休日報告書③
夕暮れ時。三人は両手いっぱいの荷物を抱えて診療所へ帰還いたしました。
わたくしの手には厳選した大量の香辛料と茶葉の包み。ゴズさんとタイガさんの手には、漁師の方から受け取った釣果の入った桶がございました。
「おかえり、みんな……」
寝室の机に突っ伏していたニキ様が、涙目でこちらを見ておられました。その目はどこか虚ろでございます。
「俺は……一日中ヨタカに見張られて、診療録を1ページも書けなかったよ……」
その後ろでは、ヨタカ様が腕を組み、非常に満足げな顔で二度、三度と力強く頷いておられました。
夕食は、釣った魚を新鮮なうちにいただくため、里のすぐ側を流れる河原に皆で赴き、焚き火を囲むことになりました。
ゴズさんとタイガさんが手際よく魚を下処理し、串に刺して焚き火の周りに立てて焼き上げます。皮に焦げ目がつき始めた頃合いを見計らい、わたくしが今日買ってきたばかりの異国の香辛料を調合してサッと振りかけると、食欲を激しくそそる芳醇な香りがパチパチという音と共に夜風に乗って広がりました。
「おおっ、美味そうな匂い! いただきまーす! ……熱っ! うまっ! この味付け、最高やんけ!」
「ユウの香辛料、すげぇな。魚の旨味が全然違う次元に引き立ってるぜ」
ゴズさんとタイガさんが笑顔で頬張り、わたくしも、自分で釣った魚を一口齧りました。
口の中に広がる香ばしさと、柔らかな身の甘み。これまで王朝で食したどのような高級料理よりも、それは温かく、心に深く染み渡る味がいたしました。
わたくしたち三人が肩を寄せ合い、美味しそうに魚を食べている姿を、ニキ様は目を細めて、とても嬉しそうに見つめておられました。
「……元山賊と、元王朝の執事か。これほどお互いに異なる境遇で、違う人生を歩んできた人たちが、こ
んな風に笑い合って仲良くなれるんだな……」
ニキ様の優しい呟きに、わたくしは静かに、誇らしく頷きました。
少し離れた場所では、ヨタカ様とシド様が、何も言わずに並んで座り、黙々と串焼きの魚を口に運んでおられました。言葉はなくても、皆様の間に流れる空気はひどく穏やかで、満ち足りたものでした。
パチパチと爆ぜる焚き火の心地よい音と、澄んだ夜空に瞬く無数の星々。
夕食の片付けを終え、皆様が寛いでおられた時のことです。
ヨタカ様が、今から行きたいところがあるとお声を掛けられました。わたくしたちは不思議に思いながらも、その大きな背中についていくこととなりました。そして辿り着いた場所は、夜の静寂に包まれた里の訓練場でございました。
「ニキ。……そしてお前たち、ゴズ、タイガ、ユウ。集まれ」
整列したわたくしたち三人の前で、ヨタカ様は愛槍の柄をどっしりと地に突き立てられました。
「これより、定期的に戦闘訓練を行う。ニキは今後、熊の集落への検診など、結界の外へ出る機会が増える。その際、この脆弱な人間を守り抜くのは、傍にいるお前たちの義務だ」
「えっ、俺の護衛のために……?」
ニキ様が驚いてお尋ねになると、隣で投げナイフを手の上で遊ばせていたシド様が、堪えきれないといったご様子で吹き出されました。
「くっくっく。……そういうことっスよ、先生。隊長はね、『もし先生の細い指にトゲ一本でも刺さったらどうするんだ!』って、夜も眠れないくらい心配でたまらないんっスよ。ねぇ、隊長?」
「シ、シドッ!! 貴様、上官に向かって何たる……ッ!」
ヨタカ様のお顔が、周囲を照らす松明の火以上に真っ赤に染まりました。わたくしは、お二人の微笑ましいやり取りを静かに見守っておりました。
「……っ、単なる戦力管理だ! 万が一の事態に備えるのは隊長として当然の責務だと言っている!」
「はいはい、愛っスね〜」
シド様はひらひらと手を振り、全く反省の色を見せずに笑っておられます。ヨタカ様は雷を落とそうとされましたが、ニキ様の不思議そうな視線にお気づきになると、一つ咳払いをして強引に話を戻されました。
