弘が華を見る。
「私は」
一拍。
「優希様が必要とした物を集め」
「人を遠ざけ」
「警護し」
「記録を運びました」
「中身は?」
「読まぬよう命じられておりました」
華は少し考える。
「読まなかった?」
「はい」
「一度も?」
「一度だけ」
義弘が答えた。
岳の目が義弘へ。
初耳らしい。
「何を見た?」
華が聞く。
義弘は。
少し黙る。
「人の」
一拍。
「記憶を残す方法」
華の呼吸が。
止まりかける。
五条が華を見る。
岳も。
華は。
表情を変えないようにした。
「記憶?」
「そう記されていました」
「どうやって」
「分かりません」
「文字は?」
義弘の目が。
少し動く。
「見慣れぬ文字もございました」
華の頭。
高野山。
黒い板。
《生体人格情報》
《AI統合処理》
つながる。
「それ」
華が言った。
「今もある?」
義弘は首を振る。
「研究室ごと失われました」
「燃えた?」
「そう聞いております」
「誰が」
義弘は答えない。
華の声が。
低くなる。
「皇帝?」
岳が言った。
「その名を」
「軽く口にするな?」
華が岳を見る。
「父上にも言われました」
「なら学べ」
「でも」
華も引かない。
「母上が皇帝に殺されたなら」
部屋の空気が。
さらに冷たくなる。
「俺は知る権利がある」
岳が華を見る。
冷たい。
怖い。
だが。
華も目を逸らさない。
「権利」
岳が言う。
「そんなものは」
一拍。
「お前を守らん」
華の眉が動く。
「何?」
「真実を知れば」
岳の声。
重い。
「自動的に強くなると思うな」
「思ってない」
「なら」
岳が少し身を乗り出す。
「今の自分が知った真実に耐えられるか考えろ」
華は答えない。
「お前の母は」
岳が続ける。
「知りすぎた」
その言葉。
華の胸へ。
刺さる。
「だから死んだ?」
岳は答えない。
「じゃあ」
華が言う。
「俺にも知らないでいろって?」
岳は。
一瞬。
目を閉じた。
「そうしたい」
華が驚く。
言い切った。
「なぜ」
「優希に」
岳が言う。
「世話になった」
華は黙る。
「命を救われた」
「母上に?」
「ああ」
岳の声。
少しだけ。
昔を見るようになる。
「まだ私が今ほど力を持っていなかった頃」
「政争で」
一拍。
「私は殺されかけた」
義弘が岳を見る。
華は聞く。
「母上が助けた?」
「そうだ」
「医者でもないのに?」
岳が小さく笑う。
「優希は」
「何でもやる女だった」
華も少し笑う。
想像できる。
「その時」
岳が言う。
「優希に言われた」
「何て?」
岳は。
華を見る。
「もし私に何かあったら」
一拍。
「――あの子たちをお願い」
華の目が止まる。
「あの子たち?」
義弘も。
僅かに顔を上げる。
岳が言ってから。
しまった。
という表情。
本当に。
ほんの一瞬。
でも。
華は見逃さない。
「今」
華が言う。
「『あの子たち』って言った?」
岳は黙る。
「俺だけじゃない?」
沈黙。
「誰?」
岳が言う。
「忘れろ」
「無理」
「華」
「記憶力いいから」
岳が額を押さえた。
義弘が。
初めて少し笑った。
「優希様と同じです」
「どこが」
「一度気づくと絶対に離さないところが」
華は岳を見る。
「誰?」
「言わん」
「関白命令?」
「そうだ」
「俺、関白の部下じゃない」
岳の眉間に皺。
五条が小さく。
「華」
「何」
「そろそろやめろ」
「何で」
「関白が本気で怒る」
「怒ってる?」
華が岳を見る。
岳。
完全な無表情。
