【第八十八話】灰の渓谷、目覚めし残響
空は曇天。
色のない灰が舞い、渓谷の空気は重く沈んでいた。
リクたち一行は、調査団とともに「灰の渓谷」の内部へと足を踏み入れていた。険しく削れた岩肌が両脇にそびえ、底知れぬ断層が道を塞ぐ。無数の層が積み重なった岩盤は、まるで過去の記憶そのものが地層として剥き出しになっているようだった。
「足元、気をつけろよ。この辺り、地盤がもろい」
先頭を行くゼルド隊長が低く声をかける。声に含まれるのは豪胆さと経験から来る警戒心。そして後方のリクにも振り返らずに言い放った。
「リク、何か感じたら遠慮なく言え。……この辺の空気、妙に重い」
「はい、わかりました」
リクは軽く返事をしながら、目の前の景色に集中した。喉の奥がうずき、胸の内側で奇妙なざわめきが生まれていた。スキル《解析》が、周囲の空間に過敏に反応している。
(この空間……違う。層が、何層にも折り重なっている。情報が歪んでる……)
目を凝らすと、岩壁の一部に微かな“亀裂”のようなものが走っているのが見えた。普通の目には決して映らないそれは、解析スキルの進化によって可視化された“痕跡”だった。
「この岩壁……普通じゃない。何か、内側からねじれてる。封印の……残響みたいな」
リクがつぶやくように言うと、ミナが肩越しに覗き込み、
「どういうこと? そこに何か“封じられてる”ってこと?」
「……それは、まだ断言できない。でも何かが、空間そのものに干渉していたのは間違いない」
メイが後ろで小さく舌を巻いた。
「この渓谷って、ただの崩落地帯じゃなかったのね……。地形そのものに記録が残ってるなんて」
リクは一歩、岩壁に近づく。そして、右手をそっと表面に添えた。次の瞬間、視界の奥に何かが走った。――黒い鎖のような術式、断ち切られた魔法陣の輪郭。そして、それを封じ込めようとしていた“誰か”の意思。
その全てが、瞬時に《解析》を通してリクの脳内に流れ込んでくる。
「くっ……!」
「リク!」
ミナがすぐに駆け寄るが、リクはかぶりを振った。
「大丈夫。……でも、ここ。封印はもう完全に壊れてる。その痕跡だけが、まだ空間に残ってる……まるで、誰かの“悲鳴”みたいに」
ゼルドが腕を組みながら低くうなる。
「やはり、今まで以上に‘’視‘’えているみたいだな。便りにしているぞ」
「ありがとうございます。でも、まだ解析しきれていません。ここには何か、もっと奥があるはずなんです」
その言葉に合わせるように、突然空気が震えた。
――ゴゥ……ン。
遠くから鈍い音が響いた。雷でも、落石でもない。音の波が、空間の奥からこちらへと押し寄せるようだった。
リクは顔を上げ、渓谷の奥を見た。
「……行きましょう。この先に、何かがいます」
誰も口を開かず、ただその言葉の重さを感じて頷いた。
渓谷の奥へ、かつて封じられていた何かが、目覚めようとしていた。




