二日目③ 腐悪魔女子ヴィヴィアン
「……わりぃ。ちょっとふざけ過ぎた」
「……ホントだよぉ……おれ……もうお嫁にいけない……!」
「んなことねーって! そんな落ち込むなよ! なっ! ただのヤギの可愛い鳴き声にしか聞こえてねぇって!」
「……うぅ~……そこは嫁じゃなくて婿だろってツッコむところでしょぉ~……」
しばらくの間、ヤギ太は身体をくねらせていたが、気持ちが落ち着いてきたのか顔から手を放して、少し背の高い三男の顔をうるっとした瞳で見上げた。三男はそれに答えるようにヤギ太に優しく笑いかけ、よしよしと頭を撫で始める。
「はは! そんだけボケる余裕があるならもう大丈夫だな!」
「もぉ~……全然大丈夫じゃないよぉ~……まだ怒ってるんだからね……?」
「はいはい、俺が悪かったって」
「……そんな謝罪じゃ足りないよ……ヒゲも撫でてくれなきゃ……」
「ったく、しょーがねぇな~……」
ヤギ太はキスをねだる乙女のようにくいっと顎を上げたかと思うとゆっくり目を閉じた。さらに三男もそれに答えるかのように頭を撫でていた手をヤギ太の顎近くに持っていく――どう考えても、誰が何と言おうと、客席から見え見えのショーケースの裏で『顎くいからのキス』をする様子だ。
きっと、ヤギ太としてはもうすでに鳴くという痴態を晒しているから、それ以上に恥ずかしいものはないということなのだろう。
「もうちょっとこっちに顎向けろよ」
「……ん……」
私はにやけそうになる顔の筋肉を必死に抑えながら、残り僅かなジンジャーティーを勢いよくすする。また、隣からも同じように勢いよく飲み物をすする音が聞こえてくる。
私達二人はヤギ太と三男に向ける腐の感情とすする音を一体化させ、来たるべきその瞬間を待った……のだが――。
――それは店の自動ドアの開閉音が鳴り響いたことで、あっけなく終了を迎えてしまった。そう、新しいお客が入ってきたのである。
二人はあれだけ密着していた身体を一瞬で離し、サッとレジカウンターの位置に戻って行ってしまう。
……ああ、なんてことだ……まさか、邪魔が入るなんて……!!
「「いいとこだったのに!!」」
思わずそう呟いてしまった私の声が、本日何度目かわからないが腐仲間の女の子の声と見事にハモった。
私達は手に持っていたカップを素早くテーブルに置くと、首をぐるんと回し間髪入れずに互いに口を開く。
「おしかったわよねぇ!」
「ええ本当に!!」
そして、それはもう当然のようにガシッと熱い握手を交わした。
「わたし以外であの二人を観察しているのはあなたが初めてよ! あなた、見ない顔だけどここにはよく来るの?」
「いえ。今日が初めてで……それなのにあんな絡みが見られるなんて……! 最高でした!」
「それはよかったわね! あれは今までで一番濃厚な絡みだったもの」
「ほほう」
熱い握手を交わしたままの私達は、言葉を交わすたびにお互いどんどん前のめりになっていく。おまけに声量も大きくなっていく。
「でもホントに惜しかったわぁ……もしも邪魔が入っていなかったら、絶対キスしてたのに」
「ですよね?! 右に激しく同意です!!」
「あなたはキスされる寸前のヤギ頭の男の子の顔、見た?」
「んん~~~!!! それはもう、バッチリ!!!」
私はそう返事をしながら、興奮を抑えきれずガタリと大きな音を立てて椅子から立ち上がった。
すると、私の席の真後ろから男性の「ん゛っ……ん゛ん゛っん……」というわざとらしい咳払い風の声が聞こえてくる。「もう少し声のボリュームを落としてね」というやつである。
腐仲間の女の子もその声の意図に気付いたようで、ペロリと舌を出して「ちょっと騒ぎすぎちゃったわね」と言いながら、その咳払いの男性に大人の色気と可愛さが溶け合った必殺ウィンクを返した。
その男性は黒スーツ×黒縁眼鏡姿で悪魔にしてはだいぶ優しそうな顔をしており、ノートパソコンとにらめっこ中だった。その姿からほんの一瞬だけ『普段は優しい眼鏡上司が実は鬼畜攻めだった』というリーマンものが頭の中をよぎってしまったのは、不可抗力である。
「おにーさん、お仕事中にうるさくしてごめんなさぁ~い」
「騒いですみません」
「いっ、いえ……あの、大丈夫です……」
どうやら、この男性は見た目通り優しいようで、鬼畜ではないらしい。男性は少し挙動不審になった後、急いでノートパソコンへと視線を戻していった。
