六日目 キューピッドの矢
「――ようやく……! ようやくあのクソ犬っころに復讐するチャンスが巡って来たデシ……! イーヒッヒッ!」
その翌朝である。この怪しげな台詞を吐いているのは、現在天使の聖なる力とやらで透明モードになって飛んでいるモップちゃんだ。
そして、このクソ犬っころとはレオのことで、それはつまり、例のモップちゃん洞窟閉じ込め事件の犯人――どうしても魔王城へ行きたいモップちゃんの告白によって約二十分前に判明した――を意味している。
やはり天使から見ても、レオへの解釈がワンコ系であるのは間違いないらしい。
――と、そんな中、今度はモップちゃんとは異なる人物の台詞が、私の顔のすぐ近くで響く。
「ちょっと! サタンから執務室に入るまでは黙ってろって言われたこと、忘れたわけじゃないよねぇ?!」
そう言ったのは、ものすごい勢いでモップちゃんが居るらしき方向をキッと睨んだショタである。なお、ショタは朝から天使のために魔王と電話でやり取りさせられるという突発的な仕事が入ったため、いつも以上に機嫌が悪い。
「……忘れてないデシ。目の前に魔王城が迫って来たからついうっかり心の声が漏れちゃったんデシよ……もう黙ってるデシ」
「ふんっ……だといいけど! サタンに言われた通り、さっさと天界に帰って大天使を呼びに行けばよかったのに……!」
そうなのだ。実は魔王との電話でのやり取りで、私の滞在日数を減らしかねないそんな卑怯な提案があったのだが、それをモップちゃんは私をそばで守りたいからと言って見事に断ってくれたのである。まあ、半分は思う存分レオに復讐してから天界に帰るという理由からだけれども。
「……それにしても、謁見無しでよくオッケーが出たよね。私の時なんてドーナツを持ち込んだだけで謁見になったのに……」
「まあ……天使は魔界の住人じゃないからね――」
ショタ曰はく、魔界のルールはここで暮らす者のためにあるもので、それを天界の住人に強制する威力はないそうだ。
「――でも、だからと言って魔界の秩序を脅かしていいってことじゃない。その証拠に、サタンは天使の姿が悪魔達の目に極力触れないよう、出入りの許可を出す代わりに透明化を条件に挙げたってわけ。あの姿で魔王城に出入りするのを見られたら一発で天使ってバレてちょっとした騒ぎになるのは明らかだし」
「確かに……!」
というのも、この魔界には驚くことに幼い子供が一人もいない。なぜなら全ての悪魔は成人した状態で誕生するからだ。よって、見た目が幼児そのもののモップちゃんは、頭上に浮かぶ天使の輪っかを帽子などで隠したとしても、すぐに正体が見破られてしまうのである。
もちろん魔界にも赤子や子供という概念はあるのだが、それは悪魔以外の生き物にしか存在せず、ヒト型はあり得ないというのが常識だ。
「……だから……グラスの件もそういうことだよ。突然堕天使だった者が大天使になって現れたら……みんなパニックになるし、グラス自身がどんな誹謗中傷を受けるかわからない」
「……!」
「……サタンはサタンなりにグラスを守ろうとしてるってことはわかってやって――」
そう言ったショタの声にはやるせなさが混じっていた。多分、昨日の謁見時のことを思い出しているのだと思う。
「――で、昨夜はどうだったの」
「……あ、流星群ね! うん、グラスも楽しめたみたい。ショタが教えてくれたおかげだよ。ありがとう」
「……ふんっ……別にお礼を言われるような筋合いはないけど……楽しかったなら良かったんじゃない」
つっけんどんな言い方だが、ショタがグラスのことを心配しているのはしっかり伝わってくる返事だ。私はこっそりと笑みをこぼし、ついでに今夜のことも口にする。
「でね、今夜は花火をやる予定なんだけど……どんな風に誘ったらレオも来てくれると思う?!」
「あんた……悪魔なの? ついさっき、あの天使がそのレオに酷い目に遭わされたって聞いたよねぇ?! それなのにみんなで仲良く遊びましょうってことでしょ?! こっわ!」
「いやいや……いくらなんでもモップちゃんの件はわかってるよ、もちろん。でもそういう意味じゃなくて……モップちゃんもレオが近くにいる機会が沢山あった方が何回も復讐出来るじゃん?!」
「ふうん。なるほどね……美咲も一応、あの天使のことを考えてあげてるんだ?」
「ま、まあね?! で、でもそれだけじゃないよ?! グラスはレオに会えてハッピーだし、私はグラスとレオをくっつける機会が増えるし、レオは……レオは、そう……! 仕事の息抜きになるし?! ねっ?! みんなウィンウィンでしょ?!」
「いや、それ、どう考えてもレオだけウィンウィンじゃないよね?! それ、ただの生贄だから!」
「生贄だなんて人聞きの悪い……せめて尊い犠牲と言ってほしいわ。それにほら……私の矛先がレオに集中すればショタも私の被害に遭うことはないと思わない?」
つまり、BLのネタにされないという意味である。それを理解したショタは即あっさりと私の意見に賛同した。自分がネタにされるのは、仲間を生贄に差し出すのを厭わないくらい、相当嫌だったらしい。
「……まあ、おびき出せるよう頑張って」
「うん! ありがと」
