命を繋ぐ刃②
静寂の中、天井の木目を見つめていると、不意に脳裏を「あの光景」がよぎった。
里で見かけた、ローブを纏った人間たちの姿。
(あの服装……どこかで、確かに見た記憶がある……)
考えようとした瞬間、頭蓋を内側から鉄槌で叩かれたような激しい痛みがニキを襲った。
「あ、ぐ……っ!」
視界が白濁し、意識の混濁した闇の中で、断片的な映像がフラッシュバックする。
同じローブを纏った集団。冷機に満ちた石造りの部屋。自分がその中心に立ち、彼らに対して何か指示を出している光景――。
「……ニキ! ニキ、しっかりしろ!」
痛みに悶え、寝床を掻きむしるニキの異変に気づき、ヨタカが飛び込んできた。彼は瞬時にニキを抱き起こし、その広い胸に支えながら、必死に名前を呼ぶ。
「ヨタカ……。あ、ああ……大丈夫だ。もう、治まった」
冷や汗を流しながら、ニキは荒い息を整えた。
「何があった。頭が痛むのか?」
「……いや、少し考え事をしていただけだ」
ニキは曖昧に微笑んだが、ヨタカの厳しい眼光は誤魔化せなかった。
「……当面、其方は寝ていろ。……シド! ここに番を立てろ。この男が勝手に動き出さぬよう、一歩も通すな!」
「了解っスよ、隊長〜」
外から聞こえるシドの軽薄な声に、ニキは苦笑いするしかなかった。
数刻後、ランドがようやくその瞼を持ち上げた。
「……あ、あ……」
「ランド! ランド!」
トナが涙を流して彼の手を握りしめる。ユウがすぐさま駆け寄り、まずは一口ずつ水を飲ませ、嚥下の機能を確認した。
「……しっかり飲み込めますね。では、この煎じ薬を。身体の毒を散らすものです」
ランドはゆっくりと薬を飲み干すと、掠れた声で問いかけた。
「……あなたが、助けてくれたのですか……?」
「いいえ。私は助手に過ぎません。あなたを死の淵から救ったのは、ニキ様というお方です」
「ニキはな、ほんまに凄腕の先生なんや。自分らが保証するで!」
ゴズとタイガが、まるで自分のことのように誇らしげに胸を張る。
「その先生は、今は処置の疲れで休んでおる。……あいつは、自分が倒れかけていても他人のために働こうとするからな。拙者が無理やり見張りを立てて寝かせたところだ」
ランドはため息をつくヨタカを見て穏やかに笑った。色んな人に愛される人なのだなと思った。
一通りの処置を終えたユウは、隣室で休んでいるはずのニキの様子を見に行った。部屋に入ると、ニキは既に上体を起こし、今にも寝床から抜け出そうとしていた。
「……ニキ様、寝ていなくてはいけませんよ」
「ユウ! ランドはどうなった? 目を覚ましたんだろ? 顔色はどうだ、水は、薬は飲めたか?」
矢継ぎ早に質問を投げかけるニキに、ユウはやれやれと肩をすくめた。
「落ち着いてください。先ほど目を覚まされました。水も問題なく飲み込んでいます。……ですが、ニキ様はまだ顔色が悪い。安静にしていただかないと、ヨタカ様に叱られるのはわたくしなのですよ」
「頼む、ユウ。一目見るだけでいいんだ。俺が自分で診ないと、落ち着いて眠ることもできない」
ニキは真剣な眼差しで、縋るようにユウの手を握った。その瞳には、医者としての義務感を超えた、純粋なまでの危惧と情熱が宿っている。
ユウはしばらく沈黙し、ニキの熱意を推し量るように見つめていたが、やがて深い溜息を吐いて折れた。
「……全く、困ったお方です。一目だけですよ? それが終わったら、今度こそ泥のように眠っていただきますからね」
「ああ、約束する。ありがとう、ユウ!」
小さいため息とともにユウは見張りの兵士を説得し、一時的に抜け出せるようにしてくれた。
ニキはユウに支えられるようにしてランドの元へ駆けつけた。
「体調はどうだ? 呼吸は苦しくないか」
「あなたが……。ありがとうございます。おかげで、とても楽になりました」
ランドの感謝の言葉に、ニキは安堵の息を漏らす。
ユウが詳細に記した診療録を確認すると、背部の術後経過は極めて良好だった。
「黒い発疹はまだ残っているが……少しずつ色が薄くなっているな。魔力拒絶の反応も改善に向かっている」
