26.時代の終わり
絶え間なく鳴るローターブレードの回る音と浮遊感の中で、それが静かだと思えるようになるくらいにずっと目を閉じていた。
__あの! ありがとう……ございました。今度は、きちんとうちの料理、食べに来てください。
考えていたことは……正直に言うと、あの時の看板娘さんのことだった。もう気がついている。俺は、たった一瞬関わっただけのあの人に対して心が揺らいでいるんだ。名前も知らねぇけど……あの人のそばにいられたら、きっとすっげぇ楽しいだろうな。
今考えるべきことじゃないとわかってても頭は想像をやめてくれない。俺があの人と一緒にいる未来……。だが、それが思い浮かぶ度に同時に燃やされていく街の光景がチラつく。
マルカルスをぶっ倒して、全部終わったら、またあの人に会いてぇなぁ……。でも、俺の正体が脅し屋だって知られたら……。
今なら、前に親父が言っていたことがわかる気がする。そうだよな。好きだからっつって、純粋に懸命に生きてる一般人を脅し屋人生に関わらせたくねぇもんな……。
本当に。人の心は簡単だ。
……脅し屋、なくなった方がいいのかもしんねぇな。だって、そうしないと誰とも……。
「着陸するぞ」
操縦席のフリスクさんからの呼び声で現実へと帰る。俺は、首を横に振って、ヘリコプターが土手の芝生広場への着陸を終えた後、ドアを開けて降りた。
クラーヴジヤがこっちへ近づいてくる。
「ルカ。上手くいったみたいだね」
「ああ。アレクサンドルは、ルーンベルク鉄道の各駅と南にあるパシーヴァの傘下の工場に機動隊を配置することを約束してくれた」
だが、今から機動隊が行き渡るまでの時間を考えると、ソイツらにマルカルスの確保を任せるのは現実的じゃない。ヤツが乗る電車が駅に着くまでに間に合わねぇだろうし。もしマルカルスが南の工場へ着いて、俺たちの動きを悟って計画を前倒しにでもしたら、誰もヤツを止められなくなる。やっぱりマルカルスは、俺たちで倒さねぇとな。機動隊は、ヤツに逃げられたりした時のための保険だ。
「ジャミが言っていたマルカルスが乗る予定の電車は、とうに出発の時刻を超えた。ヤツが南へ行く前に俺たちでとっ捕まえるぞ」
「ああ。行こうか」
俺は、再びヘリに搭乗した。クラーヴジヤも荷物を持って後に続く。
これから、ヘリに乗って電車が通る地点に先回りして、すれ違いざまに電車に乗り込みマルカルスを確保する。……どんな結末になるかわからねぇけど、精一杯やってやるつもりだ。俺たちの手で、ヤツの復讐を終わらせてやる。
まだ夜は明けきらない。遥か東の空が淡い赤に染まり出しているのだけが見える。そんな夜空の中をしばらく飛行していき、やがてぼんやりと線路が見えてくる。アレクサンドルが早い対応と決断をしてくれたおかげで間に合った。計算では、あと少ししてからここにマルカルスの乗る電車が走る。
「なぁ、ルカ」
それまで静かだったというのに、作戦開始直前になって唐突にクラーヴジヤに声をかけられた。
「どうした?」
「これからどうなるかわからない。こうやって話せるのが最後になる可能性だってある。……そうなる前に、君に言っておかなければならないことがあると思ってね」
暗い中で表情は読めなくても、言葉の節々に込められた哀愁だけはわかる。
「怒らないで聞いて欲しいのだけれど」
「おう! どんと言ってくれ」
クラーヴジヤは、一呼吸置いて語り出した。
「実は僕は、脅し屋を辞めようと思っていてね。その……なんだ、これからの人生」
「日の光の元で生きたいんだ。だろ?」
やっぱり暗くて顔は見えにくいけど、クラーヴジヤが驚いているような気がした。
「……言いたいことがよくわかったね。辞めると聞いてなにも思わなかったのかい?」
「なにも思わない訳じゃねぇけど、否定できねぇんだよ。何故なら、俺もお前に追いついたからな」
そう言うと、クラーヴジヤは笑った。
「お互い新しい人生に馴染めるといいね」
「だな」
遠くからガタンゴトンと音が近づく。徐々にそのヘッドライトが強く目に飛び込む。
「マルカルスを倒し、カチューシャを助け出す」
「これが脅し屋の最後の仕事だ」
フリスクさんの操縦でヘリが下降を始める。俺は、ドアハンドルへと手をかけた。
「いくぜ。相棒」
「ああ」
ヘリが一気に電車へ接近する。ドアを開けた。凄まじい強風が吹き付ける。目を開けるのもやっとだ。
