折れた足と月下の試験②
診療所の診察台。
ヨタカが槍を握りしめたまま背後に立ち、シドが扉を塞ぐという異常な空気の中、ニキは虎の獣人の前に座った。
「さあ、見せてくれ」
ニキは男のボロボロになった左足に触れようとして、一度深く呼吸を整える。周囲の殺気が消え、ただ目の前の「患部」だけが鮮明に浮かび上がった。
「――まずは診察から」
その一言と共に、ニキの手が虎の獣人の足に触れる。
虎の獣人はびくりと肩を揺らしたが、ニキの指先から伝わる的確で迷いのない動きに、毒気を抜かれたように大人しくなった。
(骨折したまま、無理に歩き続けたせいで骨が変形して神経を圧迫している……。これじゃ立っているだけで激痛のはずだ)
「……よし。時間はかかるけど、必ず治る。ハイエナのあんたも手伝ってくれ。足を固定する間、ここを支えていてほしい」
「……オレが、手伝うんか……?」
人質にしていたはずのニキから冷静に指示を飛ばされ、ハイエナの男は呆然と立ち尽くした。だが、ニキの視線に抗えず、吸い寄せられるように診察台の側に膝をついた。
「……タイガ、頑張りや。先生が治してくれるって言うとるから……!」
ゴズは震える手で、親友の身体を必死に支えた。
背後で見守るヨタカは、槍を握る手に力を込めながらも、処置に没頭するニキの横顔を静かに見つめていた。その瞳には、どんな罪人であっても「患者」として平等に接するニキへの、得も言われぬ感情が滲んでいた。
「――少し痛むぞ」
ニキが変形して癒着しかけていた骨を、的確な力で本来の位置へと戻す。
「ぐぁあああっ!!」
「タイガ!」
タイガが激痛に叫び声を上げる中、扉の前に立つシドがナイフを弄りながら「やるっスねぇ、人間の先生は」と呑気な軽口を叩く。ヨタカは腕を組んだまま、無言でその光景を睨みつけていた。
「タイガ、踏ん張り! 痛いけど我慢やで! オレもついとるからな、しっかりしぃッ!」
ハイエナの男はボロボロと大粒の涙を流しながら、親友の身体を必死に押さえ、何度も声を張り上げて励まし続けた。
「……よし。入った」
骨が正しい位置に収まる鈍い音と共に、ニキは素早く添え木を当て、薬草を練り込んだ湿布を厚く巻きつけて固定した。
「はぁっ、はぁっ……」
タイガは全身を汗びっしょりに濡らし、荒い息を吐きながらも、嘘のように痛みが引いていく左足を見て呆然としている。
「処置は終わりだ。今日はもう無理に動かず、この診察台で休んでくれ。あんたも、今日はここに泊まれ」
ニキがタオルで手を拭きながら言うと、二人は信じられないものを見るような目を向けた。
「さてと。それじゃあオレっちは、長老様にこいつらのことを報告してくるっス」
シドが扉に手をかけ、肩をすくめる。
「ま、里の掟通りなら、極刑は免れないっスけどね。それまで逃げないように見張ってるんスよ、隊長」
シドの軽い足音が遠ざかっていく。
「極刑……」
ハイエナの男が絶望に顔を歪め、その場にへたり込んだ。ヨタカは槍を手に、冷酷な事実を告げるように見下ろしている。
静まり返った診療所で、ニキは二人の前に椅子を引いて座った。
「……なぁ。あんたたちの名前は? なぜ、泥棒なんかしたんだ?」
ニキの静かな問いかけに、二人は顔を見合わせた。やがて、ぽつり、ぽつりと重い口を開く。
「……オレは、タイガだ。こっちはゴズ」
タイガは自嘲するように鼻を鳴らした。
「オレは、元の里で役立たずとして追い出されたはぐれ者だ。痛みに耐えながら、強盗まがいのことをして食い繋いでた。そんな時にゴズと出会ったんだ」
「オレの里はな、妖怪に襲われて全滅したんや」と、ゴズが涙を拭いながら続ける。
「教養も力もあらへんオレが生きるには、山賊になるしかなくてな……。タイガを誘って、噂に聞いたこの里へ来たんや。薬と食料を奪うためにな」
生きるために罪を重ね、ついに極刑を待つだけの身となった野盗たち。
その重い告白を聞き終え、ニキは真っ直ぐに二人の目を見た。
「二人は、これからどうしたい?」
「どうしたいって……そんなん選べるわけないやろ」
ゴズが自暴自棄に笑う。
「どうせ極刑になるんやろ。オレらの人生なんて、こんなもんや。最後にこの足が治っただけでも、マシやったんかもしれんな」
「誤魔化すな」
ニキの声が、少しだけ強くなった。
「俺が聞いているのは、あんたたちの本音だ。……もう一度聞く。本当はどうしたいんだ?」
その真っ直ぐな瞳に見つめられ、二人の心に被さっていた「強盗」としての虚勢が、音を立てて崩れ落ちた。
「……帰りてぇよ」
タイガが顔を覆い、絞り出すように呻いた。
「でも、帰る場所なんてどこにもねえんだ……。痛くて、腹が減って、毎日死ぬのが怖くて……っ」
「オレだって、泥棒なんかしたなかったわ……! まともに働いて、笑って生きたかっただけなんや! ここにおらしてくれ……この里で、普通に生きたかったんやぁっ!!」
ゴズも子供のように声を上げ、床に額を擦りつけて泣きじゃくった。
獣人たちの悲痛な叫びが、夜の診療所に響き渡る。
「……そうか」
ニキは優しく微笑み、二人に告げた。