自らもランドの脈を取り、記録を書き込んでいく。いつの間にか来てその真剣な横顔を見守っていたヨタカだったが、ニキの診察がが落ち着いた頃を見計らって呆れたように深い溜息をついた。
「……其方は、本当にじっとしていられぬ男だな」
言うが早いか、ヨタカはニキの腰をひょいと脇に抱え上げ、まるで子供を連れ戻すようにして寝床へと連行しようとした。
「わ、わかった、自分で行くから! 降ろしてくれ、ヨタカ!」
「……先生のことが本当に心配なのですね」
ランドが少し笑って告げると、ヨタカは振り返り「なっ……! 拙者は、ただ監視の任務として……っ!」と否定するも、その耳の裏の羽毛を赤く染めて照れてしまった。
「……あはは、隊長はいつもこんな感じっスよ、ランドさん」
「シド、貴様……外の警備に戻れと言ったはずだ!」
ヨタカの怒声が響く中、家の中には穏やかな笑い声が広がった。
その夜、回復を祝ってトナが腕によりをかけた料理を振る舞った。
「私は料理が一番の特技なんです」
と微笑むトナの料理は、里の者たちにも絶賛された。
「この味付け、実に見事ですね。薬草の苦味を消しつつ、滋養を最大限に活かしている」
ユウとトナは料理の話題で意気投合し、珍しくユウも表情を緩めていた。
一方、ゴズとタイガは兎の里の住人たちから、薬草の育て方や乾燥保存の秘訣を熱心に教わっていた。
「へぇ、この根っこは影干しにするんやな」
楽しそうに学ぶゴズの姿を、タイガは少し離れた場所から穏やかな眼差しで見守っていた。
だが、タイガの鋭い耳が、風に乗って聞こえてきた不穏な声を捉えた。
里の縁に佇む、あのローブの人間たちの密談だ。
『……あの人……の医……、間違…………い。……キだ。……上層に……告を……』
タイガの瞳に険しい色が宿る。彼が音もなく背後に立ち、殺気を込めて睨みつけると、人間たちは弾かれたように顔を見合わせ、蜘蛛の子を散らすように森の奥へ逃げ去っていった。
「…………」
タイガは何も言わず、ただ彼らが去った暗がりをじっと見つめていた。
数刻後。ランドの容態は、定期検診でも問題がないほどにまで回復した。
「本当に、ありがとうございました」
トナとランドに見送られ、ニキたちは自分たちの里への帰路に就いた。
一行の最後尾を歩くタイガは、ふと足を止め、遠くの木陰からこちらを伺うローブの影を今一度、冷たく見据えた。
(……先生には、指一本触れさせん)
静かな決意を胸に、タイガは前を歩くニキとヨタカの背中を追って、歩みを進めた。
■症例Gにおける瘴気腫瘍の切除について
重度の瘴気被曝による、魔力拒絶の末期症状。今回は対象の脊髄神経に癒着した巨大な腫瘍を、麻酔を用いずに切除する運びとなった。
特筆すべきは、身体構造の脆弱な種族であっても、強烈な痛覚刺激と瘴気の毒素に対し、ある一定の時間は命を保つという事実である。刃を入れた際の激しい痙攣と、呼吸器官の推移は、脆弱な肉体が限界を迎える直前の有益な指標となった。
■助手(症例F)の適性評価
先の処置で精神の再構築を終えた彼は、主治医の手足として極めて精密かつ従順に機能している。彼の正確な介助と記録能力は、今後のより複雑な「処置」において不可欠な要素となるだろう。
■症例Aおよび他の個体の心理的推移
主治医が疲労や身体的な不調を示すほど、彼らの保護欲求と執着はより強固なものとなる。
症例Aにあっては監視という建前が完全に崩壊し、自らの意思で私を拘束し守ろうとする段階へと至った。また別の個体(症例D)も、外部からの不穏な気配に対し、極めて鋭敏な防衛本能を発揮している。彼らは主治医の安全を確保する、非常に優秀な番犬として仕上がりつつある。
■ 精神機能の乱れについて
外部の人間を視認した際、記憶の欠落に起因する突発的な頭痛と視覚の混濁が生じた。この一時的な不具合は速やかに解消されるべきだが、主治医を護ろうとする彼らの依存心を煽る「良薬」として機能した点は評価に値する。
彼らが自ら築き上げたこの強固な防衛陣形の中で、引き続き彼らの肉体と精神の観察を続ける。




