103日目① サタンの秘書
その翌日である――。
昨日の精神状態をまだ引きずったままの私は、本日から始まるサタンの秘書室勤務のために、その職場の前までやって来ていた。案内役はもちろんグラスだ。
場所は魔王城の五階――私が働いている総務大臣執務室と同じ階で、また、これはあくまで私の推測だが、歩いた感じではおそらく五階のほぼ真ん中に位置していると思われる。
「――ここがサタンの執務室兼秘書室だ」
そう言ったグラスの言葉に、私は弱々しく「うん」と頷き、目の前にでかでかと構える豪華な造りの重厚な観音扉を見上げた。その扉は見るからにサタンの重々しいオーラが漂っていて、なんだか非常に入り辛い雰囲気だ。
更に、この部屋の中にピチピチギャルか一軍キラキラ女子の集団がいるかと思うと、今からこの重そうな扉の中へと入って行くのが、より一層憂鬱である。
「……美咲、大丈夫か?――」
グラスは私に心配そうな視線を向けて、すぐさま申し訳なさそうな顔をした。
「――本当は私も一緒に付いて行ってやりたいのだが……」
「……うん、大丈夫。わかってるから気にしないで。むしろ面接で忙しい中、館からここまで連れてきてくれただけで私には十分ありがたいよ」
実は今日、グラスは中級悪魔達の昇級最終面接――合格すれば晴れて上級悪魔になれるらしい――で、早朝から予定がぎっしり詰まっており、そんな中なんとか合間を縫って、こうしてわざわざ私をここまで連れてきてくれたのだ。
それも、普段は滅多に使わない光速(大天使のみが使える技で、文字通り光の速さで移動できる)までを使って、である。つまり、それほどグラスには時間が無いということだ。
「うむ、そうか……しかし……美咲は昨日の昼から様子が……」
「え? 何か言った?」
「……いや、なんでもない。美咲自身が大丈夫と言うのなら、それでいい」
グラスは一人頷き、左手首に付けた腕時計に素早く視線を落とす。
「もう時間?」
「ああ、そろそろ戻らなければ……美咲、初日の今日は初めての業務も多い。だから決して無理はするんじゃないぞ」
「うん、わかった」
「それと、昼は秘書室の方でちゃんと弁当が支給されるからな」
「うん、わかった」
「慌てずゆっくり食べるんだぞ。休憩もしっかりとるように」
「うん、わかった」
「そして、自分に出来そうにない仕事はちゃんと断るんだぞ」
「うん、わかっ……え? そんな難しい仕事を振られる可能性があるの?」
「いや、ヒューは無茶ぶりをするようなやつではないから大丈夫だろうとは思うが、一応念のために言ってみたまでだ」
……なんだ。いつものグラスの心配性が出ただけか。
「あーうん、オッケー。わかったよ。万が一、難しい仕事を振られたら断るようにするから。えーっと、その人の名前、ヒューさん、だっけ? そのヒューさんって人から……ん? ちょっと待って……なんか男の人の名前みたいだけど……? その人はサタンの秘書の内のひとりなの?」
私がそう聞いた瞬間、タイミングが悪いことにグラスの腕時計のアラームが鳴り、グラスが少々慌てた顔でそのアラームを止めた。
「おっと、本当にもう戻らなければ……! 美咲、もし何か困ったことがあれば、その時は遠慮なく私に連絡するんだぞ」
グラスは微笑しながらそう言うと、右手を伸ばして私の頭を軽く撫でてから、今来た廊下を颯爽と戻って行ってしまう。最後に、先ほどの私の質問に対する答えを含んだ台詞――「ヒューは男で、サタンのたった一人の秘書だぞ。昨日説明したはずなのだが……まあ、いい。美咲ならきっとうまくやれる」――を残して。
私はグラスの後姿を見送るかたわら、たった今知った驚愕の事実にわなわなと手を震わせる。
……え゛っ?! サタンの秘書って男性で、それも一人だけなの?! ピチピチギャルとか一軍キラキラ女子の集団じゃなくて?!
そうなると、私が想像していたイメージは、大外れもいいところだ。というか、サタンが男性の秘書と二人っきりで執務室にいるという、そんな美味しい可能性を思い付きもしなかったなんて、腐女子失格である――!
