第1話 消えた村のおてがみ
ぼくは、ふみ。ぼくらもふりんは、かぼちゃほどの大きさで、丸い頭とおなかに短い手足がついている。ぼくの毛は綿のように白く、長い耳と小さな丸いしっぽがある。
赤い上着を着て、茶色の郵便かばんを斜めにかければ、森の郵便屋さんのお仕事が始まる。
パンの焼ける匂いがすると、ぼくの耳は勝手にそちらへ向いてしまう。森の郵便屋さんとしては困ったくせだけれど、パン屋のくろもふさんは、いつも気づかないふりをしてくれる。
くろもふさんは、ぼくよりひと回り大きく、黒い毛に太い眉と細い目、白い前掛けが目印だ。背中の毛は硬くとがっていて、初めて店に来る子は入口でもじもじする。けれど、かまどの前には、その子のぶんまで小さなパンが並んでいる。
「今日は、ずいぶん遠くまで聞き耳を立ててるね」
「これは、その……配達先を確かめてるんです」
「そうかい。配達先は、かまどの中かな」
木の皿に、丸いパンが一つ置かれた。かじると薄い皮がパリッと割れ、やわらかな中身から湯気がのぼる。舌に残るほんのりした塩味を、ぼくは仕事の途中で思い出すことがある。
ぼくの村に暮らすもふりんたちは、夕方になると誰かの家に集まってパンを焼く。窓辺に皿が並べば、帰り道のみんなが足を止める。話が弾んで、次の満月にはお祭りをしよう、と決まることもあった。
薄茶色の毛と丸い耳のくるりが、広場の枝から枝へ飛び移っていた。枝をまたいで座ると、クリーム色のおなかと、背中まで届くふさふさの巻き尾がよく見える。明日の満月のお祭りに向けて結んだ布が、赤や黄色の葉っぱのようにひらひら泳いでいた。
「ふみ、これもお願い!」
くるりは木から降りると、一通の手紙を差し出した。封の上には、小さな指で押さえた跡がついている。
『森の奥の村。大きなかしの木のとなり。ぽわおばあちゃんへ』
「お祭りに来てねって書いたの。それと、ぼくもパンを焼けるようになったって」
「ちょっとこがしたことは?」
「そこも書いた。おばあちゃん、こげたところが好きだから」
ぼくは手紙をかばんのいちばん手前に入れた。くるりのおばあちゃん、ぽわさんは、薄い灰色の毛に小さな丸耳と巻き尾、丸眼鏡が目印のもふりんだ。
ぽわさんは、手紙を受け取る前に、必ず両手を前掛けでぬぐう。それから手紙を両手に載せて、玄関のいちばん明るいところへ運んでいく。
けれど、もう西の道には夜霧が降りていた。ぼくの足では、村に着くころには真っ暗になる。
「明日の朝、最初に届けるね」
「うん。ぼく、パンを焼いて待ってる!」
帰り道、かばんの上から手紙に触れた。薄い紙なのに、パンを一つ持っているみたいに、そこだけあたたかかった。
◇◆◇
翌朝、森の奥の村がなくなっていた。
橋を渡って、三つ目の曲がり角を過ぎる。いつもなら、かしの木の下に村の門が見える。朝には井戸の滑車が鳴って、屋根の上を白い煙が流れているはずだった。
そこには、黒々とした木々が立っていた。門も、畑も、家もない。幹には厚い苔がついていて、昨日まで村があった場所に、何十年も前から生えているように見えた。
ぼくは道を引き返し、曲がり角を数えなおした。それからもう一度、同じ場所へ来た。三つ目の角には、いつもの平たい石がある。雨宿りに使った木の穴も、ちゃんとあった。
「ぽわさん?」
返事はなかった。木の奥から風が吹いた。濡れた土の匂いに、冷たい鉄のような匂いが混じっている。入り口の根を踏んだとたん、長い耳が頭に張りついた。
ぼくは根から足を下ろし、かばんを開いた。手紙はなくなっていなかった。宛名の『おばあちゃん』の文字が、昨日と同じように少し右へ傾いている。
村へ戻るころには、息が切れていた。広場の飾りを直していたくるりの前で、ぼくはうまく言葉をつなげられなかった。
「奥の村が……ないんだ。門も、家も、みんなも」
「奥の村?」
「おばあちゃんのいる村だよ」
「ぼくの?」
くるりは、ぼくの後ろを見た。誰かが冗談を言わせていると思ったのかもしれない。ぼくは手紙を取り出した。
「昨日、渡してくれたでしょう」
「……これ、ぼくの字だ」
くるりの指が、宛名の上で止まった。そのまま首をかしげ、また文字を見た。
「でも、ぼく、こんな村知らないよ」
くろもふさんにも聞いた。広場に来たもふりんたちにも聞いた。みんな、困った顔をして首を振った。奥には昔から深い森があるだけだよ、と何匹もが言った。
ぼくは昨日のことを話した。お祭りの招待状を配ったこと。井戸のそばで水をもらったこと。おばあちゃんが、くるりのパンを楽しみにしていたこと。
話すほど、みんなの顔が遠くなった。ぼくの声だけが、広場の真ん中に置き忘れられていく。
「少し休んだほうがいいよ」