「分かりにくい」
「お前が言うな」
岳と五条。
声が重なる。
華が少し驚く。
義弘が。
今度こそ。
明らかに笑った。
◇
その時。
外。
慌ただしい足音。
「太政大臣様!」
声。
秀逸。
続いて。
戸が開く。
父が入る。
「何事です」
家臣が後ろ。
「平司参議が」
岳の目が変わる。
藤宮の弟。
英姫の兄。
「司が何だ」
岳が聞く。
「都を出ました」
「どこへ」
「西へ」
華が言う。
「海陸国?」
家臣が華を見る。
「その可能性が」
岳が立つ。
「何人」
「供回り七名」
「追手は」
「すでに」
「止めろ」
全員が岳を見る。
「父上?」
華が思わず言う。
岳が華を見る。
「誰が父だ」
「あ、違う」
混乱した。
秀逸が華を見る。
「華」
「ごめんなさい」
岳がため息。
「追手は止めろ」
義弘が聞く。
「理由を」
岳の目。
鋭い。
「司が」
一拍。
「雅山を殺したなら」
部屋が静まる。
「逃げる先を知りたい」
藤宮と。
同じ発想。
華は思った。
この親子。
やはり似ている。
「泳がせる?」
華が言う。
岳が華を見る。
「そうだ」
「でも逃げたら」
「逃げさせる」
「危険では」
「危険だ」
岳は即答。
「だが」
一歩。
「雅山の背後に」
もう一歩。
「まだ誰かいるなら」
岳の顔から。
完全に父親の色が消える。
関白。
九龍国第二の権力者。
その顔。
「司は」
一拍。
「そこへ向かう」
義弘が頷く。
「蔵人所から影を付けます」
「信用できる者だけにしろ」
「承知」
華は聞く。
「俺は?」
三人。
同時に華を見る。
「何?」
秀逸。
岳。
義弘。
三人。
ほぼ同時に。
「何もするな」
華が固まった。
五条が後ろで小さく笑う。
「何で!」
秀逸が言う。
「お前が動くと話が増える」
岳。
「狙われている自覚を持て」
義弘。
「華様のお命を守る方が、こちらの仕事が減ります」
華は不満だ。
「でも俺が狙われてる話でしょ」
岳が言う。
「だからだ」
「本人なのに」
「本人だから」
華は五条を見る。
「何か言って」
「俺は三人に賛成だ」
裏切り者。
◇
話が終わり。
岳と義弘が帰ろうとする。
華は岳を呼び止めた。
「関白様」
岳が振り返る。
「何だ」
「あの子たち」
岳の眉が僅かに動く。
「忘れろと言った」
「忘れられない」
「知っている」
「誰?」
「言わん」
「英先生?」
岳の顔。
止まった。
一瞬。
それだけ。
でも。
華には。
十分だった。
「……先生なんだ」
岳の目が冷たくなる。
「何も言っていない」
「顔」
「見るな」
「関白様」
「何だ」
「嘘、下手?」
義弘が咳をした。
五条が壁へ顔を向ける。
秀逸まで目を閉じた。
岳は。
華を長く見た。
「華」
「はい」
「お前」
一拍。
「都に来て何日目だ」
「二日」
「もう少し馬鹿になれ」
「オジィにも似たこと言われた」
「説庵様の苦労が分かった」
華は。
少し笑った。
岳は背を向ける。
「英姫のことは」
「うん」
岳が止まる。
ほんの一瞬。
「巻き込むな」
華の笑みが消えた。
「巻き込む?」
岳は振り返らない。
「お前の周囲では」
一拍。
「これから人が死ぬ」
華は黙る。
「その覚悟がないなら」
岳が静かに言う。
「誰にも近づくな」
そして。
歩き去る。
義弘も続く。
華は。
その背中を見ていた。
◇
屋敷の外。
義弘と岳。
二人。
牛車へ向かう。
「岳様」
義弘が言う。
「英姫様のことを」
「言うな」
「華様は気づかれました」
「分かっておる」
