102日目③ 今日も射ります! キューピッドの矢
……レオがこの時間帯に帰って来るなんて……?! えっ、珍しーーー!!
いや、珍しいどころではない。これは初めてのことだ――!
レオの帰って来る時間帯はいつもだいたい夕方で、場合によっては私が退勤した後になることがたまにあるくらい、とにかく遅いのが常なのである。
そのレオが、私達の方を見るなり「うまそうな匂いがするじゃねぇかぁ~~~!」と言って、作業用机の上の茶色い紙袋――二人分のお弁当が入っている――目がけて飛びつき、グラスはそんなレオを見て苦笑しながら、私とモップちゃんに「今戻った。遅くなってすまなかったな」と声をかけた。
私は二人の登場に(特にレオの帰りに)胸を躍らせ、すぐさま腰を上げる。
……今日こそは……今日こそはグラスとレオを二人っきりにする機会が訪れるかもしれない――!
「グラスしゃま、おかえりなさいデシ!」
「グラス、おかえりなさい! レオも――」
けれど、レオに視線を走らせた途端、そんな期待は見る見るうちにしぼんでいってしまった。というのも、レオは紙袋からお弁当を二つ取り出して見比べたかと思うと、一つは作業机の上に置き、もう一つはどうしてかまた紙袋の中に戻し、それを嬉しそうに抱えたのだ。
そして、今は何かを探す感じで室内をキョロキョロと見回している。何と言うか――執務室で休もうという感じは微塵も伝わってこない。
……これは、もしかして……ううん、もしかしなくても……?!
その予感の答え合わせは、次のグラスの台詞がしてくれた。
「――レオは弁当を取りに来ただけで、すぐに戻るそうだ。今日は揚げ物だからなるべく早く食べたかったらしい。その代わり、今日はもう帰って来ることは難しいようだが」
「あ……そうだったんだ、ね……!」
……ちーん……はい、終わった……! 本日のチャンスを探すボーナスタイム、終わった……!
「なんせ今日はトンでもない屋の特製ヒレカツ弁当だからな! 今日くらいは何が何でも出来立ての内に食べたかったんだ!」
「さすが犬っころ、相変わらず食い意地が張ってるデシ」
「へっ! 何とでも言えよ! お前は下級悪魔街で支給される飯の味を知らないからそんなことが言えるんだぜ――」
レオはそう言いながら、執務室の左奥――書類の山がいくつか出来ている自分の執務机まで進み、今度は現在若干放心気味の私に向かって叫んだ。
「――そんなことより、美咲!」
「はへぇ……?」
「今日も惑うなツウのドーナツは差し入れしてくれてるんだろ?! どこにある?!」
どうやらレオが先ほどからキョロキョロとしていたのは、ドーナツを探していたためだったらしい――。
このドーナツとは、私がレオに差し入れをするという名目で、毎日欠かさず魔王城までのデリバリーをお願いしているスティック型のドーナツのことだ。
ただし、その名目は表向きで、本当の目的はドーナツを使った『レオを受けにする洗脳計画』なのだが、当の本人はそんな私の個人的な思惑が隠れているとは露知らず、嬉々として毎日召し上がってくれている。
なお、どうしてドーナツで受けの洗脳が出来るのかというと――このドーナツの見た目や形が男性のナニを、もっと直接的表現をするならば男性のイチモツを連想させやすいからだ、と言えば、納得して頂けると思う。
そして、それを毎日見せたり食べさせたりすることで(ありがたいことにレオは一日も欠かさず食べてくれている)、男性のナニを潜在的に刷り込んでいき(サブリミナル効果)、気が付けばいつしかレオはドーナツではなく、男性のナニを欲しがるようになる、つまり受けになる、というところまでがこの洗脳計画であり、私の大事な使命なのである!
