102日目④ 寝耳に水どころか流水
「うげっ?! ちょ、おいっ?! てめっ、クソモップ!! 久しぶりに美味い飯にありつけそうで気分が良いって時に射ってくるとかふざけんなよ?! お前に慈悲の心ってやつはねーのか?!」
「へっへーん、あってもクソ犬っころに与える慈悲は無いデシー!」
「くっ……このクソ天使めぇ……!! って、おい?! だから射ってくんなってば!! ちょ、止めろーーー!!」
「絶対嫌デーシ!!」
その返事を合図に、モップちゃんは次々と矢を射り始め、それが命中する度にレオの悪態が室内に響く。いつもと変わらない見慣れた光景だ。
「寝不足の中、肉体労働をしてきたというのにレオは元気だな……いや、あれはアドレナリンが出ている興奮状態なだけか」
そうポツリとこぼしたグラスは、ギャーギャー騒ぐ二人から私へと顔を向け、「あれはあとから疲れがドッと押し寄せるパターンだぞ」と言って、やれやれと軽く笑った。それに私も「だね」と同意する。
「……さて、私も昼食の準備をするか……あ、いや、その前に――」
グラスはそう言うと、抱えていた書類の中から一枚の紙を抜き取って、それを私の胸の辺りに差し出した。
「――この紙を美咲に渡しておこう。忘れない内に」
その差し出された紙には今月から再来月分までのカレンダーが印字されており、ご丁寧にも私が秘書室勤務をする日には『秘書室』という赤色の文字が浮かんでいる。
「あ、ありがと――」
私はそれを苦笑いで受け取りながら、スケジュールにざっと目を通す。秘書室勤務の日程は、本日サタンから仰せつかった通りで三日に一度の頻度だ。
けれど、再来月の上旬部分だけは勤務予定日に※印が付いていて、その横にどうしてか『※レオ様・ルシファー様に要確認』と書いてある。
……ん? なんで確認がいるの? それにここ、ルシファーじゃなくてグラスだよね?
「――グラス、あの、ちょっといい?」
「どうした? 日程でどこか間違っているところでもあったか?」
「あ、ううん、日程は合ってるんだけど、そこじゃなくて……ほら、ここ。この再来月の※印のところなんだけど……グラスじゃなくてルシファーの名前が書いてあるよ」
ところが――。そう言って私がその部分を指すと、グラスはなるほどという声で「ああ」と返事をし、続けて寝耳に水の……いや、寝耳に流水レベルの情報をぶち込んでくれたのである――!
「そこはルシファーで合っているぞ。来期の総務省の担当はレオとルシファーだからな。私は今期で終わりなんだ」
「……は……? ……はいぃ?!――」
……ちょっと待ってちょっと待って……?! 来期はレオとルシファーが担当で……グラスは今期で終わりになる……今期は来月末までって話だから……えっ?! ってことは、それって――?!
「――それってつまり、グラスとレオが一緒に働く日は残り34日しかないってこと?!」
そしてこの日数は、奇しくも私に告げられた大天使の迎えのタイムリミット(確証は無しの最短)でもあったりする。
「うむ。まあ、そういう言い方にも出来るな」
「いったいなんで?! どういうこと?! 私そんな話全然聞いてないんだけど?!」
「そうなのか? 私はてっきり、レオが最初の頃に説明しているものだと思っていたんだが――」
グラスは軽く首を左に向け、レオにチラリと視線をやった。
そのレオは、未だにモップちゃんからの矢を受け続けており、室内をぎこちない動きで逃げ回りながら「んがっ!」とか「ぐぉっ!」などの言葉を発している。
……レオ~~~?! そんな大事なことをなんで一ミリも話してくれなかったのぉ~~~?!
「――いや、だがもしかすると、美咲に説明は不要だと判断したのかもしれぬ。美咲がこんなに長く滞在するとは、堕天使の誰もが全く予想していなかったからな」
「うぐっ……! た、確かに……! その可能性はあるかも、ね……!!」
けれど、それをいきなり、こんな直前になって知らされるというのは、二人をなんとか二人っきりにしようと頑張っている私にとって、かなり酷い仕打ちだ。
というか、グラスとレオが総務省で一緒に働かなくなってしまったら、私はいったいいつ二人を自然な流れで二人っきりにすればいいというのだろう――?! 今だってそんなチャンスが見つからないというのに――!!
