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27.朝日に咲く

 相棒を背に抱えながら、動きの止まった電車からなんとか外へ這いずり出る。電車が線路を外れた時、衝撃から僕を守って代わりに頭を打って気絶したルカを地面の上に寝かせた。……ルカ。君をここに置いていくことを許してくれ。


 屈んだ姿勢から立ち上がると、木陰からひとり分の人影が近づいてくる。その人物の顔を見て、僕は全てを理解した。


「あの人も無茶言ってくれます。先回りして爆弾を仕掛けろだなんて」


「マスター……」


「ヤツは、渓谷の方へ走っていきました。ひとり娘を連れて」


 マスターが北を指さす。


「相棒の介抱は、私にお任せを。……さあ行きなさい。因縁に決着をつけて、愛を取り戻すのです」


 僕は、頷いて走り出した。振り返ることなく。


 ずっと考えていることだけれど、カチューシャに愛を伝えたい。温もりを、かつて彼女が僕に笑いかけてくれた時の温かさをもう一度感じたい。


 本当のことを言うなら、今となっては街がどうだとか、人々の命がどうだとかよりも、カチューシャに会いたいという思いが強かった。それが僕の足を前へと突き動かしてくれているまである。


 最終的に彼女が僕を受け入れてくれるかは……わからないけれど、だとしても行くべき理由があった。


 伝えなければ。彼女が僕に与えてくれた意味を。助けなければ。彼女を手繰り寄せる魔の手から。


 彼女の元へ。自分の運動能力の限界を超えて全速力でとにかく走った。息の乱れを感じる。


 目に映る大空では、月明かりが静かに眠っていき、その反対から鳥のさえずりと共に赤い太陽の色をした朝日が伸びてきていた。夜が明けて朝になる。今がその境目。多分、僕の人生にとっても。


 そうであってくれと願いながら、ひたすらに走りまくった。そして……。


 やがて、月光に咲く人生の終着点へ辿り着く。


 ヤツは、電車の中で相対した時と同じようにカチューシャの首に刃物を当てて、歯の隙間から激しい息を漏らしながらこっちを睨んでいた。


「マルカルス……」


「来るな」


 一歩近づこうとして、その足取りを言葉で制される。


「それ以上近づけば、娘と共に飛び降りる」


 マルカルスは、崖際に立っていた。その背後、崖下では川が力強く流れていることだろう。もし飛び降りたら……きっと助からない。


 カチューシャの瞳は閉じられていた。


「マルカルス。カチューシャを離してくれ。彼女には未来がある。それを……」


「断る! どうせ俺が逃げ延びられる道筋は、もう存在しないだろう。ならばせめて、お前を絶望に叩き落とす! 娘の命を奪ってな!」


 マルカルスの瞳を見る。あの目は……たくさんの絶望と挫折を味わって、その果てに壊れてしまった人間の目だ。脅し屋として生きてきたからなんとなくわかる。


 ヤツだって運命の被害者だ。……救えるなら、救わないと。


「……僕は昔、孤児院に入った。そこでカチューシャと初めて出逢って、その先の人生、なにかが変わったんだ」


 マルカルスは、神妙な面構えでこっちを見つめる。


「カチューシャは、未来を潰された僕の人生に意味を与えてくれた。そして、彼女自身も……マルカルス、お前が未来を潰されたからこの世に誕生した命だ」


「……なにが言いたい」


 脅し屋のせいで人生が狂ったマルカルス。その人生の中でカチューシャが生まれ、今度は彼女がマルカルスのせいで人生が狂った僕に生きる意味を与えた。その連鎖をもって言えることはひとつ。


