102日目⑤ 地獄は続く、どこまでも?
「――ただそれは、あまり褒められた行動ではないのでな……私も折りを見て、人間界に渡航せねばならぬ」
「……へいぃ?! ちょ、グラス、え、今……ななな何て?!」
「ああ、そうか。美咲は知らないのが当然か。通常魔界では、長期休暇中の者は人間界に渡航するのが暗黙の了解となっているのだ。要は、人間の魂を回収するまでには至らずとも、ある程度人間に悪い影響を及ぼしに行け、ということだな。そしてそれが本来の悪魔の役割であり、最も優先されるべきことでもある」
「は……?! へ……?!」
私は口をパクパクさせながら、ほとんど声にならない心の絶叫を微かに口にする。
「その証拠に、今休暇中のヤン……堕天使も魔界に居ないだろう? まあ、あやつの場合は、大半が休暇を存分に楽しむために人間界へ行っている感じだが」
なお、そのヤンという堕天使は、私が魔界に来て随分経つというのに、その間さえも一度も帰ってきていない。
私はゴクンと息を飲み込み、なんとか口から声を絞り出した。
「……じゃ、じゃあ、グラスも休暇に入ったら……人間界へ行くってこと……?! それも、かなり長い期間……?!」
「……一応その予定だ」
「そっ……そんなぁっ……!!」
……うっ……嘘でしょーーー?!
私はその場からよろよろと後ずさりし、作業用テーブルに右手をついて、先ほどまで座っていた丸椅子にどさりと腰を下ろす。
「そのため、私の渡航期間中の美咲の保護は私以外の堕天使に任せることになるのだが……ん? いや、というか、そもそも来期になった時点で私は保護者の一人ではなくなるのでは……?! となると、美咲の住む家も――」
――グラスの声が遠くになって聞こえる。そのせいか、さっぱり内容が入ってこない。それどころか、背後から耳に入ってくるレオとモップちゃんの声や音もぐわんぐわんと重なって、まるで私一人だけ別次元に居るような感覚だ。それも、絶望という名の別次元に――。
……ど、どうしよう……?! 私はいったい、どうしたらいいの……?!
もちろん、さすがに私も、グラスが総務省に居る残りの34日で、この忙しい二人の仲を恋人関係にまでもっていけるとは思っていない。
だから百歩譲って、グラスが休暇に入ったとしても、グラスが毎日下級悪魔街に足を運ぶことでレオとの仲を深められるのなら、まだなんとか許容出来た。それなのに、グラスは休暇に入ったら人間界へ、それも長期間行ってしまうなんて――!
そうなると、下手したら二人の関係が進展して恋人同士になるより先に、私のお迎えが来てしまうかもしれない。というか、多分その可能性が高い――!
そのことに気付いた途端、私の頭の中で思い描いていたグラスとレオのラブラブ計画と理想の未来像が、ガラガラと音を立て、崩れていく――。
二人きりになった執務室、思わず手と手が触れあって照れ合う瞬間、いつしか二人は互いに距離を縮め合い、そしてついに迎える、身も心も結ばれた感動のフィナーレ!――みたいな展開が全て、全てこの目に出来ないのだ。それは絶対に嫌だ――!
……とっ、とにかく……なんとかして、まずは多少強引にでもグラスとレオを二人きりにさせなくちゃ……! それでレオがグラスにキュンとしちゃうようなハプニングを起こして……って、そんな機会が作れるなら、もうとっくにやってるんだってば……!! んがぁ~~~!!
そう、結局はそこの問題に戻ってきてしまう。堂々巡りだ――と、そんな風に私がグルグルと同じ思考を巡らせていた、その時である。
ブーブブッという、聞きなれた短いバイブレーションの音が作業用テーブルの上で響き、それと同時にその振動が私の右腕を伝った。
この振動音の出所は見なくてもわかる――私のスマホだ。そして、このバイブレーションのリズムは、魔界のチャットアプリ『JOIN』の新着メッセージを知らせるもので、私はこのアプリを腐った友人らとの連絡用に使っている。ということは、つまり――。
「っ!!」
……誰かから、さっき共有した同人誌即売会の件について返信が来た?!
慌ててスマホを手に取って明るく浮き上がったロック画面を確認すれば、そこには予想通り、JOINのグループチャットで新着メッセージがあったという通知が表示されている。
私は光の速さでスマホを操作し、JOINのアプリを起動させると、画面にズラッと並ぶチャット一覧の一番上にあるグループチャットを迷わず開いた――。
【ヴィヴィアン】
美咲、共有ありがとう
小さい会場が条件だなんて……!