そう言われて、ぼくは手紙を胸に引き寄せた。紙の端が指に食いこんだ。昨日、届けていれば。夜霧が出ていても、急いで走っていれば。
手紙を持つ手に力を入れても、村の門は戻ってこなかった。
◇◆◇
夕方、パン屋の裏に座っていると、窓から小麦の匂いが流れてきた。広場ではお祭りの準備が続いている。木の笛を練習する音が、一つのところで何度もつかえた。
ぼくは封筒をひざに広げた。開けてはいけない。これは、おばあちゃんに届く言葉だ。ぼくは宛名だけを、声に出さずに読んだ。
大きなかしの木のとなり。窓の下には小さな椅子が二つ。片方には、おばあちゃんが座る。もう片方には、遠くから遊びに来るくるりが座る。
その椅子を覚えているのは、もう、ぼくだけなのだろうか。
背中で戸が開いた。くろもふさんが、湯気の立つカップを地面に置いた。両手で包むと、冷えていた指が少しずつほどけていった。
「まだ、届けに行くつもりかい」
ぼくはうなずいた。返事をすると、声と一緒に何かがこぼれそうだった。くろもふさんは隣に腰を下ろし、しばらく黙っていた。
「あの森が怖いことは、知ってるね」
「……はい」
「それでも?」
封筒の角を、指でそっと伸ばした。くるりが押さえた封の跡まで、ぼくの指でくしゃくしゃにしてしまっていた。
「おてがみ、ちゃんと届けなきゃ……」
くろもふさんは、ぼくの手を見ていた。それからカップを少し近づけてくれた。
「じゃあ、まず飲もう。あたたかいうちに」
ちょうどそのとき、塀の向こうからくるりが顔を出した。いつもならひと跳びで越えるのに、今日は足場を確かめながら降りてくる。両手には、布で包んだものを抱えていた。
「ぼく、パンを焼いたんだ」
包みを開くと、片側のこげた小さなパンが出てきた。くるりはその黒いところを見つめて、鼻の先を動かした。
「変なんだ。こがしたら、誰かが喜ぶ気がして。誰だか分からないのに、捨てられなくて」
ぼくは手紙を持ち直した。おばあちゃんの好きなところだと言いたかった。でも、朝から何度も同じことを言って、くるりを困らせている。
「持っていってくれる?」
「うん」
「……やっぱり、ぼくも行く」
くるりは、包みを自分の胸へ戻した。
「覚えてないんだよ。行っても、分からないかもしれない」
「うん」
「でも、きみは知ってるんでしょう。そのひとが、どんなふうに笑うか」
ぼくはうなずいた。前歯を少し見せて、目を細める。くるりが笑うときと、そっくりだった。
くろもふさんが立ち上がった。
「あたしは、歩くのが遅いよ」
「ぼくも、そんなに速くないです」
「そうかい。なら、三匹とも置いていかれずにすむね」
くろもふさんは店へ戻り、ほどなく大きな布袋を持ってきた。中にはパンと、水の入った小瓶が三本あった。くるりは袋をのぞきこむと、かまどの横から丈夫なひもを探してきた。
あの村を思い出した、と言ってくれる仲間はいなかった。それでも、ぼくの隣には二匹が座っていた。出発は朝にしようと決めてから、ぼくらは残ったパンを少しずつちぎって食べた。
◇◆◇
次の朝、お祭りの布がまだ広場に揺れていた。昨夜、みんなで灯した明かりは消えて、枝の上に丸いしずくが残っている。ぼくらは広場を横切り、西の道へ向かった。
くるりは、こげたパンの包みとひもを持った。くろもふさんは食べ物の袋を背負った。ぼくのかばんには、届けられなかった一通の手紙が入っている。
橋を渡り、三つ目の曲がり角を過ぎた。黒い木々は、昨日と同じ場所にあった。朝の日差しは枝の途中で消え、その先の地面には届いていない。
くるりがぼくの袖をつかんだ。つかまれたところが、小さく震えていた。
「ぼく、木に登ってみようか」
「枝の向こうが見えないよ。離れないほうがいい」
「うん。じゃあ、ひもでつなごう」
ぼくらは、それぞれの腰にひもを結んだ。くろもふさんの結び目だけは、背中の毛に絡まないよう、ぼくが前へ回した。
森の奥で、何かが枝を踏んだ。三匹とも動きを止めた。ぼくには、音のした場所も、それが何なのかも分からなかった。返事を待つように耳を立てたけれど、もう音はしない。
おばあちゃんがここにいるのか。みんなを探せるのか。手紙を届けたら、何か変わるのか。どれも、ぼくには分からない。
封筒をかばんの奥へ入れ、留め金を閉じた。いつも村の門があったところへ、足を出す。湿った根は冷たく、靴の裏を押し返した。
ひもが軽く引かれた。振り返ると、二匹も根を越えていた。ぼくは耳を起こし、三匹で歩ける道を探しながら、手紙の届くはずだった場所へ進んだ。
「とても面白い」★四つか五つを押してね!
「普通かなぁ?」★三つを押してね!
「あまりかな?」★一つか二つを押してね!