ちなみに、受けへと目覚めたレオがナニを欲する相手、要するに攻めは誰かというと、言わずもがな、それは私の中ですでにグラスと決まっている――! というか、さっさとくっつけぇえええ!! おっと……つい本音が漏れてしまった。
まあ、とにかくそんなわけで――。私はかれこれ三ヶ月以上も同じドーナツを注文し続けており、それは本日分ももれなく注文済みの到着済みなのだが、レオの台詞の通り、今日はレオの目に付く場所には置いていない。
私はレオ自らドーナツを探し求める姿勢が見えたことで、若干放心気味の状態から少し復活し、そのありかを指さしながら口にした。
「キッチンの冷蔵庫の中だよ! 今日は珍しくいつもよりだいぶ暑いから、念のためにと思って入れておいたの!」
なんせ、このドーナツの外側はアーモンドダイス付きのホワイトチョコレートでコーティングされているし、中にクリームも入っている。
魔界のチョコレートやクリームがどの程度の温度で傷み始めるのかは人間の私にはわからなかったので、冷暖房設備が一切ないこの部屋の中に置きっぱなしにするというのは、なんとなく止めた方がいい気がしたのだ。
「なるほど、そうだったのか! 確かに暑いと味が落ちやすいもんな! じゃあ今日ももらってくぜー! サンキューな!」
レオはそう言うと、自分の執務机の左斜め奥にある隠し扉の本棚をグッと押し、続く部屋の中――キッチンへと消えていってしまった。
その直後、開け放たれたままの扉の先からガタガタバタンバタンという少々乱暴な音が響き、私達三人は互いに自然と目を合わせる。
「……なんだか忙しないデシねー」
「今日は無理矢理仕事を調整したらしいからな。一分一秒でも無駄に出来ないのだろう」
「一分一秒……レオってば、いつでも買えるお弁当のためにそこまで必死になるなんて……!」
そんなことにも気付けないくらい、レオは現場での仕事量に――いや、主に現場で配給されるお弁当に、よっぽど脳と精神をヤられているようだ。
まあ、確かに一日中働きづめとなれば、必然的にご飯が唯一の楽しみになってしまうだろうし、加えてレオは堕天使の中でもかなり味にうるさいので、その徴候が顕著なのは当然なのかもしれない。
「なんだか犬っころがいつもより憐れに見えてきたデシ」
「……ほんとにね」
と、そうは言っても、いくらレオが大変な状況だろうがなんだろうが、私はドーナツの差し入れを止める気は一切無いが。
むしろ、弱っている今が一番の攻め時、ビッグチャンスと言えよう。そして、そのビッグチャンスを掴んでものにしなければならないのは、私だけじゃない。レオに想いを寄せるグラスもだ。
私は目の前に立つグラスをチラリと上目で見てみると、グラスはレオの居るキッチンの方に目をやっていた。
そのアイスブルーの瞳からは、ハードワーク中のレオに対する気遣いと心配という感情が窺える。それも当然だ――グラスにとってレオは大事な、特別大事な存在なのだから。けれど――。
……だからって、自分が出す感情を心配までにとどめておくのは違うんじゃない……?! もっと、好きって気持ちを出していいのに!!
まあ、相手が大変な時に、自分ではなく相手の気持ちや状況を優先するのは、実にグラスらしいと言えばグラスらしいのだが、それではいつまで経っても相手を優先し続けて終わってしまう恐れがある。
それに、私にだって天界からの迎えというタイムリミットがあるわけで、二人がくっつくのを気長に待ってはいられない。恋と腐女子は待ったなしなのだ!
ということで、ここは私がグラスをアシストするほかないだろう――。
そう思った私が口を開きかけた瞬間、グラスがキッチンの方に顔を向けたまま「そろそろ出てくるようだな」と呟いた。
その声にハッとして、グラスと同じようにキッチンへと意識を向けてみれば、いつの間にかキッチンから聞こえてくる音は先ほどよりもだいぶソフトになっており、確かにレオが出てきそうな雰囲気が漂っている。
……クッ……! せっかくグラスに『レオが食器か何かを割りそうな音を出してて心配だから』って理由をつけて様子を見に行かせようと思ったのに……! 言うタイミングが遅かったか……!
「……あっ、グラスしゃま! 犬っころは確か、今日はもう戻って来ないんデシよね?!」
「ああ、おそらくな」
「じゃあ、今日の分のノルマをこなすチャンスは今しかないデシ!!――」
モップちゃんはそう言うと、急いで背中の矢筒から弓矢を取り出した。モップちゃん特製の、本来は人間のために使うキューピッドの矢を、堕天使のレオに射るためである。
というのも、モップちゃんはかれこれ一年以上前に、レオの手によって魔死山の洞窟の中にずっと閉じ込められるという酷い仕打ちを受けており(しかも閉じ込めた本人はそれを長いことうっかり忘れていた)、その復讐でレオにキューピッドの矢を射ることを日課としているのだ。
「――イーッヒッヒッヒッ……! 今日はどこを狙おうデシかね~?!」
モップちゃんは天使らしからぬ笑みを浮かべながらそう言い残して、音を立てずにキッチンの扉横に飛んで行った。
どうやら本日も手加減する気は一切無いらしい。先ほどの「憐れ」云々の台詞はブラックジョークならぬ、エンジェルジョークだったようだ。
まあ、命中してもキューピッドの矢の効果(恋に落ちやすくなる)は無く、痛みも無いとのことなので、射りたいだけ射ればいいと思う。
むしろ、射れば射るほどレオに精神的ストレスを与えることになり、言葉は悪いがグラスの付け入る隙が出来るというものだ。
そんな恋のアシストを無意識にしてしまうとは、さすがはキューピッド課所属、恋の救世主である――!
その恋の救世主が、「お前らの分のドーナツは皿に載せてラップをしておいたからよ~!」と言いながらキッチンから出て来た瞬間のレオの額目がけて、第一の矢を放った。
次話投稿は10/11の15:30です




