第三章 「囮」① 姉妹
「…ただいま…」
昨夜遅くに小百合は帰宅した。両親は仕事に出ていて不在、出迎えたのは姉の裕美一人だけ。玄関で幽霊のように立っている小百合を見て、裕美は驚いた。目が泣き腫らして真っ赤になっている。
「さゆちゃん⁈ どうしたの⁈ 何が」
「お姉ちゃん…う、ウワアアアアアアアアアアアアアアアアアアア」
小百合はその場に泣き崩れた。
「これ飲んで落ち着こうか」
小百合の前に、温かいココアがコトッと置かれた。小百合はソファーに埋まり、ダンゴムシのように丸まっていたが
「ありがとう、お姉ちゃん」
手足を伸ばし、カップを手に取った。
「さゆちゃん、何があったのか聞いてもいいのかな?」
「うん…」
普段は姉に生意気な口を利く小百合ではあるが、これまでも何かにつけ相談していた。だからこのときも――――タケシの家で遭ったこと。デギールと戦闘になり、敵の姿が消えてしまったこと。なにより――――そのデギールのスーツの中にいたのは悠太だったこと。そして、「それについて」は固く口を閉ざしていた――――小百合から耳を引き千切ってまでもフェイザーを奪った張本人が、悠太だったことも。小百合は知っていることを洗いざらい裕美に話した。
「そっか…そうだったんだ」
裕美も悠太のことは知っている。小百合と幼馴染で、小さい頃は二人が遊んでいるのを世話したこともある。悠太が引っ越してから疎遠になり、しかし同じ高校で再会したところまでは知っていたが、やはり長く離れ離れだったことも原因したか、小百合の口から悠太の名が出ることはなかった。とはいえこんな形で再びその名を聞くことになるとは思ってもみなかった。
「お姉ちゃん…私、どうしたらいいのかな…?」
小百合は心細げに尋ねる。
「うーん…おまわりさんの立場から言うと、さゆちゃんは真相を知っているとはいえ、結局悠太がどうなったかは分からないわけじゃない? そこに下手に首を突っ込んじゃうと、結局はさゆちゃんが疑われることになっちゃうのよね。あるいはその関係者として、ギャノンズの人たちが、とか。みんな、あまり表には出ない方がいい人たちだから、余計なことは言わない方がいいんじゃないかな」
「いいのかな、そんなことで」
「いいかどうか分からないけど、たぶん犯人探しをしようにも解決できないと思うから、それは仕方のないこと、と思うしかないんじゃないかな。悠太が帰ってこないってなれば、おうちの人から捜索願いが出ると思うし、そうなったらあとは警察の人に任せた方がいいと思うのね」
そうは言ったが警察にも解決のしようがないだろうことは裕美には分かる。なにしろ、アンジェラスの子供たちが「黒い穴」に飲み込まれそうになったのを目の当たりにしたのだ。あの穴の先に何があるのか、想像もつかない。だったら――――警察の「習慣」として、「そうであろう」者を拘束して、わずかでも証拠があれば立件・起訴とする可能性もあるのだ。「身内」のことながら、冤罪覚悟でそうするのはいかがなものかとも思うが、現実がそうである以上、内情を知る者としては「触らぬ神に祟りなし」、である。
「さゆちゃんは悪いことをしたわけじゃないし、むしろ酷い目に遭った立場なんだからね、気にするなというのは難しいけど、あまり難しく考えないで、さゆちゃんは自分の身を守ることを考えて欲しいな。おまわりさんとしてじゃなくて、さゆちゃんのお姉ちゃんとしてのアドバイス、かな」
「うん…」
「疲れてるでしょ? ゆっくり、って難しいかもしれないけど、今は、そうね、何もできないんだから、体は休めておこっか」
「うん…わかった。それじゃお姉ちゃん、おやすみなさい」
「うん。おやすみなさい」
必ずしも普段通りに、とは言えないが、それでも小百合は自分の足で立ち上がると、フラフラしつつも自分の部屋へと向かっていった。その様子を裕美は静かに見送った。
「…明日、先輩に相談してみよっか…」
