祖母と分家のおじさんと
祖母は祖父と大正15年に結婚し、秋田県から北海道に渡り、昭和63年に亡くなった。84歳だった。
本家のおじさんと同居していた祖母は、私が物心ついた頃には農家仕事はしていなかったが、次男だった父を可愛がっており、夏場は400mくらい離れた私の家に、歩いてきて歩いて帰っていた。いつも和服を着ていた。体が悪い、とは聞いていたが、小さな体で農家をやって子ども七人を産み育てた人だった。会わない年が数年続いた後、祖母は入院し、半月で亡くなった。亡くなる直前、「痛い痛い」と訴えて家族や看護婦さんを困らせていた祖母、その祖母が亡くなった後に大腸癌であったことが分かった。
その葬儀の時に、本家のおじさんより3歳上の分家のおじさんが、祖母の連れ子であることを知った。いつも物静かで一歩引いたような人だったが、弟たちには頼りにされていた。
今回集めた戸籍謄本から、経過の一部は窺える。
祖母は祖父と大正15年の冬に結婚したが、分家のおじさんは同じ年の春に生まれている。祖母が結婚後も、祖母の兄が戸主だった秋田の戸籍に暫く入っていた。しかしその後、祖母が北海道に移り住んでから数年後、祖母の元に呼び寄せられ、連れ子として戸籍に入っている。
祖父と祖母の長男(本家のおじさん)が生まれたのは昭和3年、その後に北海道に移住し、さらに娘が二人生まれたが男は一人だけだった。長女と祖父の兄の次男が幼くして亡くなり、「スペア」がなかった。
分家のおじさんは、昭和8年に呼び寄せられた、と思われる。
しかしその次の年、私の父(祖父の次男)が、その4年後には父の従兄弟(祖父の兄の三男)が生まれる。
分家のおじさんは、余ってしまった。
それでも祖父は昭和29年に結婚させて土地を分け与えた。分家の孫三人と本家の孫三人の顔を見て、祖父は亡くなった。
今回、祖母の祖先の代は戸籍謄本を請求していない。今回の目的は父祖の地がどこかを知るためだったので、祖母や祖父が秋田でどう過ごしたかは調べる予定がなかった。また、今はあえて知りたいとは考えていない。
同様に、分家のおじさんについて調べる気もない。直系ではないので調べられない(分家の従姉妹の同意を得てまで調べたいとは思わない)。私は「作家」ではないので。
ただ、昭和の初めの(北海道の)当地は初期の開拓が終わっており、華族農場での小作農から(土地を買い取って)自作農への転換が始まっていた時期だった。祖父らは土地を買って当地に移住した、と聞いた覚えがある。秋田で生活が成り立たない農家が、北海道の土地を買う資金がどこにあったのか?と考えると、不自然な点ではある。曽祖母の家から援助があった可能性もわずかにはあるが、はっきりしない。
祖母の実家は、これもたぶん豪農の一族であった、と考えられる。住所表示が変わっているのか今の位置がわからなかったが、祖母の実家の姓は、現在も秋田の父祖の地の顔役と同じであり、当時から顔役であった可能性がある。分家のおじさん、祖母の一番目の子の父親は、戸籍からはわからない。祖父祖母らの北海道移住に関連して、どこからか援助を受けていた可能性は、考えられる。であるならば祖父が、連れ子の分家のおじさんに土地を分け与えた理由も、わかりやすい。
でも私は「作家」ではないので、この先を調べる気はない。
戸籍謄本を読み解いているうちに、なろうの異世界ものを読んでいる気になってきた。




