二日目① グラスと会話
カーテンから薄っすらと漏れる太陽のような射光を浴びて、私は目を覚ました。
強制的に目に入る見慣れない天井、豪華な家具が配置された広いベッドルーム、そして突如として湧き上がってくる『自分は死んだのだ』という実感と認知――それらは昨夜の出来事を裏付けるには申し分ないほどだった。
「……夢じゃない……私、本当に死んだんだ……」
あれから何時間か経過したからだろうか――脳がかなりハッキリして生きていた時の記憶がどんどん蘇ってくる。
それと同時に、私の胸は後悔や無念の気持ちで溢れかえった。主にBL関係で。
「……ってことは『倉岡くんと瀬尾くん』の続きが読めない?! あっ、それにコミケも参加出来ない……!! 完成間近の原稿がぁ~っ……!!」
私至上最高にエモーショナルな物語で、眼鏡系×ワンコ系のリーマンもの。逆カプ派のミナミでさえ、「ちょっと……イイ」とまで言わせた作品なのだ。どうせなら完成させてから死にたかった。
「……まぁ、悔やんでも意味ないけど……」
そう、死んだ事実は覆らないし、どうすることも出来ない。幸いなのは、今まで可能な限り全力で趣味に生きることが出来たこと、そしてBL関係の遺品整理はミナミに一任しているので、パソコンの中のデータから現物含め、全てを親に見られる心配がないことくらいか。
それに、前世を精一杯生きた私へのご褒美だろうか。神様は最後の最後に理想の受けと攻めという豪華なディナーを用意してくれていた。それを完食しないのは神様に失礼極まりない。
「グラスとレオの絡み……! フヒヒ……! こうなったら起こりうる絡みの全てをこの目に焼き付けてやる……!」
そうと決まれば、まずは昨夜気を失ったグラスの様子を見に行く必要があるだろう。攻めが元気でなければ受けも元気にハッスル出来ないのは腐の理である。
しかし、グラスは堕天使、いや、元堕天使の大天使(?)なのだから、この一晩ですっかり元通りに回復している可能性が高い。私というレオとの愛の結晶を創ってしまえるくらいの力があるのだから、そこまで心配には及ばないはずだ。
そう思って、私は特に急ぐこともなくゆっくり支度をした後、グラスがいる三階のベッドルームへ向かったのだが――意外なことにそこには弱々しい様子のグラスがいた。これはかなり由々しき事態のようだ。
「お前は……ああ……美咲か……っ!」
「だ、大丈夫ですか?!」
「……くっ……思うように、力が入らない……」
「一緒に、せーので起き上がりましょう。いいですか、せーのっ……!」
私はグラスの介助をして上半身だけを起こすと、「水が一杯欲しい」というグラスのためにベッドサイドのテーブルの上にある水差しから一杯分の水をコップに注いで、グラスの口元へと運ぶ。
グラスはゆっくり水を飲み干し、私の目を見て申し訳なさそうな顔で口を開いた。
「美咲、助かった……礼を言う」
「! い、いえ!」
私には塩対応が平常運転のはずのグラスにしては嘘のようにいじらしい。これは予想していたよりもグラスの心身はだいぶまずい状態なのかもしれない。
「……まさか、こんなことが起きるとは……今は……八時過ぎか…………美咲、頼みがある……」
私としてはグラスには早く元気になってもらってレオとイチャコラしてもらいたいので、グラスに言われなくても私に出来ることは積極的に動くつもりである。
もちろん、レオとのキューピッド役はたとえ頼まれなくても絶対に遂行する所存だ。
「私に出来ることなら何でも! えっと、何をすれば……?!」
「……すまないが、買い物を頼みたい……ここは別荘として使っているため、備品はあっても食料はほとんど用意していないのだ」
なるほど。アメニティグッズなどの準備の良さは別荘故だったからなのか。
しかしこの館の規模で別荘とは、グラスの財力や地位はかなり相当なものなのだろう。
「食料は主に美咲が食べたいものを買えばいい……私はこの通りで食欲はまだないからな……」
「わかりました」
「それと、美咲自身に必要なものも買ってくれて構わない。支払いは全てこの腕輪で出来る……くっ……すまないが、外してくれないか……」