◆
翌朝。晴れない表情ながら、小百合はいつも通りに起きてきて
「それじゃお姉ちゃん、行ってくるね」
学校へは行くと言う。
「さゆちゃん、大丈夫?」
「…うん。もう大丈夫、だと思うから…それじゃ行ってきます」
「うん」
表情のことを除けば、小百合はいつも通りに家を出ていき、裕美は玄関先でそれを見送った。
(強くなったね、さゆちゃん)
ふ…と裕美の表情が緩んだ。
♪♩♩♪♪…
「ん? 通話? 県警本部? …はい、上野です。はい…はい…今から、ですか? 分かりました。早急に準備してそちらへ伺います」
◆
パンパンッ
「…よしっ!」
夕方。帰宅した小百合はドアを開ける前にいったんその場で踏みとどまった。
今日は――――学校へ着くなり、まどちゃんをはじめ友人のみんなに心配されてしまった。小百合は自分が思っている以上に気持ちが表情に出やすい。それゆえに、小百合がいつもと違う様子なので友人も気を遣っていた。同時に小百合も気を遣われていることに気付き、自分一人の気分で周りを引きずり回してはダメ、と、ぎこちないながらも笑顔を作って今日一日を過ごした。
家に着きドアノブに手を掛ける寸前。また自分の表情が暗く硬くなっていることに気付いた小百合は両頬を叩いて気合を入れて笑顔を作った。肉親とはいえ大好きなお姉ちゃんにこれ以上心配かけたくない。そう思ったから。
「ただいま」
努めて明るく声を出した。
「ん?」
ここのところ家にずっといる姉は、いつもなら出迎えてくれるのだが
「あー、さゆちゃんおかえりー」
遠くから…居間の方から声がしただけ。
「…なにかやってるのかな…」
居間へ行けば――――おおよそ今まで見たことのない姉の姿。ノートパソコンを前にウンウン唸っている。
「…何してるの?」
「うん、今日、本部から辞令が出て、『生活安全部サイバー犯罪捜査課』ってところへ移動になったの。私、機動隊所属なんだけどなぁ…それで、お仕事、ってことで、これね、預かってきて。 …それで、ここだけの話なんだけど…表向きはそういうことになってて、実はさゆちゃんと同じ敵を追う部署に協力することになってね」
「デギールを?」
「そう。まぁ守秘義務ってあるから詳しくは言えないけど、そっち関連の捜査に当たっている人が知ってる人でね、っていうかその人からご指名なのよ。お姉ちゃん、選ばれし者なのよ」
「…ふぅん… …守秘義務なのに私に言っちゃってよかったの?」
「まぁさゆちゃんも秘密の立場ってのを話してもらってるからね。それに、そっちの情報をちょーっと、ちらーっと教えてもらえると、お姉ちゃん、大助かりだし」
「ちゃっかりしてるなぁ。あ、私着替えてくる」
「うん」
部屋へ向かう小百合の後ろ姿。朝とは違うとは思いつつも。
(ちょっと無理してる…かな…)
なにしろ、文字通り「生まれたときから」小百合のことは知っている裕美だ、小百合の些細な言動でも察することができる。それでも、朝の様子からは、作り笑顔とはいえずいぶんと明るくなった感じを受け、裕美も少し気が楽になった。
◆
「…あ、まただ… …あ、動いた… もう…」
ブツブツと独り言を言いながらノートパソコンをポチポチしている裕美。その横では小百合はタブレットPCを操作している。無表情。しかし、小百合は気分が晴れなくて無表情なのではなく――――
一見するとよくある家庭のひとコマ。実際普段も、裕美がテレビを見ていればその横で小百合がタブレットPCを使っているというのはよく見かける光景。だが、現在そのタブレットPCの画面内は壮絶なことになっている。
小百合がやっているのは『がい☆ます』。「ちびりりぃ」というのが小百合のハンドル名だ。しかも小百合は強い。強すぎてやっかまれ、「ちびり」というあだ名で他のユーザーから呼ばれているほど。他のユーザーは『がい☆ます』のために専用のPCだのコントローラーを用意するほどなのに、彼らをタブレットPCをペタペタタップするだけで相手にしているのだ、その技量は想像を絶する。
