21.岐路に立つ
どれだけ寝ようとしても、全然眠れなかった。その状態がもう一時間程続いている。まだ夜じゃないけれども。眠れない理由は、色々と思いついた。ずっと変装用マスクをつけているからかもしれないし、こんな寒い時期に公園のベンチで横になっているからかもしれない。
今の僕は、とにかく目に映る全てから逃げたかった。なにもかもを自分から隔絶しようとして、目を閉じ続けている。
しかし、どんなに考えるのをやめようとしても……カチューシャのことを想わずにはいられなかった。もしかしたらそれは、無意識のうちに自分で自分にやるべきことを思い出させようとしているのかもしれないけれど、考えを向けるほど苦しくなるばかりだ。思考がそっちへ向かう度に少しだけ目を開いて外界の情報で気を紛らわし、また目を閉じる。
今、本当になにを考えるべきで、どうするべきなのかわからなくなり、またひとつ深くため息を吐いた。
「ワイパー。起きろ」
声をかけられて体を起こす。買い物袋を持ったフリスクが立っていた。ワイパーというのは、前も使った僕の偽名。
「しばらく食べていないだろう。いい加減なにか口に入れろ」
そう言ってフリスクは、袋から食料を取り出し、それを僕に差し出す。紙袋に包まれたピロシキだった。怠い体を無理やり動かしてベンチに座る体勢になり、食べ物を受け取る。
「……君にも悪いな。みっともない姿を見せてしまって」
「ワイパー。お前が言っていたカチューシャという女性は、何故マルカルスについていったんだ?」
「わからないさ」
フリスクは、僕の隣に座って自分の分のパンを食べ始めた。
「おかしかったはずだ。それまでお前の腕を掴んでいたというのに、敵の方へ歩いていったんだろう?」
「でも、最後はマルカルスの隣で微笑んでいたんだ」
「その時の彼女の他の様子は? おかしいところはなかったのか?」
尋ねられて、なんとか昨日のことを思い出す。マルカルスの肩組みを拒否せず受け入れたカチューシャ。微笑んでいた表情。あの目……。
「……あの時、なんというかカチューシャは、光を失くしたような瞳をしていた。ただ、日が暮れる直前だったから、暗くてそう見えただけだと思う」
僕にはそう見えていただけかもしれないという話だ。伝えると、フリスクは腕を組んで思考する素振りを見せた。
「ならば、彼女は操られてしまったんじゃないか?」
「は? 操られた?」
なにを言ってるんだ。
「最終的についていったのが故意だとしても、そうじゃなくても。その時にカチューシャが認識した情報。物の動きや音、言葉などが彼女の記憶に引っかかった可能性が」
動きや音、言葉……。言われて思い出した。そういえばあの時、マルカルスは歌を歌った。その歌というのは、小さい頃カチューシャが孤児院で口ずさんでいた歌。彼女がもっと小さい頃に母親から子守唄として聞かされたと言っていた歌。「鷲の帰郷」だ。
マルカルスは、カチューシャのよく知る歌を歌い、彼女を引きつけた……? でも、ただそれだけでそれまで恐怖を感じていた相手についていくか?
「……思い当たる節があるようだな」
気づけば、思考に耽ってしまっていた。放ったらかしにしたことを悪く思いつつ頷く。
隣でスマートフォンの着信音が鳴った。フリスクは、ポケットからスマホを取り出して画面を見た後、それを僕に差し出した。
「お前の仲間からだ」
ルカから? グローザさんのことで連絡か。スマホを受け取って、僕は電話に応じた。
「もしもし。ルカ?」
「__俺だ。クラーヴジヤ、今話せるか?」
「ああ」
耳に入ったルカの声は、いつものようにハキハキとした声ではなかった。間違いなくルカの声ではあるけれど、どこか静かに憤っているような。そんな印象を受けた。
「__まず、親父は無事だ。だが、回復した後でも多分親父は動けねぇと思う」
「どういうことだい?」
「__今から俺が親父に聞かされたことをそっくりそのまま伝えてやる」
昨日のグローザさんの様子……。右目がどうのとかマルカルスに言われた後、膝から崩れたあの姿を思い出した。
「__いいか。よく聞けよ。脅し屋とパシーヴァの因縁についての話だ」
「__きっと、その過去があって……マルカルスは、脅し屋という存在そのものを憎むようになったんだ」
「……そうか」
たった今ルカから聞いたこと。グローザさんの過去と、パシーヴァとの繋がり。正直に言えば、切なくなるばかりだった。
マルカルスは、僕たちを絶望させるために……生き地獄を味合わせるために……。あの日、ダレントの社長と脅し屋が繋がったことを知った後、僕たちに濡れ衣を着せた。もうまともな恋も人生も送れないようにさせるために……。
「__クラーヴジヤ。今の話を聞いた上でお前は戦えるか?」
「僕は……」
すごく直球な聞き方をされた。
わかっている。話を聞いた上で、脅し屋として生きてきた僕が今どうするべきか。頭では嫌という程わかっている。
パシーヴァの人間と、彼らと関係を持っている警察の人間を白日の元に晒すこと。脅し屋として。
マルカルスを抑え、カチューシャの真意を確かめること。ひとりの人間クラーヴジヤとして。
本当に。頭ではわかっているんだ。
「僕は……」
……体が動いてくれれば、今すぐにでも戦いにいくというのに。
「すまない」
間を引っ張った末に口から出た一声は、ルカへの謝罪だった。
自分のやるべきことと、自分が向かいたい場所の差が激しかった。もちろんカチューシャに会いたいが、そのためには、まだまだ脅し屋として生きなければいけない。でも、今の僕は……脅し屋としての人生にうんざりしていた。こんなこと、ルカには口が裂けても言えないが。
「__そうか」
ルカは、僕を見限ってくれるだろうか。
「__クラーヴジヤ。今までよく頑張ったな。後は全部俺がやる。ゆっくり休んでくれ」
それでプツリと通話が終わった。今のが最後かもしれない。もし本当に最後なら、あっけない終わりだったと思う。
言葉は、優しいものだった。ルカの優しさにつけ込んだみたいで罪悪感を感じてしまう。本当にすまない。君の相棒だった人間が、こんな意気地無しなヤツで。