「クラーヴジヤ!」
後ろからクラーヴジヤがライトを照らす。いいぞ、触れちゃいけねぇ架線がよく見える。
「いける! いくぞ!」
かけ声と共に飛び降り、架線の隙間を落ちて電車の屋根へと移る。同時にヘリがサーチライトを照射した。顔をあげると、後方でも俺と同じようにクラーヴジヤがへばりついている。上手く飛び移れたようだ。
俺は、伏した体勢のまま少し移動してパンタグラフに近寄った。そして、その碍子に命綱を取り付ける。自分で引っ張ってちゃんと機能していることを確かめて、俺は屈んだ姿勢になり、自分の足場を蹴った。弾みで後ろへと跳ね落ちて、窓ガラスと同じ高さへ。体が命綱に吊られるような状態になった。
「くっ!」
強風に煽られながらもなんとか腰のハンマーホルダーからハンマーを右手に取り、懐から釘を左手に。釘の先端を窓に垂直に当てて、ハンマーで思い切り叩いた。一点に集中した力は、ガラスにヒビを入れる。それからは、ハンマーで雑に窓を叩き割って、人ひとりが入り込めるだけの空間を繋いだ。
大きく開けられた窓に半身を突っ込み、命綱を外す。床に足をつけて、電車内への侵入に成功した。釘とハンマーを適当に投げ捨てる。早朝なこともあって乗客は数える程しかいなかったが、皆が皆、侵入者の存在に驚き慄いている。数秒の差をつけてクラーヴジヤも車内に入ってきた。その顔を見た乗客が一層慌てふためく。
この電車のどこかにマルカルスとカチューシャさんがいる。俺とクラーヴジヤは、目を合わせて頷き、先頭車両へと早足で駆け出した。
迅速に乗客ひとりずつの顔を確認していく。隠れられる場所なんてない。電車が南の駅に着くまでまだ時間がある。大丈夫だ。確実にマルカルスを追い詰められる。
もう一車両分進んで、ようやく先頭車両へ着いた時。クラーヴジヤが手で俺を制した。
俺たちは、奥を睨みつけた。……ヤツが立っていたんだ。自分の娘を抱き寄せ、その首に刃物を押し当てて。
「どこまでも俺の邪魔をしたいようだな。脅し屋よ」
「……カチューシャを離せ。彼女がこの世に生まれたのは、お前に利用されるためではない!」
クラーヴジヤが言い放つ。カチューシャさんの瞳は、連れ去られた時と同じく光が灯っていないようだった。
マルカルスが顎をしゃくって笑う。
「どうやらこの娘は、人質として機能するようだ。まだまだ俺の盾として働いてもらおうか」
「カチューシャを盾に僕らから逃げて、そのまま街を焼きに行くのか?」
「その通りだ! はははっ! 俺とコイツの名は、脅し屋の時代を終わらせた英雄として後の世に語り継がれることだろう!」
マルカルスは、大口を開けて悪魔のような笑い声を轟かせた。その壊れてズレを起こした照準みたいだとも思える視線は、クラーヴジヤの眉間へと向けられている。とても正気だとは思えねぇ……。
「マルカルス。お前が危惧しなくても、まもなく脅し屋は終わる。お前を捕え、これから焼き殺される予定の多くの人を救って、僕たちは脅し屋を辞めるからだ」
「人を救う? 笑わせるな! 最後の最後に善を積めば過去を清算できると思ったか!」
マルカルスは、ぐっと強くカチューシャさんを自分に寄せて、その顎下に刃物の平部分を押し当てた。
「お前たち脅し屋は! 俺によって消されるべきなんだ! そして俺は! 人々から讃えられる英雄になる! 素晴らしい話じゃあないか!」
マルカルス……きっとヤツは、脅し屋への復讐心に囚われて周りが見えなくなっているんだ。ヤツも……運命に翻弄された可哀想な人間のひとりなんだ。
クラーヴジヤが一歩、前へ進む。
「お前の正義が確かにあったとしても、虐殺が許される理由なんて存在しない! ……マルカルス、お前だって救ってやる!」
その言葉を聞いた瞬間。マルカルスは、手に持った刃物をカチューシャさんの顎から下ろした。そして、なにかを悟ったように笑い始める。その声は、段々とかさを増していく。
「ははははっ……。その言葉、そうか。お前は、アイツの……!」
なんだ……? マルカルスは、一際大きな笑い声を響かせた後、じろりとクラーヴジヤを見つめた。
「血は争えないなクラーヴジヤ。昔、お前の父親にも同じことを言われたぞ」
「なに……?」
……は? 父親? それって、昔クラーヴジヤを虐待してたっていう?
