第二章 「凡人」① 逃げたその先
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オープニング曲『音速のPhase』
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日に日に影が長くなっていく季節、その16:00前。浜沼高校校門前に立っている制服姿の少年が一人。彼はフェンスに寄りかかり、腕組しながらとある者を待っていた。彼の名は田辺悠太。あのアンジェラスのユウタである。学校へは来たものの、昼過ぎに来れば教室には入りづらく、それからずっとここに立っている。
あの夜――――
◆
真っ暗な倉庫の中に、セリナの声が響き渡る。
「アンナさんのこと、何も知らないクセにッ!」
(何言ってんだ、セリナ。どういうつもりだよ…)
アンジェラスは追い詰められていた。ガーディアンに次々と仲間が潰されていく。その光景一つひとつを、ユウタは目の当たりにしていた。見回せばメンバーはみなセリナの言葉に聞き入っている様子。
(…ウソだろ…? なんだよコイツら…なんで逃げないんだ? 次は自分かも知れないんだぞ…? アンナだってヤバけりゃ逃げろって言ってたじゃないか…)
「アンナさんがいたからッ! アンナさんのおかげでッ! 私たちはカラダを売らなくてもよくなったッ! 好きでもない人に抱かれなくてもよくなったッ! 行き場の無かった私たちに、居場所を作ってくれたッ!」
(こんなの…俺はまっぴらゴメンだ。こんなのに付き合ってられねぇ!)
幸い、みんなの注意はセリナに集まっていた。ユウタは何も告げることなく、そっとその場を離れた。
「セリナ…あれ? ユウタは?」
サキが見回すが、すでにユウタの姿は無かった。
倉庫を出るやユウタは
「パゾラウト!」
アンザグの相着を解くと、とにかくひと気のない方向へ走った。一時は横浜駅方面へとも思ったが、何かが追ってくるのであれば逆にひと気のない場所の方が気が付きやすい。彼はそう考えた。
走る。とにかく走る。やがて息が切れ、これ以上は無理だというところで物陰へ飛び込み僅かでも体を休めることにした。潜みつつも周囲への警戒は怠らない。このあたり、アンジェラスの活動で身に付けた習慣ともいえるが、とにかくこちらへ接近する気配へ全神経を集中させた。
ふ…と、左手首に違和感。いや、むしろ違和感が消えた。
「パゾルが…ない?」
左手首には腕時計状のアイテム、パゾルがあったはずだ。それはアンザグを装着するのに必要なものであると同時に、モルモによって『おしおき』されるための拷問具でもあった。そしてそれを外せば…腕の一つくらいは軽く吹き飛ぶと吹聴され、誰もがそれに慄き、試しにでも外してみるなどとはしなかった。その、モルモへの隷属の象徴でもあったパゾルがないのだ。
「どういうことだ…? でも!」
ユウタは周囲の安全を確認すると、物陰から飛び出した。もしも途中で落としたとでもいうならそれはそれでラッキー。厄介なモノの束縛から逃れられるのだ。そして落としたかもしれない場所からは一刻も早く遠ざかりたい。とにかく彼は一晩中走り続けた。
やがてユウタは自宅に到着した。まだ暗い明け方前、静かに音を立てずに家へと入る。ユウタは他の家出組と違い自宅からの参加組。自宅へ戻ること自体不思議でもなんでもない。ともかく自分の部屋まで行くと、ベッドへと倒れ込み、泥のように眠った。
眩しさに目を覚ます。一瞬自分がどこにいるのかすら分からなかったユウタだが、頭の血の巡りが回復すると真っ先に携帯電話の電源を切った。それきり、パソコンもテレビもつけず、部屋に閉じこもり切りになった。とはいえそれを家人が不思議に思うこともなかった。元々そんな生活だったので、食事などは自室、部屋から出てくるのはトイレの時だけ、むしろアンジェラス入りしてからの方が外出が増えた分、やっと外へ出てくれるようになった、と喜んだほどだ。
◆
ざわめきが校門へと近づいてきた。下校時刻、部活動のない生徒が次々と昇降口から溢れ、帰途に就く。校門から流れ出る人波を、悠太は横目に見ていた。そして『お目当て』の人物がやってきたことに気付くと、フェンスから体を起こしてその方を見た。その動作、こちらを見てくださいと言わんばかりに大げさだった。そしてその目論見通り、『お目当て』は彼の存在に気付く。
「あ…それじゃ小百合、また明日ね!」
「あ、うん。それじゃね、まどちゃん」
その人物とは上野小百合だった。
「悠太…」
「田辺先輩って呼べよ。昔のまんまじゃないんだぜ。まぁいいけどさ」
悠太と小百合は幼馴染。子供の頃はご近所ということもありよく一緒に遊んだものだ。もっとも少子化の影響で同世代の子供が彼ら二人しかいなかったこともあったのだが。やがて悠太が引っ越すことになり、それ以来疎遠、高校に入って再会した、ということなのだが。
久しぶりに見た小百合は少し大人びて見えた。胸の育ち具合は以前と変わらないが、それでもなにか、雰囲気が違う――――ふと、小百合の耳に見慣れないものがあった。
(…ピアス? チッ、コイツもただのオンナかよ。 …男ができたのか…?)