「……訓練を始める。まずは実力測定だ」
訓練所の砂地を、月光が青白く照らし出します。
ゴズさんは短剣の二刀流、タイガさんは身の丈ほどもある大斧、そしてわたくしは細身の片手剣。それぞれが使い慣れた得物の模造武器を手に、対峙いたしました。
「まずは、ゴズ、タイガ。相手はシドだ。二人掛かりで来い」
「よっしゃあ! 腕が鳴るわぁ!」
ゴズさんがギラついた目で二本の木刀を構え、軽快なステップを踏まれます。
「先生、見ててや! オレらのカッコええとこ、目に焼き付けときや!」
「俺もだ! 先生に『こいつがいれば安心だ』って思わせてやるぜ!」
タイガさんが大斧を肩に担ぎ直し、地を力強く蹴りました。
「らあああっ!!」
凄まじい風圧と共に、重い一撃が振り下ろされます。しかし、シド様はその刃が届くわずか数センチ手前で、あくびでもなさいそうな気怠い動作で半歩だけ身を引かれました。
砂煙が上がりますが、シドさんの御姿はそこにはございません。
「遅いっスよ。力みすぎ」
「なんやとっ! 逃げんなや、このヒラヒラ野郎!」
ゴズさんが鋭い踏み込みから、二刀による十字斬りを放ちます。獲物を捕らえたかと思った瞬間、シド様は背中を反らせるようにして美しく回避し、そのままゴズさんの手首をコン、と軽く叩きました。
「いてっ!?」
「刃筋がブレてるっス。怒るとすぐ手元に出るっスね〜」
シド様はまるで舞踏のような足取りで、お二人の猛攻をすべて紙一重でかわしていきます。まさに柳に風。タイガさんの力も、ゴズさんの速度も、シド様という底の見えない沼に吸い込まれていくようでございました。わたくしも、シド様の優れた体捌きには感嘆いたしました。
「……そろそろ、終わりにするっスよ」
シド様の瞳が、一瞬だけ冷徹な戦士のそれへと変わりました。
大振りの一撃を放った直後のタイガさんの懐に潜り込み、その重い石突きを足場にして跳躍。空中で回転しながら、ゴズさんの二刀の隙間に腕を通し、お二人の膝裏を同時に蹴り抜かれました。
「ぐわっ!」
「あだだだっ! 嘘やろ!?」
気づけば、お二人は砂の上で無様に膝をついておられました。
「あーあ。二人掛かりでこれじゃ、妖怪の餌になるだけっスよ。出直しっス」
シド様はいつもの飄々とした口調に戻り、鼻を鳴らされました。
「……次は、ユウ。拙者が相手をしよう」
ヨタカ様が静かに前に出られると、周囲の空気の密度が明らかに変わりました。
わたくしは無言で一礼し、細身の木剣を中段に構えます。
ですが、自ら戦いながらこの状況を書き記すことは不可能ですので、ここからの記録はゴズさんにお願いすることといたしました。
先生、オレや、ゴズやで!
ユウが「これから戦闘に入りますので、この場面の記録を代わってください」って急に筆と紙を押し付けてきよったんや。字ぃ汚くてすまんけど、オレが見た通りにバッチリ書くわな!
ヨタカ隊長が一歩前に出た瞬間、空気がピリッと張り詰めたんや。
ユウは黙って一礼して、細っこい木剣をスッと中段に構えよった。あの細い体のどこにそんな闘気が隠れてたんやってくらい、オレらとは全然違う、静かで恐ろしい気迫やった。
「……いくぞ」
隊長の槍が、見えないくらいの速さでズドン! と突き出された。
ガギィィィン!!
オレ、ユウの体が吹っ飛ぶかと思ったんやけどな。ユウのやつ、そのバカみたいな威力の突きを真正面から受けやんと、剣を少し傾けてスッと横に受け流しよったんや! ほんで、そのまま流れるように踏み込んだ。
隊長も「――ほう」って目を細めとったわ。
そこからはもう、オレやタイガじゃ全然目で追えんくらいの凄い戦いやった。
隊長の重たい槍がビュンビュン空気を裂いて、見てる先生の髪が風圧で揺れるくらいやのに、ユウはヒラリヒラリと最小限の動きでかわしていくんや。
上段からの叩きつけを横に転がって避けたかと思ったら、地面に手ぇついた反動で跳ね起きて、隊長の喉元に鋭い突きを放ちよった!
