二十三日目④ 伝えたいこと
時刻は夜の十時半を回ろうとしている――。
展望レストランでの食事を終えた私とレオは、たった今グラスの別荘に到着した。館全体からは明るい光がこれでもかと漏れ、まるでグラスとレオの再会を祝すような輝きぶりだ。
また、庭の花々も雲一つない夜空に浮かぶ月に照らされて美しく咲き誇っていて、それらの光景はまるでこれから始まる二人の夜が大変素敵なものになりそうだと確信させるほどに完璧である。
ところが、その素敵な夜を迎える予定のレオはというと、レストランでの食事の終盤辺りからずっと落ち着きがない。表情も何か思い悩んでいる風な感じで、時折口をもごもごさせては結ぶを繰り返しており、その様は恋に悩める乙女を彷彿とさせる。最高だ。
というわけで、私はそんなレオのためにも二人の再会を一秒でも早く実現させようと、目をギンギンに開きながら競歩で玄関扉へと真っすぐ向かっていく。
「――あっ?! お、おいっ! ちょ、待て……っ!」
レオがそう言って慌てて後ろから追い掛けてくるが、もちろん私は待たない。
「もう夜も遅いからねっ?! さっさと中に入らないとっ!!」
すでに玄関ポーチに片足を踏み入れていた私は鼻息荒くそう答え、その勢いのまま呼び鈴に手を伸ばした――と、その時である。
「美咲……! だからちょっと待てって……!」
という、レオの真剣なトーンの台詞と共に、私の身体が引き留められた。レオが私の左手首を掴み、自分の方へと後ろに軽く引っ張ったのだ。
……え゛……この声の感じ……もしかして……?
「な、なに、かな……?」
私は身体を硬直させ、何事かと恐る恐る振り返る。まさか、ここに来て『やっぱりグラスと会うのは止めておく』なんて言い出す気じゃ――?!
「振り向くな! 前を向いたまま……大した話じゃねーが、そのままで聞いてほしい……」
「……わ、わかった……?」
どうやらその台詞から察するに、グラスと会うのは止めておくという話ではないらしい。でも、いったい何を言うつもりなのだろう――? 大した話じゃないと言いつつも、その声は随分深刻めいている。
「……ホントは、店で言おうと思ってたんだけどよ……まあ、あれだ……タイミングが、な……って、そんなことはどうだっていいか――」
レオは一人言い訳するかのようにブツブツ言った後、大きく息を吸って吐いた。
「――要するに、オレが言いたいのは……お前が居てくれて助かってるって話だ……!」
「……へ……?」
「業務もそうだし、差し入れのドーナツとか……その他にも色々助かってるって、この機会に一応言っておきたかったんだよ……!」
「!」
なるほど。つまりこれは、レオなりに感謝の気持ちを伝えてくれているということか――そうわかった瞬間、私は身体の力が抜け、フッと笑ってしまった。
悪魔なのに律儀過ぎる。でも、面と向かって言わないところがなんともレオらしい。
「……悪魔手前、人間に感謝の言葉とかは口にしねーけど――」
レオはそこで一旦台詞を止めると、私のすぐ左横まで自分の顔を近付けた。そして、その続きを私の耳元でそっと囁く――。
「――お前が居る執務室はそんなに悪くないぜ」
「ひゃうっ?!」
「っ……また明日なっ!」
その声と同時に後ろから翼を広げる音が響き、首を思い切り右に傾けた状態の私が振り向いた時には、レオはすでに夜空に浮かんでおり、あっという間に魔王城がある方向へと飛び去っていってしまった。
私はその後ろ姿を見つめながら、まだ少しぞわぞわする左耳と不覚にもドキッとさせられた心臓を両手で押さえ――それが治まった頃、自分が重大なミスを犯したことにやっと気が付いた。
「ああっ……!! し、しまったぁ……!! 二人を会わせる作戦がっ……!! どうして帰らせちゃったのっ……!! 私のバカ、バカッ! レオ、カムバッ~~~ク……!!」
もちろん、そんな私の声は届くはずもなく――。私がいつも通りの一人帰宅を余儀なくされたのは言うまでもない。
だが、一点だけ、いつもと違ったところがあった。それは何かというと――。
「――あっ! 帰ってきたデシ!」
「美咲、遅かったな」
グラスとモップちゃんの二人が、玄関ホールの階段下で待ってくれていたのである。
「あ~……待っててくれたんだ~……ありがと~……」
「……みさきしゃん、大丈夫デシか?」
「かなり疲れているようだが……食事は楽しめたか?」
グラスはそう言うと心配そうに私の顔を覗き込み、「発動はしていないな」と一人呟いた。一緒に連れ帰って来ているはずのレオが居ないのに、それに対する失意や動揺はおくびにもださない。
「あ、うん……出てきた料理は全部美味しくて……それにレオも……あっ……! い、色々面白い話を聞かせてくれて……えっと、ヤンって堕天使のドジ話とか……あの、だから楽しめたよ……!」
にもかかわらず、元来コミュ障の私はうっかりレオの名前を出してしまった。しかし、グラスはレオの名前に反応するどころか完全スルーで、幼い子供にするみたいに私の頭を撫でながら優しく微笑んだ。
「そうか。それは良かったな」
「……!」
「……えーっと、それで今日の日課はどうするデシか? 止めておいた方がいいデシかね?」
「そうだな。夜も遅いことだし……美咲、今日はもう休んだ方がいい」
その言葉に私はハッとして、慌てて首を横に振り全力で反対する。これ以上、グラスから楽しみを奪う訳にはいかない!