「面影を感じる。お前の父親は、かつてパシーヴァに務めていた。アイツは、実に聡明で賢い男だった。計画のことを話したら反対されてしまってなぁ。さっきお前が放ったのと同じ言葉をアイツから言われたぞ」
ふと隣の顔を見る。クラーヴジヤは、鬼のような目つきでマルカルスを睨んでいた。
「クラーヴジヤ。自分の母親が死んだ理由を覚えているか?」
「……母さんは、原因不明の病で亡くなった」
それを聞いてマルカルスは、大きく口角をあげる。
「毒を盛らせてもらったんだよ。妻が死んだ後のお前の父親の様子は本当に美しかった。聡明な人間が壊れて段々と腐っていく様が」
「……父さんに生き地獄を味合わせるために、母さんを殺したのか?」
「ああそうだ! よくわかってるじゃないか! ははははっ!」
ヤツは、どこまでも楽しそうに笑っていた。……なんてことだ。昔、クラーヴジヤから両親の話を聞かされたことがあったが、それにマルカルスが関わっていたなんて……。
ずっと昔から、ヤツは壊れていたのか。自分に反対する人間に容赦なく手を出せる程に……。
視線を落としてしまい、図らずも握りしめられた拳が目に映る。俺は、ハッとしてクラーヴジヤへ声をかけた。
「クラーヴジヤ。冷静になれ。ヤツの挑発には……」
「わかっている」
そう応えるクラーヴジヤの眼差しは、静かに怒りを宿しつつも、少しも揺らぐことなくマルカルスを睨みつけている。
「つまりこれは、潰された未来の復讐! 俺も! お前の人生も! クラーヴジヤ、お前自身も脅し屋を恨み呪えよ! はっははは!」
マルカルスが笑う最中、服のポケットの中からの僅かな振動を感じた。俺は、スマートフォンを取り出し、一瞬で通知を確認する。
「渓谷を超えた後、衝撃に備えろ」……親父からのメッセージだった。
俺は、窓の外へ目を向けた。まだ暗いが、電車が木々の合間を走り抜けていることがわかる。文章にあった渓谷とは、この電車の走る先、途中で通り過ぎる大渓谷のことだろう。親父、一体なにを企んで……。
「……父さんと母さんと一緒に生きていられれば、それは素敵な人生だっただろう。だけど、僕は脅し屋を恨んじゃいない」
もう一度ちらりと窓の外を見る。いつの間にか鬱蒼とした木々はなくなり、遠くまで続く崖が目に飛び込んだ。
「脅し屋がやったこともお前がやったことも許されるべきことではないけれど、そのおかげで……ルカやカチューシャと出逢えたんだ」
窓から覗ける景色の中で、向こうの崖が近づいて見えてくる。
マルカルスは、舌打ちして床に唾を吐いた。
「言ってくれる。ならば、今ここでお前の想い人の息の根を止めてやろう!」
「待て! マルカルス!」
電車の先頭車両が渓谷を超えた! この後で一体なにが……。
そう思った瞬間、前方から大きな爆発音が。同時に強い大地の揺れも。
「なんだ!?」
マルカルスが叫ぶ。一瞬で事を理解した俺は、クラーヴジヤへと跳ねた。庇って、衝撃から守るために。
「伏せろ! クラー__」