グラスに左腕を差し出された私は、グラスの左手首に巻かれた黒光りの腕輪を外し、同じように自分の左手首に嵌めた。男性サイズのためか私には少し大きい。
「……魔界は……美咲にとってここは地獄のようなものだが、私たち悪魔の間では通常魔界と呼ぶ。居住区は主に三つの街に分かれていて――」
グラスの説明によると今私たちがいるところは上級悪魔が住む街――通称上級悪魔街――で、魔界の東側に位置しており、西に進むにつれ区域が中級悪魔の住む中級悪魔街、下級悪魔の住む下級悪魔街へと変わっていくそうだ。
そして、その上級悪魔街と中級悪魔街の境目に位置するところ――魔界一の店舗数と規模を誇るショッピングモールや飲食店が軒並み揃っている、通称魔界大通り――が、私が今から向かう場所であるとのことだった。
「――魔界大通りは飛行禁止のためほとんどの悪魔が移動手段として自動のスクーターを使っている。あいにくこの館には一台もないが、魔界大通りに近付くにつれ、スクーター屋が出てくるので借りるか購入してくれ。支払いはその腕輪で事足りる」
魔界は原則キャッシュレス決済で、この腕輪をレジカウンターの画面にかざせば支払いは完了という仕様なんだそうだ。
また、お金はチャージする必要はなく、日本で言うデビット払いのように使った金額はグラスの預金口座から自動で引き落とされるとのことだった。
「今はスーパーやカフェくらいしか営業していないが、美咲が到着する頃には服屋や雑貨屋など全ての店が開く時間になるはずだ」
そんな感じに、私は地獄改め魔界の歩き方なるものをグラスから詳しく教えてもらう。情報を頭にインプットしたら、いよいよ出発だ。
「ああ、あと最後に……美咲に大天使の加護を授ける」
「加護、ですか……?」
「そうだ。今から美咲が向かう魔界大通りは治安が良く、夜の女性の一人歩きも安全だが万が一ということもある」
「…………」
悪魔が暮らす街の時点で治安が良いわけがない――というツッコミはしないでおいた。
「……しかし、今の私の力で十分な加護の効果を与えられるかは定かでないが……ないよりはいいだろう。美咲、こちらへ」
グラスの中では加護を与えることが決定事項のようで、私は半強制的に大天使の加護をもらうことになった。
「私の首元の位置まで頭を近付けてくれ」
「えと、こう、でしょうか……?」
私は膝を曲げ、指示された通り自分の目線がちょうどグラスの鎖骨辺りにくるよう頭を近付ける。
「それでは手が届かない。あと一歩前へ」
あと一歩進んでしまうと、二人の間に距離という距離がほとんどなくなってしまうのだが、グラスは構わないらしい。もちろん私は構うので、遠慮気味に一歩前へ出ると同時に瞼で視界を遮断させてもらった。
「……そのままじっとしていてくれ」
グラスはそう言うと、私のパッツン前髪を優しい手つきですっと上げる。
そして、丸見えになった私のおでこの真ん中に、ちゅっと音を立てて唇を落とした。
「……?!?!」
まさかの不意打ちキス。まごうことなき私のファーストキス(おでこ)だ。
びっくりした私が勢いよく目を開けると、私のおでこを覗き込むグラスと目が合った。
「これで大きな事故や災難に見舞われることはないはずだが、やはり効果は薄いようだな。これは完全に戻ったわけではないということか……?」
何やらグラスは一人真面目に分析タイムへと入ろうとしているが、こっちは先ほどの接触事故の動揺が全く収まっていない。
私は動揺を隠すことなく、両手でおでこを抑えながら思い切り後退ってグラスと距離をとる。
「……そんなに警戒せずとも、変な術は施していないから安心してくれ。ただの大天使の加護だ」
「だっ、大天使の加護なのはわかってますけど! そういうのは、レオにして下さいっ! レオにっ!」
……そう、あなたの愛するレオに!
ところが、グラスは私の主張に対して意味がわからないという顔で「どうしてレオに」と言いかけた――その途端、突如昨日の大天使に戻る直前のように苦しみ始めてしまった。
次話投稿は本日8/9の17:30です