「僕やカチューシャの存在そのもののように、潰された未来は、結果として新しい未来を創る」


 ……きっとそうだ。全ての命が巡り巡って世界の命運を担っているように。


「マルカルス。……お前にだって、新しい未来があっていいはずだ。それを潰さないためにも、カチューシャの命を奪わないでくれ」


 マルカルスは、右手に刃物を持ちながら、その手で自身の顔面を抑えた。そして……次第に笑い始める。


「……ははははっ! そんなにこの娘に生きていて欲しいか! そうかそうか! はっはははは!」


 顔面を抑えつつ、マルカルスは頭を横に振った。その振動によるものか、カチューシャの目が薄く開かれる。


 マルカルスは、大声で笑い続けていた。やがて、カチューシャの瞳が完全に開かれる。僕だけが気づいた。


「カチューシャ!」


 笑い声に負けないくらいの声量で名前を呼んだ。彼女は……こんな時だというのに、僕と視線を合わせて微笑んでくれた。


 洗脳が解けたのか。その横顔が朝日に照らされている。マルカルスがカチューシャの体を強く引き寄せた。


「ならば奪ってやる! 脅し屋が俺の人生を奪ったように!」


 まずい。ヤツには、もうなにも見えていない。その手が高々と刃物を振り上げる。僕は、手を伸ばして走った。


「永遠の地獄を味わうことだ! クラーヴジヤ!」


 ヤツの叫びが聞こえた。ダメだ、間に合わない。そう思った瞬間。意識を取り戻したであろうカチューシャがマルカルスを突き飛ばした。


 マルカルスは、その弾みで足を踏み外し、崖へと体勢を崩す。カチューシャが反動で尻もちをつく。僕は、まだ向こうへと走り続けていた。






 到達した僕の手は、反射的にマルカルスの腕を掴んでいた。


「マルカルス! 這い上がれ!」


 ヤツが宙吊りになりながら僕を睨む。


 隣から僕以外のもうひとりの手が伸びて、マルカルスの腕を掴んで引っ張った。


「お父さん! 生きて!」


 カチューシャだった。彼女が今僕と同じようにマルカルスを助けようとしている。


「生きて、罪を償ってよ!」


 こんな時にも……マルカルスは、笑っていた。その様は、まるで逆に僕たちを地獄へ引きずり込まんとする悪魔のようだと思えた。


「……どれだけ償おうと、罪は消えない」


 その言葉に顔が引きつる。


「はははっ! あの世で会えることを楽しみに待っているぞ、クラーヴジヤ!」


 マルカルスは__自ら僕たちの手を引き剥がし、大きな笑い声を渓谷に轟かせながら……下へ、下へと落ちていった。


 僕の息遣いは、今も荒かった。


 救えなかった。


 ひとりの人間を、助けてあげられなかった。


「……崖から離れよう」


 立ち上がってカチューシャの手を取り、目を逸らすように崖際から離れる。少しだけ歩いて僕は、みっともなく地面にへたり込んだ。そうやってあぐらをかいて脱力していると、隣にカチューシャが座ってくれた。


「カチューシャ……。すまない。君の父親を……」


 僕が言いかけるとカチューシャは、目を伏して口を開いた。


「それがあの人の選んだ運命だもん。気に病まないで」


 ……相変わらず優しい声だ。不謹慎にも温もりを感じる程に。


 深呼吸して空を見上げた。光が暗がりを追い越していっている。空気が透き通っているせいか、明るさに消え入りそうな星々の煌めきすらよく目に映る。


「私、また助けられちゃったね」


 肩に手を置かれた。隣を見ると、カチューシャが微笑んでいた。返す言葉としてちょうどいいものがなにひとつ見つからず、そのまま見つめ合っていると。


「ずっと、夢を見てたんだ」


 そう言うと共に、彼女は僕を抱きしめてくれた。突然のことに戸惑って、手の置き場を忘れてしまう。


「故郷が燃やされて酷い目にあってた。それを、なにもできない自分がただ見つめてる夢」


 故郷が燃やされる……マルカルスの計画が実行された後の未来を夢で見てたってことか。


「孤児院の院長も、花屋の人たちもみんな……。……炎が燃えてるのに、寒くて冷たい感覚だけが私の胸にあって」


 カチューシャの声は、震えていた。


「つらかった。なんにもできないのに、なんでか必死で……。そうやって目を覚ました時」


 その両腕にさらに強く締め付けられる。


「そこにいたのが、あなたでよかった」


 ……僕は、両手を上げてカチューシャを抱きしめ返した。あの伝言通り、僕を待っていてくれたのか。


 今こそ伝えよう。


「僕は、あの日、君が笑いかけてくれたから、そのおかげでここまでこられたんだ」


 家族との未来を潰された先の強さを求めるばかりだった人生に、君が意味を与えてくれたんだ。こんな人生は、君と出逢うために存在したんだって。


「なにもできないだなんて、そんなことはない」


 なんにもできない。そんな命は、この世界にはない。何者であろうと必ずなにかに影響し、現在を未来へと押し進めている。今ならわかるんだ。未来は、世界の全ての命が結託して生み出していると。


 父親に利用されるために生まれた君が、僕の力になってくれて、これから新しい人生へと進むように。


「君がいたから、僕は……」


 光の元で生きていけることがどんなに尊くて素晴らしいか気づけたんだ。


「ねぇ」


 カチューシャが呟く。


「私、あなたと一緒がいい。触れるもの、感じるもの、あなたと一緒に思いを馳せたい」


 言い進めていくと共に声の震えが大きくなっていく。やがて言葉には聞こえなくなり、それは嗚咽へと変わった。


「カチューシャ。わかっているだろう」


 僕もこれから先を光の下で生きたい。けれど僕は、かつて脅し屋だった。その事実は消えやしない。街……いや、国に生きる人々が、僕がこの場所で新たな生き方をすることを許してくれないだろう。


 僕は、凶悪犯罪者の脅し屋クラーヴジヤだった人間だ。……この国にはいられない。


 抱きついていたカチューシャの肩に手を置き、諭すようにゆっくりと離れさせた。


「世界のどこにいたって、あなたを見つめるから」


 その瞳は、涙で溢れていたが、しかし確かに僕を見ている。……離れたくなくなってしまうな。


 見つめ返すとカチューシャは、泣いているというのに、ふにゃふにゃと笑ってくれた。そのおかしさにつられて、つい僕も笑ってしまう。


「けれど、いつか時が流れて……人々が僕を忘れて、僕自身が太陽と歩けるようになったら……。その時は、君を迎えに行ってもいいかな?」


 そう言うとカチューシャは、なにかを思い出したかのような仕草をして、涙を拭って僕に語りかけた。


「じゃあ、その時は『手紙』出してよ。『夜が明ける頃に帰ってくる』ってさ」


 どこかで聞いたような言葉だと思って、ちょっとだけ記憶を辿る。そうして聞き覚えの正体に気づいて、また僕は笑ってしまった。


「そうだね。心苦しいけど、その日まで待っていてもらおうかな」


「もーっ、次は『燻る胸に愛が湧き重なる』でしょ?」


「ああ。『暖かく陽射し降るように』、ね」


 少し間を空けてから、僕たちは、声を出して笑い合った。


 きっと……遥か先でもこの声が聞けると思えば、きっとそれが歩く活力になってくれる。その時までも、その時からも。君の未来に幸運が降りますように。そう願わずにはいられなかった。


 なんだか楽しくなって、僕たちは、いつまでも笑い続けた。


 月光に咲いていた、ひとつの旅の終わり。冬の澄んだ空気の空。どこか遠くまで透き通るような、どこか暖かく染み渡るような。そんな夜明けだった。

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