隊長がそれを槍の柄で弾いて、そのまま石突きでドゴォッ!って押し返した。
ユウも剣を盾にして防いだけど、さすがに何メートルも後ろにズザーッて押し出されとったわ。
砂埃が舞う中で、お互いの武器がぶつかるバキィッ!ガキンッ!ってすげぇ音が何回も響いた。ほんまに木の手合わせかこれ!?
でも、勝負は一瞬やった。
ユウが地面を強く蹴って、ものすごい踏み込みで渾身の一撃を放ったんやけど……隊長、それを避けへんかったんや。槍を捨てて、左腕でユウの剣筋をガシィッ!って強引に抱え込みよった!
「――捕らえたぞ」
ピタッ、と動きが止まった。隊長の右拳がユウの胸のど真ん中で止まってて、ユウの足元にはいつの間にか槍の石突きが転がってて逃げ道を塞いどった。
ユウは静かに息を吐いて、スッと片膝をついた。
「……参りました。流石は里一番の武人でございます」
「……いや。王族の執事というのは、これほどの剣を隠し持っているものなのか。貴様の筋の良さは、もはや兵士の域を超えている」
隊長も息を荒くしながら、ユウの手を引っ張って立たせた。隊長があんなふうに武人として誰かを認める目ぇするの、オレ初めて見たかもしれん。ユウってほんま、何者なんや……?
「……さて。激しく動きすぎて、服が汚れてしまいましたね」
ユウがそう言って自分の肩の砂埃をパタパタ払ったんやけど……ここからがオレの一番ビビったとこや!
ユウのやつ、立ち上がってお辞儀した時には、服にシワひとつ、汚れひとつ残ってへんかったんや! さっきまであんなに砂埃まみれで激闘してたのに、新品の服着とるみたいにピッカピカやねん!
先生も「あんた……いつの間に着替えたんだ?」ってドン引きしとったし、ユウは「隊長の影に隠れた一瞬で完璧に着替えました」とか涼しい顔で言い放つし。
隊長まで「執事とは、戦いよりも着替えの方が得意な種族なのか……? 怖ろしい男だ……」ってマジな顔でビビっとったわ。オレもタイガも口ポカーンや。シドは腹抱えて笑い転げとるし。
ほんま、ウチの診療所にはおっかない奴しかおらんわ。
おっと、ユウがこっち戻ってきた。代筆はここまでや! 先生、またな!
……ゴズさん、臨場感あふれる記録をありがとうございました。多少、誇張表現が含まれているような気もいたしますが、概ね事実でございます。
わたくしは皆様の反応を微笑ましく思いながら、完璧な角度でニキ様に向かって深々と頭を下げました。
「さて、ニキ様。夜の冷え込みも厳しくなってまいりましたし、お疲れでしょう。冷たいお飲み物と、深夜でも胃に優しい軽食をご用意いたします。帰りましょうか」
「…………うん。帰ろう」
ニキ様は、なぜか少しだけ引き攣った笑いを浮かべながら頷かれました。
里の訓練所を後にするわたくしたちの背後で、松明の火が静かに、そして暖かく揺れておりました。
以上が、わたくしの初めての「休日」の全容でございます。 ニキ様。わたくしがこの一日を心から楽しみ、己のための時間を堪能したことが、この不束な報告書から少しでも伝わりましたでしょうか。
主に尽くすことだけが人生の意義だと信じていたわたくしに、このような新しい世界の広がりと、友と呼べる方々との温かな時間をくださったこと、深く感謝申し上げます。ゴズさんとタイガさんにも、どうかよろしくお伝えくださいませ。
たっぷりと英気を養わせていただきました。 明朝からは、再び身命を賭してニキ様の補佐を務めさせていただきます。何卒よろしくお願い申し上げます。