「しかし、美咲にはまだここで働き続けてもらう予定なのだから、この際ちゃんと説明しておいた方がいいだろうな――」
グラスはそう言って一人頷くと、頭も心も軽くパニック状態の私にでもわかるように、魔界の政治システムを一から簡潔に説明してくれた。
その内容をまとめると、以下のようになる――。
魔界はサタンが務める魔王という役職の下に、四つの省――防衛省・法務省・環境省・総務省――の大臣職があり、それらの省の大臣をサタン以外のグラス達堕天使ら計六名が、一年交代で順番に担当しているそうだ。ただし、総務省のみ大臣は二人制かつ二年の任期となる。
そして、総務省の二年目が終わった者は一年間の休暇に入り、休暇後は防衛省を始めとして、また順番に担当を回っていく、とのことだった。
「――それで、私は今期が総務省二年目となる。よって、来期は一年間の休暇を与えられる番というわけだ……と言っても、今期は休んでいた期間が約二ヶ月もあったからな。私としては、その分を延長して、来期も総務省で働きたい旨をサタンに伝えてあったのだが……」
グラスはなんだか申し訳なさそうに苦笑しながら、サタンの答えは「ノー」――つまり、「その必要は無い」だったと言って、鼻で小さく息を吐いた。
「……じゃあ、グラスが再来月から一年間の休暇に入るのは、確定ってこと……?!」
「ああ。不本意ではあるが、そうなる」
「おぐっ……!」
「だが、私が休暇に入るからと言って、美咲の仕事に影響が出ることはないぞ。今まで通り……いや、明日からサタンの秘書室勤務が加わるが、それも含めて仕事内容は基本同じだ。だからそんなに動揺せずとも大丈夫だ、安心してくれ」
……いや、そこじゃないから!! 私が動揺してるのは、グラスとレオが必然的に毎日顔を合わせる機会が無くなることになんだってば!!
なぜなら私は、その必然の大切さを、身をもって知っているからである――。
あれはそう、グラスが半分大天使に戻ってしまい、サタンから外出禁止を言い渡された頃だ。
あの頃、私はレオへの愛を自覚したグラスのために(それと自分の腐った欲望のために)、なんとか二人を会わせようとして何度もレオをグラスの館に誘うも、仕事の忙しさを理由にことごとく断られてしまったという経験がある。
だからこそ、私は今の状況が、たとえ二人が忙しくても、とにかく毎日顔を合わせる日々がずっと続けばいいと思っていたし、続くと思っていた。まあ、実際は違ったのだが。
二人の関係性を発展させるための大きなアドバンテージ――必然的に毎日会う――が無くなってしまうとは、非常に悔やまれる。
……って言うか、グラスだってそのことをわかってるはずなのに、なんでそんな平気そうなの?!
おかしなことに、当事者であるグラスの様子は、全くと言っていいほどいつもと変わらない。普通、好きな人に毎日会うことが難しくなるとなれば、もっと落ち込んだり嘆いたりすると思うのだが……。
と、そう考えると、もしかしてグラスは来期以降も押しかけ女房(本当はポジション的には旦那だけど)のように、レオのいる総務省に毎日出入りするつもり、とかなのだろうか――?
いや、きっとそうだ、そうに違いない! そうじゃないと、グラスのこの落ち着きぶりは絶対納得出来ない――!
「でっ、でもさ、休暇に入るって言っても、グラスは来期以降も総務省に出入りするつもりなんでしょ?!」
「いや、流石にここに出入りする予定はないぞ」
「うえ゛っ?!」
「だが、時折、下級悪魔街の復興復旧具合を見に行こうとは考えているがな――」
ということは、それは即ち、現場のレオに会いに行くという意味だ。私は心の中で「やっぱりぃ?!」と喜びの声を上げる。
けれど、せっかく浮上した私の心は、その後に続いたグラスの言葉によって、再び、それも奈落の底へと突き落とされることとなってしまった――。
次話投稿は10/18の15:30です




