大学編 第1話:「チェリー大学」
第1巻 - 第1話 - [閲覧注意: MA26+]
[ナレーター:場所が人を救うことがある。壊れた破片を大切に抱え、どう修復すべきかを見守ってくれる場所。ジェレミー高校は、まさにそんな場所だった。政府の陰謀、超能力、そして長い名前を持つ校長。そこは、リユラ・シコが「演じる笑い」を捨て、「本物の笑い」を手に入れた場所だ。門は閉じられた。蝶ネクタイはポケットに、だが以前とは違う意味を持って。桜が舞うのは、承諾もなしに足を踏み入れた新しい街、大阪。自分をまだ誰も知らない場所で、アイデンティティを再定義する恐怖。チェリー大学へようこそ。自分を形作っていた壁のない世界へようこそ。]
第一部:大阪への列車
リユラは窓の外を流れる景色を見ながら、ジェレミー校長との最後の会話を思い出していた。
2週間前、校門の前。
「君なら大丈夫だ」校長は言った。外交的な温かさではなく、フラットで、それゆえに信頼できる本物の言葉。
「 surviving(生き残ること)は学校で教えた。大学は living(生きること)を学ぶ場所だ。自分に辛抱強くありなさい」
「忘れてしまったらどうしよう」リユラは聞いた。「ここ以外での、自分のあり方を」
「忘れないよ」校長は微笑んだ。「君は、君の『人々』を連れて行くんだから。選んだ仲間がいれば、一人で覚えている必要はない」
列車の中、隣ではヤカミラが行動心理学の本を読んでいる。相変わらずの沈着冷静さと、相変わらずの感情の抑圧。
リユラの心の内: 校長は正しい。ヤカミラはここにいて、ミヤカは明日着く。サブラシイは今朝6回も電話してきた。ジサツはキャンパスで待っている。パンさんのパン屋も、もう南キャンパスにオープンしている。私は大丈夫だ。猛烈に怖いが、大丈夫だ。その両方が、今の私のデフォルトなんだ。
「やってるね」ヤカミラが本から目を離さずに言った。「窓を見て、頭の中でうるさく処理してる。顔に出てるよ」
「そんなこと――」
「20分もやってる。何かと深く格闘してる顔だ」
ヤカミラはページをめくった。「格闘してなよ。着いたら教えてあげるから」
リユラは、死をループで経験し、生還したこの銀髪の兄を見た。「ヤカミラ、君は――大丈夫なの? 大阪、その、ジェレミー高校を離れること」
「ジェレミー高校は役目を果たした。私は定期的に戻るつもりだ。教育や研究、創設者の件もある。ただ、そこが『主要な場所(Primary location)』ではなくなった。私はそれに適応しようとしているだけだ」
「適応は難しい?」
ヤカミラは銀色の瞳でリユラを見つめた。「難しいこともあるね。……もっと簡単な質問にしてくれ」
第二部:チェリー大学 ― 第一印象
キャンパスは美しかった。
伝統を感じさせる建築、あらゆる小道に植えられた桜の木。
「30秒だけ、この美しさをただ味わわせてくれないか」リユラは言った。
ヤカミラは30秒待ち、「美しいね。さて、アパート、地図、オリエンテーションだ」と言った。
アパートは狭かった。
ヤカミラは自分の側を完璧に整頓し、リユラは適当に荷物を置く。ジェレミー高校を去る時からポケットに入れていた「黄色い星のヘアピン」を、リユラは窓辺に置いた。
リユラの心の内: ジェレミー高校に入った時は、紫の髪も、赤い蝶ネクタイも、コメディも、全部が武装だった。今は違う。私は本当に、ただ怖いんだ。でも、武装で隠していた頃の恐怖と、今の剥き出しの恐怖の違いがわかる。これが『成長』ってやつなんだろうか。
その夜の夕食は、ひどい出来だった。
ヤカミラは無表情にそれを食べ、「非常にまずい」と評した。
「パンさんの店は明日朝7時に開く。そこへ行こう」
第三部:キャンパスの朝
翌朝8時、リユラは校門でジサツと合流した。
ジサツは相変わらずだが、エモ・スタイルは以前より自然体になっていた。
「ジェレミー高校の方が良かったな。あそこは壊れたものを受け入れてくれるエネルギーがあった。ここは基準を求めてくる」ジサツは冷ややかに言った。
一人で歩き出したリユラは、自分が「文脈のないリユラ」として存在しなければならないことに気づく。
紫の髪の由来も、ヤカミラが死んだことも、ハニコの件も、ここでは誰も知らない。
そんな考えに耽っていると、誰かが正面からぶつかってきた。
「ごめん! 携帯見てるといつもこうなの!」
本をぶちまけた彼女は、リユラの髪を見て目を輝かせた。「その髪、すごいね! 天然?」
「いや」リユラは苦笑しながら本を拾うのを手伝った。彼女の髪もまた、計算されていない本物のカオスだった。
「友達になりましょう。私は羽月サクラ(Hazuki Sakura)、文学部の1年。あなたは?」
「リユラ・シコ。芸術学部1年」
サクラはリユラの顔を見て、何かに気づいたような表情をした。
「お兄ちゃんが、あなたの漫画のことを話してたわ。東京での制作ワーク。面白いけど未完成だって」
「お兄さん?」
「サクランボ・ヒトミ。3年生。芸術学部のワークショップを仕切ってるわ。彼は……才能はあるけど、複雑な人よ」
彼女はリユラを誘った。「お茶しましょう。私がキャンパスの地図を教えてあげる。間違ってる部分もあるけどね」
エピローグ:初めての夜
その夜、アパートでパンさんのパンを食べながら、リユラはヤカミラに話した。
「サクランボ・ヒトミという人の妹に会った」
「知っているよ。芸術学部の社会的構造を事前にマップしておいた。彼の名前はその中心にある」
「……マップした? 事前に?」
リユラは呆れ果てた。「君は本当に……恐ろしいね。いい意味で」
「ありがとう」ヤカミラはノートに戻った。
リユラは窓の外、大阪の夜景を見た。父の過去、汚職のネットワーク、そして自分がボランティアをする予定のコミュニティ施設。
窓辺の黄色い星のヘアピンを手に取り、少し眺めてから、また元の場所に戻した。
まだ、これをつける準備はできていない。でも、ここにあることが嬉しかった。
明日はオリエンテーション。明日は「サクランボ・ヒトミ」という名を持つ、誇りと不安の入り混じった誰かに会う。
今夜はただ、生きて隣にいる兄と、舞い落ちる夜の桜だけで十分だった。
TO BE CONTINUED...




