【第三十七話:霧深き山の兆し】
朝霧に包まれた山道を、調査団の一行は静かに進んでいた。
昨夜の冷え込みで地面は湿り、足元には滑りやすい苔が広がっている。
空はまだ灰色に覆われていたが、日は徐々に昇りつつあった。
「……ふぅ。ちょっと休憩しませんか?」
ミナが肩で息をしながら隊列の前方に声をかける。
荷物は最小限にしているが、山道の起伏は想像以上に体力を奪っていた。
「いいだろう。ここは視界も開けてる。警戒態勢を維持しつつ、十五分だけ止まる」
隊長が頷き、指示を飛ばすと、調査団のメンバーたちはそれぞれ木陰の岩場や開けた場所に腰を下ろし始めた。
周囲に見張りを立て、最低限の警戒を維持しながらの短い休息――旅が長引くにつれて、そうした動きにも慣れが出ていた。
リクは水筒を開けて少し喉を潤した後、ふと斜面の先へと視線を向けた。
谷底の方から、わずかに風が吹き上がってくる。
その風には、どこか生臭いような、乾いたような、妙な匂いが混じっていた。
「この匂い……何か焼けたような、でも土臭いような……」
「気づいたか。俺も感じた。あれは……魔素に焼かれた痕の臭いだ」
隊長が低く言う。リクの背筋が僅かに粟立つ。
《感知:魔素流》
空気の粒が、ざわついている。
山の斜面を下った先、谷の奥――そこに、何かがある。
魔素の流れが一点に集まり、やがて霧の中へと消えていくような感触。
リクは隊長に目配せをし、「あの先、調べてみたい」と伝えた。
隊長は即座に副官へ合図を送り、十名ほどの少人数の探索班が編成される。
「俺とミナ、リク、それに第三班から五人。残りはこの場を維持し、後方支援に回れ。何かあれば即座に合図しろ」
「了解!」
命令が飛ぶと、選ばれた探索班は慎重に斜面を下りていった。
霧が濃くなる中、足元の土に変化が現れ始めた。
焦げたような、斑に変色した地面。小さな黒い結晶がまばらに落ちている。
「これ……魔源体に触れた場所と、似てる」
ミナがそう呟くと同時に、リクも頷いた。
そう、この痕跡には既視感があった。遺跡で魔源体がいた空間――あそこにも、似たような焼痕が残されていた。
「だとすると……この近くに、“何か”がいる」
緊張が走る中、探索班はさらに奥へと足を進めた。
やがて、霧の中に黒く朽ちた構造物の影が浮かび上がる。
かつて山小屋だったのだろう。屋根は崩れ、壁も穴だらけになっている。
リクが中へ入ろうとしたその時――
「止まれ」
隊長の低い声が響いた。
次の瞬間、彼の足元の岩が、ぱきんと乾いた音を立てて崩れる。リクはとっさに引き下がった。
地面が崩れ、その下から現れたのは――古い魔符の痕跡。精密に描かれた陣が、ぼんやりと青く光を放っていた。
「結界跡……これは、古い封印魔術だ」
リクは即座に《解析:構造素性》と《感知:封印符式》を展開。崩れかけた魔法陣を読み解く。
(何かを……封じていた?)
だが、封印はすでに半壊していた。内部に存在した“何か”は、とうに抜け出した後なのかもしれない。
「おそらく、ここにも魔源体に関する実験か、観察施設のようなものがあったんだろう」
「となると……この山脈全体が、魔源体に関わる何かを隠している可能性がある、ってことか」
ミナの言葉に、隊長も頷いた。
「この先、どんな場所に辿り着くにせよ、油断はできん。引き続き、慎重に進むぞ」
霧の向こう、まだ見ぬ場所へと、リクたちは再び歩を進める。
地図に記された地点――その核心へと近づいているのを、彼らはまだ知らなかった。