でも、同人誌即売会を禁止されなかっただけマシだと思って、その条件で飲むしかないわね
それに小さな会場でも出来る限り動員数を増やす方法はあるわよ
朝から晩まで開催するとか、数日間に渡って行うとか……
【アサレア】
みんな、おつー
数日間の開催かー
確かにそれはいい方法かもね
でもアタシとしては、内緒でどっかの大きい会場を使って開催しちゃえばイイと思うけどな
【ヴィヴィアン】
アサコったら……そんなのダメに決まってるでしょ
そんなことしたらすぐバレるわよ
【アサレア】
まーそうか
あっ、店長に呼ばれた
ちょっと行ってくる
【セナ】
みんなお疲れ様~!
わぁ~なんか大変なことになってるね~!
アサコちゃん、おもしろーい!
でも、セナもビビちゃんの数日間の開催が一番現実的な気がするなぁ~
それで、あとは数日間おさえられる会場を探して……ってなると、会場はやっぱりギャラリーカタツムリ?
あそこはルルちゃん曰はく、中級悪魔街の僻地だから割と空いてるみたいだし!
【モネ】
おつかれサマ
ビビのその案でいくなら、ワタシもギャラリーカタツムリがイイと思う
【ヴィヴィアン】
じゃあ今のところ、第一候補はギャラリーカタツムリって感じかしら
もちろん、他にもっといい会場があればそちらも検討するってことで
【セナ】
さんせーい!
――どうやら個人的に開催する同人誌即売会は、前回と同じ会場と数日間の日程で開催することになりそうだ。まあ、若干の不満は残るものの、思っていたよりも多くの腐悪魔女子達に参加してもらえるなら、良しとしよう。
そう思って、私はホッと胸をなでおろした――はずだったのだけど。この後、新しく入ったチャットによって、それは真逆の感情へと急変させられてしまったのである――!
【ルーヴル】
今、全部読んだわ
色々まずいことになったわね
ギャラリーカタツムリは向こう半年までぎっしり予約で埋まってるって話よ!
どうやら大規模の会場が使えない弊害で、みんなが中規模の会場に流れて、その結果ちょっとマニアックな小規模の会場にまで予約の波が押し寄せてるのが理由らしいわ
そうなると、まずは他の会場を探さないとなんだけど……見つかるかは微妙なところね
いえ、でも、とにかく探してみないことには始まらないわ
すごくマニアックな会場とか、小さな箱でもいいから、とにかく全員で探すわよ!
……は……?! ギャラリーカタツムリが向こう半年までぎっしり予約で埋まってる……?! 更に他の小規模の会場も見つからないかもしれない、だって……?!
私はたった今知らされた情報に、眼球が飛び出しそうになるくらい目を大きく開きながら口をあんぐりとさせ、チャット画面を見つめたまま数秒固まった。そして、気付いてしまう――それらの事態から予想される、受け入れがたい事実に。
……そ、それって、個人的な同人誌即売会さえも開催出来ないかもしれないってことじゃない?!?!
まさか、そんな、有り得ない――! ただでさえ、グラスとレオの件でこちらは瀕死一歩手前みたいな状態なのに、その上、同人誌即売会の方も前途多難になりそうだなんて、これはまるで死の宣告を受けたようなものではないか――?!
私は天を仰ぎながら浅く息を吸い込み、小さな声で一言だけ呟いた。
「お、おわた……っ!」
そして、私がそう呟いた瞬間、私のすぐ横から「最後の仕上げデシ!」という楽しそうなモップちゃんの声が響き――それとほぼ同時に私の視界一帯は、薄いピンク色の花びらが大量に溢れてはひらひらと舞い落ちるという桜吹雪のような光景へと一変して、その中をレオが「オレはもう行くからな?!」と言って駆け抜けていく。
私の脳が一瞬バグりそうになるくらい、私の心情とはなんとも真逆で皮肉な光景である。
「――レオ! 新たな確認事項が出来た故、またあとでメールを送っておくぞ! 確認を頼む!」
私は目の前に立つグラスがレオにそう声を掛けるのをぼんやりと耳にしながら、今までで一番長い溜息をつき、力なくうなだれた。
――けれど、この時の私はまだ知らなかった。明日の秘書室勤務において三つ目の困難が、それも腐女子の私を苦しめるに値するものが、すでに待っているということを――。
次話投稿は10/25の15:30です