「さゆちゃん、晩ごはん何食べたい?」
「何でもいいよ」
「そういうの困るんだけどなぁ。ちょっとお姉ちゃん手が離せないから、ピザ取ろうか」
「うん」
「さゆちゃん注文してくれる?」
「いいよ。ちょっと待ってね… よし勝った! 何がいい?」
小百合は「サクッと一勝負を勝利」したところで『がい☆ます』を閉じ、宅配ピザのサイトを開いた。
「何でもいいよ」
「そういうの困るって言ったの、お姉ちゃんの方じゃない」
「あ、そっか、そうね。クワトロ、とかでいいかな、お父さんたちが帰ってきても食べられるように大きいヤツで」
「肉肉肉肉?」
「うーん…シーフードも入れて欲しいかな…」
「お腹周りの心配ならどっちでも同じだと思うけど」
「もう、そういう厳しいこと言わないでよぉ。そうでなくても外回りの仕事が無くて運動不足なんだからぁ。肉肉シーフードチーズ、くらいにして」
「うん、分かった。 …よし、注文したよ」
「うん、ありがとう」
そして小百合は再び『がい☆ます』の画面へと戻り、次なる勝負へと向かった。
小百合が大技を入力した瞬間。
「あ⁉ まただ… もぉぉぉ…」
裕美が声を上げた。小百合の大技は見事に決まり、一撃でノックアウト。一息ついたところで、イライラを通り越して絶望とも言える表情を浮かべている裕美へ声を掛けた。
「どうしたの?」
「なんかちょこちょこサーバーが止まるのよね。そんなに大きなファイルじゃないんだけどなぁ」
「ふーん… 回線が混んでるのかな」
とりわけ気にするでもなく、小百合は次の対戦相手との勝負に入った。そして――――小百合が『がい☆ます』を操作するたびに裕美が嘆き声を上げる。
「ああもう。これじゃ仕事にならないわぁ…」
さすがの小百合も、ここまでイライラしながら悲嘆する裕美を見たことがない。少しは気になる――――どころか、「とある法則性」に気付いた。
自分が『がい☆ます』を操作するたびに裕美が嘆く。自宅Wi-Fiがビジーなのかとも一瞬思ったが、自分のタブレットはサクサク動いていることからそうではないことが分かる。おそらくは裕美が接続している先のサーバーの問題であろう。
「お姉ちゃん、今どこに接続してるの?」
「県警のホスト…」
「ふぅん… ちょっと待ってて!」
小百合は急ぎ自分の部屋へ行くと、自分のノートパソコンを持ってきた。
「県警のホストって、ホームページがあるところでいいの?」
「うん… …たぶん」
ちなみにお分かりだとは思うが、裕美はPCやネットに関しては絶望的に苦手である。元の所属ゆえに銃のことは詳しいのだが。
一方の小百合は、県警のホームページを開くと何やらあれこれコマンドを入力し始めた。いかにも行政関連という風体のホームページの画面は消え、アルファベットと数字のみが表示されている。
「…さゆちゃん、何やってるの…?」
「うん、県警のホストに侵入した」
「…それって…ハッキング、とかそういうの?」
「うん。そういうヤツ」
「さゆちゃん…そういうの、おまわりさんの前でやらない方がいいわよ…?」
「うん、でも今家だから」
「ほら、今目の前にいるでしょ、おまわりさん…」
「…そういえばそうだった…」
「もうぉぉ…ひどいなさゆちゃぁん…」
「…ねぇお姉ちゃん、これ。ここ見て」
「ん?」
画面にはツリー上のディレクトリ表示とサーバーの負荷率、回線のビジー状態が表示されている。そのディレクトリの中に、「_geistmeister」と表示されたフォルダがあった。さらにそのフォルダを開くと『_gm_colosseum_129.exe』という名の実行ファイル、すなわちプログラムそのものが置かれている。
「…何これ」
「たぶん『がい☆ます』のプログラム。県警ってゲームの運営もやってるの?」
「そんなわけないじゃない」