「ううん! やる! 絶対やる!」
「……ふっ。じゃあ、やることにしようか」
「そうデシ! やるデシーーー!」
そう決まった瞬間、モップちゃんが高らかにガッツポーズし、キッチンに向かって一直線に飛んでいった。レオのことをグラスに謝るなら、チャンスは今だ。
「グラス、あの、ごめんね……! 私、レオを連れてくるはずが、失敗しちゃって……!」
「ああ……なんだ、そういうことか。美咲は疲れているのではなく、落ち込んでいたのだな。大丈夫だ、美咲。全く問題無いぞ」
「そうだよね……! 久しぶりに会いたかっ……ん?! え、全く問題無い?!」
……空耳じゃないよね?! つい二週間くらい前は、レオの塩対応であんなにも落ち込んでいたのに?! 今日はレオが帰ってしまったことに対して何も問題無いと言い切る、だと?! 私がグラスの立場だったら絶対落ち込むけど?! え、グラス、いつの間にそんなメンタル強くなったの?! いや、別にメンタルが強くなる分にはいいんだけどね?!
私は驚きのあまりポカンと口を開けてグラスの顔を見つめると、グラスは頷いてもう一度「全く問題無い」と言い切った。グラスは更に続け、
「そんなことより、美咲――」
と言いながら、少し真剣な顔で私をじっと見つめ返した。
「――実は昨日言おうか迷っていたんだが……今後帰宅が遅くなる場合、出来れば前もって帰宅時間を連絡してほしい。もちろん、無理にとは言わないが……」
「れ、連絡?! あっ……!」
おそらくグラスはこう言いたいのだ――何時に帰って来るかわからない居候を寝ずに待ち続けるのは疲れる、と。
「……やはり嫌か……?」
「あ、ううん?! 嫌じゃないよ! そうだよね、うん! 気が利かなくてごめんね! 次からはちゃんと連絡します!」
私の返事にグラスはホッとした表情を浮かべ、「……ありがとう」と呟いた。
「……安全な相手とはいえ、こんなに遅いと心配にな――」
――ところが、その時。キッチンの方から、どんがらがっしゃーんという派手な音とモップちゃんの「あ゛~~~!! やってしまったデシーーー!!」という声が聞こえてきて、私はグラスが何と言っていたのか聞き取れなかった。まあ、グラスも小声だったし、重要なことではなかったのだろう。
「――あらら。これはまた派手にやったみたいだねぇ」
「ああ。大方、興奮し過ぎて手元を狂わせたんだろう。今日も屋上で過ごすことを随分楽しみに待っていたからな」
「ふふっ、そうだったんだ……! じゃあグラス、そろそろモップちゃんを助けに行きますか」
「そうだな……あ、美咲、その前にもう一つ……まだ言っていないことがあった」
「へ?」
グラスはすでにキッチンに向かって歩き出していた私の左手首を優しく掴んで私の動きを止めると、私の目の前にするりと回り込む。そして、温かな瞳で私を見つめながら微笑して言った――。
「美咲、おかえり」
「あ……ただいま、グラス!」
「うむ……無事に帰ってきて良かった」
「へへっ……うん……!」
次話投稿は明日8/28の15:30です