しかし、思い付かなかったのも仕方ない。なんせ、魔界の住人ではない人間の私でも、魔王のサタンは堕天使の皆と比べると別格に感じていたし、そのせいでサタンのポジションを考えることに、若干抵抗があったのだから――と言っても、その別格感や抵抗感は、サタンを名前呼びするようになったことで、最近はだいぶ薄れてきたのだけど。
でもまさか、私がサタンのポジションを考える云々より前に、サタンには既に相手がいたなんて――! そんな可能性を考えてもみなかった――!
……しかも、関係性は上司と部下でしょ?! ってことは、主従ものじゃーーーんっ!!
これはどちらが受けでどちらが攻めか、一刻も早く確認しなければならない――!! そう思った瞬間、私の死んでいた心がほんのちょっぴり息を吹き返し、私は気が付いたら、吸い込まれるようにその重厚な扉を右手で四回ノックしていた。
すると、すぐさま扉の向こうから「どうぞ」という男性の声が返ってくる。この声は明らかにサタンではない。
……ということは、この声の人物が、ヒューってことね……?!
その姿は、性格は、いったいどんな感じなのか。また、サタンとの力関係では、強いのか弱いのか……それらによって、二人のポジションが決定するのだ。さあ、いざ、判定の時である――!
「失礼します!――」
私はごくりと唾を飲み込み、扉の取っ手をグイッと引いた。その途端、扉の上ら辺からリンゴンというドアベルの幸せの象徴のような音が鳴り響く。
私はその音に包まれながら、扉の先で一人佇む男性の上級悪魔の姿を瞳に捉える。そして、その顔と全身をしっかり目にした瞬間――。
「――っ?!?!」
――私は驚愕と歓喜で、思わず叫びそうになった。なぜなら、目の前の彼はどこからどう見ても受けだったからだ! それも、私が大好物のカップリングの片割れである、ワンコ系の!!
……どえ~~~?!?! サタンの秘書がワンコ系だとぉう~~~?!?!
しかし、ワンコ系と言っても、もう一人のワンコ系――レオ(中型犬の柴犬系)とはまたタイプが違う。
目の前の彼は、健康的な小麦色の肌に、がっちりした骨格とそれにマッチした高い身長の持ち主で、髪型はダークグレーの髪をオールバックにしており、それらだけ見るといかつい感じだが、顔は可愛らしくほんわかとしていて、中でもオレンジ色の優しそうなたれ目がその特徴を際立たせている。
印象としては、大型犬のゴールデンレトリーバー系といったところだ。
更に、その全身からはサタンへの忠誠心が溢れ出ており、めちゃくちゃ尽くす性格だと推察される。そして、そんな外見と中身を総括すると、ワンコ系なので絶対受け、ということになる(あくまで私の中で)――!
そんなワンコ系の受け認定をされた目の前の彼が、私に向かってニコリと笑いかけ、口を開いた――。
「美咲さん、ようこそ秘書室へ来て下さいました。わたしは魔王様の秘書のヒューと申します。この度は、わたしの秘書業務を手伝って下さるとのこと、本当にありがとうございます」
ヒューはそう言うと、小さくお辞儀をする。人間相手だというのに、物言いも態度も非常に穏やかで丁寧だ。誰が相手でもそういった姿勢を崩さないのは、さすがサタンの秘書……いや、ワンコ系の鑑といったところか――?! これは、期待以上のワンコ系かもしれない――!