「でも、その前にまずはあの天使の復讐とやらが先か……って言っても、どうせ大したことは出来ないんだろうけどさ。いったい何をするつもりなんだか……」
「…………」
それをすでに知っている私は、今から数分後にレオと対峙するモップちゃんの姿が頭に浮かんでくる。天使らしからぬ笑みを浮かべながら、嬉々として堕天使には効果がない矢を射る姿だ。
そして、それを受けたレオはもちろん無傷で、何も変わらない。私にはそれが本当に残念で仕方なく――! 無理と知りつつ、恋に落ちるとまではいかなくても何かしら心が揺れ動くような効果が出ることを、やっぱり期待してしまうのだった――。
「――ここで会ったが百年目!! クソ犬っころ、覚悟するデシ!!」
「クソモップ?! あ、やべっ、忘れてた。つかなんでここに――」
「――積年の恨み!! 容赦はしないデシ!! てやっ! てやっ! てやーっ!!」
「だっ?! ちょっ?! おいぃい?! ……って、痛くねぇ……?! あ、これキューピッドの矢か……!!」
「しかもぼくの特製デシ!! まだまだたーっぷりあるデシから、存分に受けられるデシよ!!」
「ふざけんな!! 痛みはなくても気分わりぃだろ!! って、ちょ、言ってるそばから射ってくんじゃねぇーーー!!」
「イーッヒッヒッヒッヒッ……!! 愉快痛快!! 嬉々万歳!! 本番はこれからデシよ~!!――」
――ということで、私達が総務省執務室に到着してすぐ、こんな風にモップちゃんの襲撃が始まったのである。それも時間にして二分ちょっとの短い襲撃だ。にもかかわらず、射った矢の数は百以上。しかもその全てが淡い光を放ちながらレオの身体のどこかしらに必ずヒットするという素晴らしい神業(天使だけど)で、私だけでなくショタも感嘆するほど見事だった。さすがはキューピッド課である。
一方で、その矢を全て受けることになったレオは、当然ながら身体的にはノーダメージだ。また、非常に残念だが恋に落ちた感じもない。ただ、しつこいくらいのキューピッドの矢を受けたせいだろうか――少しばかり参っている様子で、現在は椅子にぐったりと腰かけている。
「……ったく、こんな忙しい時にクソモップの相手とかホント勘弁してほしいぜ……!」
「自業自得デシ」
「うるせぇ! お前だって洞窟に閉じ込められたのは自業自得だろ?! 天使のくせに堕天使に会いに来てんじゃねぇよ! いい加減、グラスの金魚の糞を卒業しろ!! そんでさっさと天界へ帰れ!!」
「……ふんっ。そっちこそ、四六時中グラスしゃまにワンワン付きまとってべったりなくせして偉そうにするなデシ!」
どうやらレオとモップちゃんは天界時代からグラスを取り合うライバル関係らしい。二人は執務机を挟んでバチバチと睨み合い、両者一歩も譲らないといった構えだ。
すると、その様子を静観していたショタが何かを思い出した様子で「そういえば――」と言って、左隣で同じく静観していた私の方に顔を向けた。
「――あの二人を見ていつものアレを繰り広げないなんて、あんたにしては珍しいね」
アレとは所謂『腐妄想』のことである。
「……だって、モップちゃんはどう見ても子供だからだよ。それにグラスの事は親のように慕ってるだけみたいだし」
「あー……子供に、親か……なるほどね――」
更に本音を言えば、私の中ではグラス×レオで固定なので、出来れば恋敵の出現はカップルとして成立した後にお願いしたいのだ(それもヤキモチを妬かせるくらいのちょっかい程度を希望)。
「――ってことは、あんたのアレの対象になるのはあくまで大人ってことか……ふぅーん……そっか」
「え? ごめん、今ちょっとトリップしちゃって聞いてなかった。何て言ったの?」
「いや、なんでもない――」
そう答えたショタの口元はやんわりニヤけており、いつものツンが消えたショタの素っぽい横顔に、私は少しだけ目を見張った。
「――それより、時間的に考えてそろそろ仲裁に入らないと業務に支障が出るんじゃない? なんか次の攻撃? が始まってるし」
「え゛っ?! あっ?!」
ということで、二人に視線を戻してみれば、目の前には桜吹雪を思わせるようななんとも幻想的な光景――頭上から大量の薄いピンク色の花びらを降らされ続けているレオとそれを見て引き笑いをしているモップちゃん――が広がっているではないか。しかも、その花びらの色は、幸か不幸かレオのワインレッドの髪によく似合っている。
これはグラスへのいい土産になるかもしれない――そう思った私は、その姿をこっそりスマホに収めてから二人の仲裁に向かったのだった。
そうして、本日も総務大臣執務室は、モップちゃんの乱入というイレギュラーなハプニングがありつつも、無事仕事を終えた次第だ。それはもちろん、レオを除いて、だが……最終的にレオが精神的にだいぶヘロヘロになっていたのは、まあ言うまでもないだろう。
そして、そんなレオには今夜の花火へのお誘いは仕事が忙しいという理由であっけなく断られてしまったのだが、それに対し、思わず「いや、断る理由、日本人かっ!」と場を和ませるようなツッコミを入れてあげたのは、私のご愛敬である。
明日こそ、必ずや――!
次話投稿は明日8/21の15:30です