その様子を確認した私達は、身体がくっ付きそうな距離で座り直して、ちょっぴり小声で会話を再開させる。
「……あのキスのおねだり顔、ヤバかったわよね?」
「……ええ、それはもう……! それにその前の嬌声もかなりヤバくなかったですか?!」
「……わかるぅ~! あれって……アレ、よねぇ?!」
腐仲間の女の子は長い髪を気だるげにかき上げながら、カウンター越しの二人に視線を移した。それにつられて、私も一緒に二人に視線を移す。
先ほどと比べたらヤギ太は少し恥じらいもおさまってきたようだが、三男に対してまだまだ甘えるように上目遣いをしている。
「……わたし、あの二人の男女のような空気感から漂う背徳感がたまらないのよねぇ……」
「!!」
その言葉で、私は生きていた頃腐仲間同士でした懐かしいやり取りを思い出した。そう、受けか攻めか問題だ。今はもう二度とすることはない、腐レンド達とのやり取りが脳裏に蘇ってきて、私はふっと口元をほころばせる。
「……懐かしい……」
「……え?」
「あ、いえ……えっと……」
この問題は軽々しく口に出来ない、言うなれば非常にデリケートな問題なのである。リバ有り派――つまり、受けと攻めが反対になってもウェルカムな趣向――なら問題ないが、そうじゃない場合は絶縁にまで発展しかねないほど重要な確認事項なのだ。
加えて、この魔界でのBLの常識が日本の常識とどこまで同じかもわからないし、そもそもBLという概念があるかもわからない。
ということで、私が知るBLの常識をヤギ太と三男を例にして話しつつヒアリングしたところ――。
「――BLという言葉自体存在しないわねぇ。そもそも、わたしもBLの概念を知ったのはごく最近なのよ。それもかなり突発的で特殊なキッカケだから」
「……つまり、BLを知っている人はほとんどいない、と……?」
「そうなるわねぇ……でももしかしたらみんな人前で話さないだけで、わたしみたいに心の中ではBLを妄想して楽しんでる可能性もあるかもしれないけど」
「おっほ……そ、そうなんですね……」
まあ、書店の棚にBLっぽいジャンルがなかった時点でそうじゃないかとは思っていた。
一応店員さんにも、それとなく「一見あり得ないようであり得そうな一癖ある恋愛物語ってありませんか?」と聞いてみたのだが、返ってきた答えは「下級悪魔が上級悪魔の心を射止め紆余曲折を経て恋人同士になるストーリー」というノーマルな恋愛物語だったし。
「それにしてもBLって奥深いわ……女性役が受けで男性役が攻め、リバ有り無しで妄想の展開が違ってくる……ええっと、それであなたはどっち派なの?」
「私はリバ有り派です。基本なんでもウェルカムなんで」
「そう。多分、わたしもリバ有り派だと思うわ。でも、心惹かれる設定は限定的かも……いえ、今はそんなことどうでもいいわね。それで、ええとヤギ太と三男だったかしら? そのどちらが受けか確認し合うのが大切なのよね?」
「その通りです!」
「オーケーよ……どちらが受けかはもう決まってるわ」
腐仲間の女の子は真剣な目でそう言いながら、楽しそうに少女のような笑みを浮かべている。一方の私も、まさかまたこんなやり取りが出来るとは思わず、純粋に嬉しくて心からの笑顔がこぼれてしまう。
おそらく私と彼女の受けは同じだろう――それがわかっていても、確認する瞬間はいつもドキドキで、それがとても心地よい。
「それではせーので言いましょう! ……せーのっ」
「「ヤギ太!!」」
また声をハモらせた私達二人は気付いたら無意識に互いの両手をがっしりと握り合い、最高の笑みを浮かべていた。
「わたし、ヴィヴィアンって言うの。みんなからはビビって呼ばれてるわ。あなたは?」
「美咲です」
「美咲ね。あなたとはすごく気が合いそう! わたし達、友達になりましょ!」
「はいっ! 是非!」
「あ、敬語は無しでね」
「オッケー。じゃあ、これからよろしく!」
「こちらこそ!」
「それで、早速だけどビビはあの二人ってどんな関係性だと思う?」
「わたしは親友説を推すわ!! 腐れ縁とか相棒っていうの? わたし、そういうのに弱いみたいなのよねぇ――」
――この後、私達がヤギ太と三男の妄想腐話で盛り上がったのは言わずもがな、あたり前田のクラッカーである。
かくして、私は魔界でのお使いも無事に終え、幸運なことに腐レンドという名の腐女子仲間――いや、腐悪魔女子仲間を見つけたのだった。
次話投稿は本日8/9の19:30です