私はにやけそうになる衝動を抑え込むために、少々大きめの声で挨拶の言葉を口にしながら、同じようにペコリと頭を下げた。
「は、初めまして! 日野美咲と申します……! あの、今日からお世話になります! 始めは色々とご迷惑をおかけするかもしれませんが、よろしくお願いします!」
「こちらこそ、最初はご不便をおかけすることも多いかと思いますが、その時は遠慮なくおっしゃって下さいね。どうぞよろしくお願いします」
そう言って笑うヒューの顔からは、ほわんという効果音がピッタリの癒しのオーラが出ており、私の腐妄想を強く刺激してくる。
きっと、常にその笑顔でサタンの心身を癒しているのだろう――と、そんなことを想像したら、せっかく抑え込んでいたニヤニヤがふいに私の口から噴き出してしまった。
「んぐっふぅ……!!」
私は慌てて口を塞ぎ、ゲホゴホと派手にせき込んだふりをする。それを見たヒューは、「大丈夫ですか?!」と本気で心配そうに私の顔を覗き込んだ。
「美咲さん、もしかしてお体の具合が良くないのでは……?!」
「あ、う゛うん、いえ……大丈夫、です……! たまーに出る、ただの発作なので……!」
「発作、ですか……? あの、わたしは人間の方の病状については詳しくないのですが……それは本当に大丈夫なものなのですか?」
「ええ、大丈夫です! 本当に! いや~失礼しました! それで、えーっと――」
私はこれ以上深く突っ込まれる前に――と、ヒュー越しにキョロキョロと室内に視線を走らせ、そして、ここに居ると思っていたもう一人の重要人物の姿が無いことに気が付いた。
「――あれっ? サタンは……あ、いや、魔王様はどちらに……?!」
慌てて言い直した私の問いに、ヒューは小さく笑って「言い直さなくて大丈夫ですよ」と首を振る。
「魔王様からは、美咲さんには名前で呼ぶことを特別に許可していると聞いておりますので」
「あ、そう、なんですね……!」
まあ、正しくは名前で呼ぶことを『強制させられている』のだが……。そこを訂正するのは無意味であるとわかっているので、私は何も言わず神妙な顔をするだけだ。
「はい。ですので、わたしの前では気にせず、そのまま名前でお呼び下さい。そしてわたしのこともヒューとお呼び下さい。もちろん敬称は結構ですよ。敬称を付けられてしまうと、主の魔王様よりもわたしの方が上の立場のようになってしまいますからね――」
また、それに加えて、ヒューは自分に対する言葉遣いももっとくだけた感じにして欲しいと言った。サタンの秘書として、主のサタンよりも丁重な扱いをされることを避けたいらしい。どこまでも攻め(主)を立てようとするその姿勢は、主従もののワンコ系だからこそなのだろう――!
「――それで、魔王様ですが、ちゃんとこちらにいらっしゃいますよ。ただ、今は奥の執務室でお電話の最中のため、お姿は見えていませんが――」
ヒューはそこで言葉を止めて後ろを振り返り、部屋の奥の方をじっと見つめた。私も首を傾げてそちらを覗いてみると、そこには木製の壁とほぼ同化している観音扉っぽいものがある。どうやら奥にも部屋が続いているらしい。
「――あの扉の奥が魔王様の執務室なんです」
「はぇ~……あの奥が……?! なるほどぉ……?!」
ということは、あそこが執務室という名の、二人がこっそり愛を育むための愛の巣ということだ。主従関係の二人なので、愛し合う場が仕事現場にあるのは、もうお約束である。
「今は電話中のため扉を閉じていますが、基本的に魔王様が在室の際は、扉を開けっ放しにしているので、必要な時はお気軽にお声掛けいただけますよ」
「き、基本的に開けっ放し、ですと……?! えっ、ちょ、それ、なんてスリリングな……っ!!」
もしも二人がナニの最中に誰かが入って来たら、丸見えで丸聞こえの二重丸案件ではないか――?!
そういった多少の危険をはらんだプレイを職場で堂々と嗜んでいるとは、さすがはサタン、魔界のトップと言えよう。このサタンの度胸と積極性をグラスとレオにも見習ってほしいくらいだ――!
「ああ、いえ、そんなご心配はなさらずとも、危険なことなんて何も無いので大丈夫ですよ。ここに訪問する者は限られていますし、例え予期せぬ訪問があっても、わたしが常にいますからね。魔王様のお目を汚す前に、普通に返り討ちです」
「……っ!」
なんと――! 受け自ら攻めを守るとストレートに宣言されてしまった――! しかも、誇らしげに可愛く笑って――!
……こっ、これが本物の主従ものワンコ系の威力……?! つ、強い! 受けとしてのポテンシャルが強すぎるぅう!!
「ですが、万が一、何者かの集団が魔王城に攻め入ってきた場合は、わたし一人の手では負えませんので、美咲さん、その際は一目散に逃げて下さいね」
「え、あ、へぃ……?!」
「と言っても、そんな事態が起こったことは今まで一度も無いんですが。よって、そちらもご安心下さい」
ヒューはそう言って、ニコッと笑ってから、再び口を開く。
「それでは雑談はこのくらいにしまして、そろそろ本日の本題に入りますね。魔王様のお電話はあと数分で終わると思いますので、それまでの間、美咲さんには手始めに秘書室内をざっくりとご説明しようと思っているのですが、よろしいですか?――」
次話投稿は11/1の15:30です