「なら、ここで働けばいい」
「「……え?」」
涙で顔をぐしゃぐしゃにした二人が、間の抜けた声を上げる。背後に立っていたヨタカの耳の羽毛が、ピクリと跳ねた。
「……お前はバカなのか」
ヨタカが深い、深い呆れを含んだため息をついた。
「助けるだと?こいつらは極刑を言い渡される身だぞ。それを自分の傍に置くなど……」
「そうだ。助けたい。困ってるなら助ける、それだけだ。それに……」
ニキはヨタカを振り返り、困ったように笑った。
「罪を犯したなら、償う機会を与えられるべきだ。この診療所は毎日忙しすぎて、俺一人じゃもう限界だ。ここで助手として働いて、里の皆を助けることで罪を償ってほしい。……長老への説得は、俺も手伝うよ」
「ニキ、先生……っ!」
「こ、こき使ろてくれて構わん! ほんまに、何でもするから……ッ! 助けてくれて、おおきに……おおきにっ!!」
ゴズとタイガは、診察台の上と床で、声を上げて泣き崩れた。
泥まみれの強盗が、新しい居場所と「改心」の機会を与えられた瞬間だった。
「……長老が許すかは分からんぞ」
ヨタカはぶっきらぼうに言い捨て、槍を下ろした。だが、窓の外を見つめるその横顔には、ほんの僅かだが、確かな微笑みが浮かんでいた。
里を包む夜はどこまでも静かだった。診療所の窓から漏れる微かな灯りだけが、闇の中にぼんやりとした輪郭を描いている。室内では、ヨタカの厳しい監視の目が光る中、処置を終えた二人の獣人とニキが、奇妙な静寂を共有していた。
夜も更けた頃、重い木扉がギィと音を立てて開いた。現れたのは、見張り団副隊長のシドだ。
「ほらよ、夜食っス。長老様からの差し入れもあるっスよ」
シドの両手には、木の実の芳醇な香りを漂わせる温かいスープと、籠から溢れんばかりの焼きたてのパンが抱えられていた。シドは机に食事を並べながら、ふとヨタカの傍へ寄り、その耳元で何かを低く囁いた。ヨタカは金色の瞳をニキたちに向けたまま、短く、重みのある頷きを返す。
食事が始まると、張り詰めていた空気は湯気と共に少しずつ溶け出していった。
空腹の極みにあったゴズとタイガは、熱いスープを一口啜るなり、堪えきれないように涙を溢れさせた。
「う、うまっ……。こんなまともな飯、いつ以来やろ……」
ゴズは震える手でスープを飲み干すと、パンをちぎって口に運んだ。言葉を交わしてみれば、二人は強盗を働こうとした者とは思えないほど、素直で根の明るい青年たちだった。
「オレ、これでも力には自信があるんだ!」
タイガはパンを頬張りながら、右腕で力瘤を作ってみせた。
「昔はちょっとだけ傭兵もやってたしな。この足が治ったら、先生のためにどんな力仕事でもして、めちゃくちゃ働くぜ!」
「先生、オレは手先が器用なんやで」
ゴズも照れくさそうに鼻の頭を掻きながら続けた。
「自分らの武器の手入れは全部オレがやっとったし、親から薬草を煎じるやり方も教わったことあるんや。きっと先生の役に立ってみせるわ!」
ニキは、二人の純粋な言葉に思わず微笑んだ。
怪我人を運ぶ強靭な力と、細かな薬の調合補助。それらは、まさに今の診療所が喉から手が出るほど求めていた「助け」そのものだった。
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2人でつもる話もあるだろうと奥の部屋で2人きりにした。
ヨタカ、シド、ニキの3人が集う。ニキが椅子に座り2人は入口と2人のいる部屋の前に立つ。
「……ニキ」
不意に、部屋の隅に控えていたヨタカが低い声で呼んだ。見れば、いつの間にかシドが入り口の壁に背を預け、監視の持ち場を交代している。
夜の里は、静謐な空気に包まれていた。開いた窓辺から差し込む月明かりが、どこか寂しげなな光を帯びてニキを射抜く。
「お前……本当に、あいつらを助けるつもりなのか」
その問いには、隊長としての「不信」だけでなく、一人の男としての「懸念」が混じっていた。
「強盗を働こうとした奴らだぞ。いくら改心したと言ったところで、いつお前を裏切るか分かったものではない。牙を剥かれた時、力のないお前では身を守れないんだぞ」
それは、戦いの中で多くの悪意を見てきたヨタカだからこその、痛切な忠告だった。
だが、ニキは冷たい風に吹かれながらも、揺らぐことのない澄んだ声で言い切った。
「大丈夫だ。彼らなら、絶対に裏切らない」
「なぜ、そこまで言い切れる。何をもって信用するというのだ」
「彼らと話して分かった。……それにな、ヨタカ」
ニキは一歩、ヨタカの方へ歩み寄った。
「俺は、そういう彼らの『弱さ』を信じたい」
ー彼らの『弱さ』を信じたいー
他者の過ちを糾弾するのではなく、その背後にある震えるような本音を抱きしめる。ニキのその在り方は、弱肉強食の世界で「強さ」のみを絶対の正義として生きてきたヨタカにとって、あまりに眩しく、そして危ういほどに美しかった。
「……本当にお前という人間は……。」
タイガは呆れてため息を吐く。そしてニキに言ってきた。
「ではこうしよう。1つ拙者に考えがある。あの者達が改心したのかこれで確かめるとしよう」