「優希様の」
岳が止まる。
「義弘」
声。
低い。
「今は」
一拍。
「英姫に華の出生を知らせるな」
義弘の顔が変わる。
「華様にも?」
「当然だ」
「しかし」
「まだ早い」
「いつまで」
岳が夜空を見る。
「優希が」
一拍。
「二人を会わせることまで想定していたのか」
義弘は答えない。
分からない。
橘優希。
死してなお。
その計画の全体を。
誰も知らない。
「もし」
義弘が言う。
「華様と英姫様が」
岳が義弘を見る。
「何だ」
義弘は。
少し考えて。
やめた。
「いえ」
岳は再び歩く。
だが。
心の中。
一つ。
嫌な予感があった。
優希。
お前は。
どこまで。
考えていた。
◇
同じ頃。
都の西。
平司は。
馬を走らせていた。
七人。
供。
目的地。
海陸国。
だが。
司には。
もう一つ目的がある。
懐。
雅山から渡された手形。
死者の証文。
何の価値もない。
はずだった。
「参議様」
家臣が言う。
「この先でございます」
山。
小さな宿場。
一軒の屋敷。
目立たない。
司が馬を止める。
「本当にここか」
「はい」
「大公主様が」
一拍。
「何かあった場合には、ここへ来るようにと」
司の目が変わる。
雅山。
死んだ。
だが。
保険を残していた。
司が屋敷へ入る。
暗い。
人影。
奥。
一人。
座っている。
顔。
見えない。
「平司」
声。
男か。
女か。
分かりにくい。
司が止まる。
「誰だ」
人影が答える。
「雅山大公主との契約を」
一拍。
「引き継ぐ者だ」
司の顔が変わる。
「契約?」
「皇帝を殺す」
一つ。
「橘華を殺す」
二つ。
「平岳を失脚させる」
三つ。
そして。
「お前を関白にする」
司の目が。
大きく開く。
「なぜ」
人影が笑う。
「それがお前の望みだろう」
司は。
ゆっくり。
座った。
知らない。
その屋敷から。
少し離れた木の上。
一人の影。
蔵人所の密偵。
そして。
さらに。
その密偵すら知らない場所から。
もう一人。
平藤宮の人間が。
すべてを見ていた。
◇
橘家。
深夜。
華は。
眠れずにいた。
黒い板。
手元。
《生体人格情報》
《AI統合処理》
義弘の言葉。
――人の記憶を残す方法。
そして。
岳。
――あの子たちをお願い。
華は考える。
母が作ったもの。
一人ではない。
俺。
そして。
英先生?
「まさかね」
呟く。
そのとき。
窓。
音。
小石。
華が見る。
もう一度。
こつん。
「五条?」
返事なし。
華が窓を開ける。
庭。
誰もいない。
ただ。
小さな包み。
華は眉を寄せる。
拾う。
中。
古い金属片。
そして。
一枚の紙。
文字。
――橘優希の研究室を知りたければ、明日、東寺の南門へ一人で来い。
華は。
長い間。
その紙を見ていた。
「一人で」
呟く。
背後。
声。
「行くな」
華が飛び上がる。
「うわっ!」
五条。
壁際。
「いつからいた!」
「最初から」
「寝てたんじゃないの?」
「護衛だ」
華は紙を隠す。
「見た?」
「全部」
「最悪」
五条が手を出す。
「寄越せ」
「嫌だ」
「華」
「母上の研究室」
「罠だ」
「分かってる」
「なら行くな」
華は。
金属片を見る。
表面。
僅かに。
文字。
この世界では。
存在しない文字。
英数字。
K-01
華の心臓が。
強く鳴った。
「五条」
「何だ」
「これ」
見せる。
「俺が」
一拍。
「昔使ってた文字だ」
五条の表情が。
初めて。
完全に止まった。
第十一話 関白と蔵人頭 了