心がザワつく。
「学校、全然来てなかったよね。何してたの?」
「お前に関係無いだろ。なぁ、これからヒマだろ? ちょっと遊んでこうぜ」
サキと一緒の時はそう言うだけで済んだ。そして『目的』は達成できた。
「何言ってるの? 悠太、受験生でしょ? なのに学校にも来てないとか! 悠太がちゃんとしてなかったら、私、安心できないじゃない!」
「どういう意味だよ、それ」
「くっ…もう知らないっ!」
「小百合…っ⁉︎ チッ…」
ユウタは遠ざかる小百合の背中をいつまでも見つめていた――――
◆
籠ってから1週間が経過した。一歩たりとも外へ出ることなく過ごしたユウタ。この間、不安で悶々としていた。いつ追っ手がかかるか…警察が? あるいはモルモか、まだその姿を見たことがないデギールってヤツらか。ガーディアンかもしれない。ギャノンってヤツの可能性もある。誰かかが、アンジェラスの誰かが自分の情報を売って…そして…考えれば考えるほど疑心暗鬼に囚われ、自分の中に恐怖を再生産する日々。だが、何かが接触してくる様子はなかった。家人が部屋前に置く食事を摂っては眠る日々を繰り返すうちに、ユウタの中の恐怖心も和らいでいく。それと同時に、ユウタは別な意味で悶々とするようになった。自分の『下腹部の張り』が原因である。今まではソレをサキを抱くことで解消できたが、そのサキは今はいない。だが習慣ともなっていた『行為』に慣れてしまい、今さら自分で『処理』する気にもなれない。
――――ふと、ソレを解消できそうな相手が一人、いることを思い出した。
(アイツならヤれそうだ…)
ユウタは部屋を出てシャワーを浴び、実に数か月振りに制服に腕を通し、学校へと向かったのだった。
◆
(なんか調子狂う…そうか、いつもサキの方からグイグイ来てたからラクだったのか…)
その「解消できそうな相手」に一分一厘のスキもなく相手にされなかった不満、そして期待を裏切られた不満がユウタの心に満ちるが、かといってまたビブ横へ向かうこともできない。行けば何が待っているか分からない。悶々とした気持ちを抱えたまま、家路に着こうとしたそのとき。
「やぁそこの少年」
不意に背後から声を掛けられた。男の声。それなりに歳がいってるであろう、落ち着きがある、そんな声。振り返ればほぼ想像通り、だが非常に背が高く身長171cmのユウタが見下ろされている。笑顔だが目は笑っていない。むしろ冷淡さすら感じる。
「ユウタだね?」
後頭部を殴られたような衝撃。なぜ見知らぬ男が自分の名前を知っている?