「でもこれ、『がい☆ます』のデータファイルだよ?」
「なんでそんなものがこんなところに?」
「私が分かるわけないじゃない」
「まぁそうなんだけど…で、これがどうなってるの?」
「よく分かんないけど…たぶん、これ129って書かれてるから、少なくとも似たような実行ファイルが129個は存在していて、互いに連絡を取り合って1つの大きなプログラムとして作動してる。ユーザーがゲームをするたびにデータをやり取りするから、そのたびにサーバーへ負担がかかる。負担、って言ってもすごく小さなファイルなんだけど。でも今はちょうど『がい☆ます』ユーザーが一番利用している時間帯だから転送量が多い。しかもこんな時間に県警の人がサーバーと直接ファイルのやり取りなんか普通はしないから、普段だったら気が付かない。そうだ、ちょっとここ、見ててね」
と言って小百合はタブレットに持ち替えた。そして対戦相手を見繕ってバトル開始。すると…
「うわ。ホントだ!」
大技が繰り出されるたびにサーバーの負荷率と回線の使用状況の数値が上がる。機械音痴の裕美でも分かるほど顕著に。
「ずっとね、x-act社のサーバーはどこにあるのかが謎だったのよ。ユーザーのコミュニティでよく話題になってんたんだけど、誰も知らないって。ブラウザにはURLが表示されてるんだけど、そのホストを辿ってみても存在しないって。私も見つけらんなかったんだ。そっか、こうしてあちこちのサーバーに寄生するように置かれてて、URLには偽装したホストを表示してたんだ。へぇ…」
「へぇ、って感心してないで! これってマズいヤツなんでしょ?」
「うん、マズいと思う。少なくともこのサーバーがハッキングを常に受けてるってことだし、他のサーバーに何が置かれてるか分からないしね」
「そっか…!」
裕美はすぐさま携帯を取り出し、電話を掛けた。
「もしもし。生活安全部サイバー犯罪捜査課の上野です。捜査一課の林さんをお願いします。 …あ、もしもし、生安部の上野です。ちょっと気になることがありまして、林さんにお伝えしておこうかと」
裕美は今小百合から説明されたことを…よくは分からずたどたどしくも林へと伝えた。
「はい、それでは。さゆちゃん、お姉ちゃん、これから警察署行ってくる。大至急で来てくれって言われたのよ。一人になっちゃうけど、お留守番、大丈夫かな?」
「もう。私高1だよ? 留守番くらいできるって!」
「そっか、そうだね。うん、それじゃちょっと行ってくる。あとはよろしく。戸締りはしっかりね」
「うん」
裕美は小百合の返事を聞くか聞かないかほどに急いで支度をし、間もなく家をあとにした。
「大変だなぁ… …がんばってね、お姉ちゃん」
朝とは逆に、小百合が微笑みながら裕美を送り出した。
◆
チュン チュン チッ…
ガラガラガラ…キィッ
まだ明けやらぬ朝早く。
車庫のシャッターが音を立て開き、そして軋む。
「それじゃ長内さん、よろしくお願いしますよ」
「でも社長、ホントにいいんですかい? 積荷ごとクルマ置いてきちゃって」
「構わんよ。それが先方のご希望だ。まぁドライバーの交代だと思ってくれ。詳しくは現地へ行けば分かるが、駒門パーキングに乗り換えのクルマを用意してあるそうだ。それより忙しいぞぉ? こっちへ戻ってきたら青森行きの荷物が待っておるからのう」
「ひぃぃ。相変わらず社長は人使いが荒ぇや」
「ふっはっは。その分、ギャラは弾んでやるんじゃ。しっかり頼むぞ。ああ、くれぐれも積荷の確認はしないように。かなりの機密物件らしいからのぅ」
「分かりやした! じゃ、ひとっ走り行って来やす!」
「おう。気を付けてな」
大型の貨物用4㌧トラックが今、車庫を出発、西を目指す。
そのトラックの貨物室にはこう書かれていた。
【丸亀運輸】
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