23.もう一度だけ
「着いたぞ」
フリスクの運転する車は、パーミャチ孤児院の駐車場に停車した。僕は、シートベルトを外し下車して孤児院の入口へと向かう。
この二日間……どうしようもない疎外感を埋めるために、僕は色んな場所へと赴いた。でも、当然だけど居場所はない。迷惑をかけてしまう手前もう戻るつもりはなかったけれど、最後の望みとして、まだ脅し屋じゃなかった頃の僕が暮らしていたここへと訪れた訳だった。……ここに来たところで、なにも解決はしないだろうけれども。院長に会ってさえ気持ちが変わることがなければ、今度こそ本当に終わりだ。
階段を昇ってから少し躊躇った後、結局呼び鈴を鳴らした。しばらくして、扉は開かれる。院長は、顔を覗かせると僕を見て驚いた表情を見せたが、なにも言うことはなかった。
僕は、前にここに訪れた時と同じマスクを被っていた。
「……院長」
一言発すると、彼は優しく微笑んだ。僕の現状を察してくれたのか。
「よく来たね、ワイパー。外は寒かっただろう。中へおいで」
応接室に案内され、ソファに座る。院長は、湯気が立った二人分のコーヒーカップを運んできてくれた。その片方を僕の目の前に置いて、院長も対面に腰かける。
「……ありがとう。いただきます」
僕は、カップに一口つけて温かい液体を喉に流し込んだ。外には負けるが、室内も中々に肌寒い。そんな中で飲むコーヒーは、少しだけ僕を救ってくれた。
カップを小皿の上に置く。院長は、僕の目を見て語りかけた。
「クラーヴジヤ。ここに来たのは、カチューシャのためかい?」
唐突に本名で呼ばれて、一瞬だけ心拍が荒くなった。つい咳き込んでしまう。
「院長。その名前は……」
「大丈夫。ここを見張っていた警察は、もういないから」
警察がいなくなった? 凶悪犯罪者と認識されている脅し屋を警戒していた人たちが?
「何故?」
「わからない。だけど、そのおかげでやっと君とまともに話せる」
心なしか、院長は嬉しがっているように思えた。思い違いかもしれないけれど。
「クラーヴジヤ。今だけは、私に本当の顔を見せて欲しい」
院長の確かな眼差しが僕を貫いた。心でわかる。今の言葉は、僕を陥れたりするためのものじゃない。……誰かからの真摯な眼差しを受けるのは久しぶりだった。僕は、頷いてマスクを脱いだ。
院長は、相好を崩した。
「ああ……懐かしい。あの歌が蘇ってくるよ」
あの歌とは、カチューシャが歌っていた歌のことだろう。……僕がよく聞いていたアレを院長も覚えている。何故だか嬉しかった。
「院長。僕がここに来たのは……決してカチューシャのためではなく……」
自分の情けなさを思い出した。居場所を求めてのこのこと戻ってきたなんて言えば、院長はどんな顔をするだろう。考えただけで、俯いて口ごもってしまう。
「クラーヴジヤ」
呼ばれて目線を上げる。院長は、昔と変わらず優しい顔をしていた。
「きっと、つらいことがあったんだろう。話してみなさい。私では力にはなれないかもしれないが……。声に出して話してみるだけで救われることだってある」
あの日と同じ柔い声が耳に入った。
今更になって罪悪感を感じてしまう。僕は、これから院長の優しさに甘えるだろう。しかし、その罪悪感が霞む程に今は段々と込み上げてくるものがあった。
「院長。僕は」
目頭が熱い。ダメだ、もうじき決壊してしまう。そんな気がした。今までの人生でそんなこと一度たりともなかったのに。耐えなければ。
たった今、これから。人に自分の心の弱さを見せつける。かつて強さを求めて旅立ったこの場所で。
「……そうか。それはつらかったね」
色々と話してしまった。カチューシャへ想いを寄せていること。彼女が連れていかれてしまったこと。そうなってしまった経緯を。
僕は、テーブルに伏して顔をぐしゃぐしゃにしていた。院長に肩を叩かれる。少しだけ顔をあげると、目の前にハンカチが差し出されていたのが見えた。それを受け取り、濡れた頬と目の周りを拭く。
何度も目を拭った。そうやってしばらくして、少しづつ落ち着きを取り戻して。
「院長……。ごめんなさい」
少し荒い息遣いのまま謝った。院長は、相変わらず微笑んでいる。
「クラーヴジヤ。昔、君が引き取られていった後のカチューシャの様子はわかるかい?」
突然の質問だった。そういえば確か……久しぶりに再会した時、カチューシャは、僕が孤児院を出た後のことを寂しかったと言ってくれたな。
「あの子は、君がいなくなってから変わってね。意地悪を仕掛けてくる子たちに反発するようになって、酷い時には取っ組み合いの喧嘩になったりもしていたよ」
それを聞いて驚いた。あのカチューシャが、他の子供たちと喧嘩だなんて。
「あの時期のあの子は、寂しがっているようだった。離れた後にそうなってしまう程、カチューシャは君との時間を大切にしていたんじゃないかな」
本当に……?
「クラーヴジヤ」
院長が背を丸めて手を組み、少しだけ僕に顔を近づける。
「勝手ながらお願いさせてもらうよ。君が本当にカチューシャを想っているなら、もう一度彼女に寄り添ってあげて欲しい」
もう一度……。でも……。
「だって、彼女は父親を選んで……」
「言わせてもらうけれど、母親と自分を捨てて長い間放っておいた父親に普通ついていくかい?」
それは、そうだけども……。
「話を聞く限り、カチューシャは父親に行動を縛られているような気がするよ。きっと、彼女自身は今も孤独だ」
院長の言葉で、自分の心が揺れ動いているのを感じる。僕は、もう一度……カチューシャに会っていいのか?
「それに例え今言ったことが見当違いであったとしても。君は、彼女に想いを伝えにいくべきだ。そうしないと絶対に後悔して生きることになる。……私は、君に後悔して欲しくない」
後悔することになる。いつだったか、マスターにも言われたような言葉だ。今、僕がやるべきことは……。
「クラーヴジヤ。カチューシャのところへ行ってきなさい」
諭されてようやくわかった。今、本当にやるべきこと。考えがそっちへ向かおうとする度に目を逸らしていた、自分が執るべき行動が。
きっと怖かったんだ。これから先カチューシャに会うことも、また脅し屋として歩き出すことも。でも、僕は後悔したくない。
もう一度だけでいいんだ。もう一度だけ脅し屋クラーヴジヤとして生きて、ひとりの人間としてカチューシャに想いを伝えればいい。今になって改めて見つめ直してみれば、なんだか簡単な話に思えてきた。そう思えるのは、院長の言葉のおかげかもしれないけれど。
僕は、また目元を拭ってから立ち上がった。
「ありがとう。僕、もう行くよ」
告げると、院長がまた微笑んでくれた。その優しさは、もう何度目かわからない。
「つらくなったら何度でも帰っておいで。その度にまた立ち上がればいいんだから」
「……ありがとう」
再び感謝を伝えて、さっき脱いだマスクを手に僕は応接室を後にした。
脅し屋なんて正直もううんざりだけども。でもきっと、そうやって生きたから、あの日カチューシャと再会できたんだ。そう考えれば、こんな人生も一口に否定できるものじゃない。
もう一度だけ歩き出そう。彼女に愛を伝えるために。