「アンジェラスにいた」
鼓動が跳ね上がる。相手はそこまで知っている。間違いない。自分を捕まえるか消すかしに来た者だ。ということは…コイツがデギールか? 今すぐ走って逃げたいが、あまりにも近くで話しかけられた、この距離で逃げ果せるのは無理だろう。
「…なんの用ですか?」
ユウタは覚悟を決めた。いやむしろ、相手を見て思った。見れば髪は白髪、もしかするとただの年寄りではないか? それならワンチャン戦って勝つ、そうでなくとも逃げるくらいはできるかもしれない。そう思うと両拳に力が入る。
「そう緊張しなくてもいい。私はキミに有益な話を持ってきたのだからね。今の娘、耳に飾りを着けていただろう?」
驚きと同時に興味を引かれた。今この瞬間に抱いた疑念の答えを、この男が持っているかもしれないからだ。
◆
翌日の放課後。ユウタはまた学校へ、そして2度目のアタックが功を奏したか、小百合を誘い出すことに成功した。
ひと気のない、住宅地の隙間。様々な建物のせいで人目にはつかない。そこへ小百合を引き込むと、彼女を壁に押し付けた。いわゆる壁ドンだ。至近距離で見つめる。小百合は左下へ目線をやり俯いている。そして…これほどまでかと思うほどに鼓動が高鳴っていた。
(ちょっと、今日がどうしちゃったの? なんかすごいグイグイ来るんだけど…)
悠太の手が顔を起こすように頬を撫でた。
(え…何? これ、ちょっと…)
目と鼻の先に悠太の顔。目が合う。そして…目を閉じた。
ユウタの手は優しく髪を撫で解き、指が耳の溝を這う。
小百合は唇を尖らせた。
◆
「あれはアンザグだ」
ユウタの背後に立った男は自分をフォキウスと名乗った。そしてユウタが求めていた答えを与えた。
「アンザグって…腕に巻くんじゃないのかよ」
「あれは便利だからそうしていただけだ。必要とあらばどんな形を取ることができる」
「それじゃ…小百合はデギールに入っているのか?」
「身のためだ、余計な詮索はしない方がいい」
フォキウスの言葉は冷たく低く、それ以上の問いを許さない圧があった。
「奪え」
「…え?」
「君はあの娘と姦通していたあの男が憎いのではないのかな?」
「…セリナとカズサのことか?」
「私は名前までは知らんよ。だが、復讐するチャンスではないかな? 知っての通り、アンザグは消えた。それはあっちも同じことだ。そこへ来て君の手元にアンザグがあったなら…あとは分かるね?」
フォキウスは微笑む。その目はやはり冷たく、しかし強く、ユウタの返事を一つに絞らせた。
◆
「ィギャアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァッ!」
夕方の住宅街に女性の悲鳴が響き渡る。そしてその現場から全力で走り去る男の姿。
ほぼ一週間ぶり、ユウタは全力で駆けた。走りに走って学校から相当離れた公園までやってきた。もちろん散歩や遊具で遊ぶわけではない。公園のゲートを通ると一直線でトイレへ駆けこむ。手洗い場で、周囲を見回し誰もいないことを確認すると、握っていた右手を開く。 …血塗れになった掌の上に、真っ赤に染まったピアス。留め具は少し曲がり、青黒くなった小さな肉塊が付着していた。ユウタは急いで洗面器を栓止めするとたっぷりと溜めた水の中に両手を突っ込みジャブジャブと洗った。微かに漂う鉄の臭い。貯まった水は真っ赤に染まる。ピアスもその中へ漬け、肉塊を指先で摘まんでは取り去った。
夏の名残か生温い水に、何度も何度も漬けては元の持ち主の面影が無くなるまで洗い続け、やがてそれは新品のように輝きを取り戻す。
「…これでアイツに勝てる」
それに満足したユウタはずっと前かがみの姿勢で痛む腰を伸ばすと、目の前の鏡には冷たい笑みを浮かべる自分の顔があった。それは何かに似ている…そうだ、自分に『模範解答』をくれたあの男、フォキウスのようだった。
洗ったピアスをポケットティッシュに包み、内ポケットへと入れる。そして何度も何度も周りの人の気配を確認してから、ユウタはトイレを去った。陽はとっくに沈み、夜の帳が下りている。本格的な秋を到来を告げる風が冷たく吹いていた。
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