19.日没
警察署の前から敵とルカたちの後を追い始めてしばらく経つ。街並みは変化していき、段々と正面にいくつもの煙突が見えてくる。敵が向かっているのは西。ルーンベルク工業地帯の方だ。
何故? パシーヴァ本社の建物があるのは、街の北地区のはずだ。釈放されたばかりの敵が向かう必要がある場所。……誰かと密会でもするのだろうか。それこそ、会社で会うとまずい警察の人間とかと。
「クラーヴジヤ。さっき警察署から出てきた男が敵のひとりなんだろう?」
運転席に座るフリスクが尋ねてくる。
「そうだ。前に僕たちを欺いて陥れたヤツでもある」
「まさか、本当に敵と警察が絡んでいるとはな……」
まったくだ。僕も信じたくない。信じたくないが、これは紛れもない現実。警察が腐っているのなら、僕たちが正さなければ。そうだ、元来そのための脅し屋だったじゃないか。
行き着いた先は、西地区の工業地帯。その中でも辿り着いたのは、今や寂れて閑散とした、誰もいない工場跡だ。
ナイフ男が正面から堂々と廃工場に入っていくのが見えた。釈放された後にこんな場所にくるとは、やはり密会でもするつもりなのか。
見届けた後、フリスクには、廃工場の裏に車を停めてもらった。僕は、いつものように変装用マスクを被り下車する。少し歩いて工場の裏口に近づいた。
「よお。元気してたか?」
駆け寄って僕に声をかけたのは、同じくマスクを被ったルカだ。隣にグローザさんもいる。
「ルカ、久しぶり。グローザさんも」
「ああ。無事で良かった」
短い挨拶を終えて、ルカが工場へ視線を送る。
「さっき、ヤツがここに入っていくのが見えたぜ。誰かと打ち合わせの会議でもするんじゃねぇか?」
「僕もそう思っていた。盗み聞きして情報を得る絶好の機会だ。行こう」
「その前に」
歩き出そうとすると、ルカは突然、僕の肩に一方的に腕を組ませた。
「なんだい? 急に」
「お前と再会したら第一声で伝えてやろうと思ってたことがあってな」
覗くとルカは、いつかのようにニヤついた顔をしていた。
「カチューシャさん、お前のこと信じて待ってるってよ」
告げられて、思わず息を飲んでしまった。驚いてしまった。……カチューシャが僕を待っている?
「待ってるって……。彼女がそう言ったのかい? 報道があった後に?」
「ああ。彼女、あの後わざわざ惣菜屋まで来てくれて、俺にお前への伝言を残していったぜ。待ってる人がいると伝えて欲しいってな」
カチューシャが、僕を信じて……。いや、まさか。殺人者と報じられた脅し屋クラーヴジヤだぞ。
「ルカ。戯言なら今は受け付けていないよ」
「信じられねぇか? まあいいぜ。全部終わった後にでも確かめればいいんだからな」
組まれた腕を振りほどく。グローザさんがなにも言わずに先陣を切って歩き出した。
……わかっている。今の状況でルカが言うということは、彼女からの伝言は本物なのだろう。
自分を待ってくれている人がいる。なんだか嬉しかった。しかし、今は敵を追っているタイミングだ。冷静になるために、今だけはカチューシャからの伝言を嘘だと思うことにした。……そうだ。ルカが言うように全てが終わった後に確かめればいい。
心の平静を取り戻して、僕はルカと共に師匠の後に続いた。
裏口から工場に侵入した後は、三人で行動した。さして広くもない廃工場。固まって動いたのは、こんな場所で敵が静かに会話していない限り、僕たちがバラけていなくてもその声を拾うのは容易だろうという考えの元だ。もちろん機械など稼働している訳なく、微かなはずの僕たちの足音が大きく耳に入るくらいには静かだ。空間の境目にあったはずの扉が壊されて全て取り外されていたのは幸運だった。
しばらく進んで、先頭にいたグローザさんが人差し指を口元に当てた。それを受けて、僕もルカも息を殺す。耳を澄ませると、そう遠くない場所にいるだろう誰かの話し声が確かに聞こえた。より慎重に、一層足音を消して声の元へ近づく。
やがて、その会話が聞き取れる程度のところまで進んだ。パシーヴァと警察の癒着。ダレントの社長の殺害犯。敵の思惑。なんでもいい。ここで情報が知られたらと、そう思っていた。
その矢先。
「先日は、よくもやってくれた」
背後からの声。背筋にひんやりと汗をかいた。振り返ると、あのナイフ男が立っていた。
「今日は、昨日の礼をさせてもらう」
男は、僕たちに拳銃を向けていた。
「どうして俺たちのことが」
ルカが尋ねる。男は、邪悪な微笑みをすげ替えることなく応じた。
「この廃工場は、昔から我々の隠れ場所でな。通路、部屋、出入口、あちこちで目が光らせていた。録音した声に釣られてこそこそしてるお前たちの姿はお笑いだったよ」
敵は、僕たちが追跡してくることを読んでいたのか。レオニードの件といい、本当によく脅し屋のやり方をわかっているようだ。
「安心しろ。私は嬉々として銃を構えているが、ここでお前たちを殺すような真似はしない。ただ、ちょっとした話し合いに付き合ってもらおうか」
男が僕とルカ、グローザさんのそれぞれを牽制するように銃口を向け見せつける。
「脅し屋クラーヴジヤ。お前だけは、マスクを外せ」
「僕だけ? 何故__」
口を開くと、遮るように銃弾が僕の髪をかすめた。ヤツの拳銃には消音器が取り付けられていて、大きな発砲音が響くことはなかった。
「次また口を開けば、さっきの言葉を撤回する」
ルカが横目で僕に視線を送ってきた。……今は、言いなりになるしかない。僕は、もうなにも言わず自分の顔を覆っていたマスクを剥ぎ、それを投げ捨てた。
「それでいい。では、会場に案内しよう。言われた通りに進め」
案内されて辿り着いたのは、廃工場の駐車場だった。やはりどこか寂しく、隅に廃車がまとめて放置されている。他には、入口付近にバイクが一台停められているだけだ。
その駐車場の中心に立つフードを深く被ったひとりの人物。その佇まい。はっきりとわかる。あの日、鉄パイプを武器にして僕たちを襲撃した男だ。
「しばらくぶりだな。脅し屋よ」
そして、いつか聞いた声。間違いない。この男こそが……。
「あんたは、脅し屋のことをよーくわかってるみてぇだな。パシーヴァの社長マルカルスさんよぉ」
ルカが言う。ヤツは、小さく笑ってフードを払い脱いだ。その顔があらわになる。パシーヴァとダレントのパーティの時に会場で見た顔だ。場に緊迫した空気感が流れる。
「マルカルス……」
グローザさんが呟く。マルカルスは、グローザさんの顔を見ると目を見開いた。笑みを崩さずに。
「右目がくすぐったいだろう? なにも見えていない偽物の目玉が」
右……偽物? グローザさんの右の義眼のことか?
「ずっと会いたかったよ。なに、俺自身の手で礼をしたくてな。そのために生きてきたと言っても過言ではない」
それを聞くとグローザさんは、何故か俯いて、膝から崩れ落ちてしまった。
どういうことだ。礼をするために生きてきた? いまいち理解ができない。
「親父? どうしたんだよ!?」
ルカも訳がわからないといった表情だ。
「だが、まだ贈り物をするには早すぎる」
マルカルスがそう言い放つと、後ろで拳銃を構えていた男が僕たちの横をすっと通り過ぎ、向こうへと歩んだ。拳銃を胸元に隠して。
「もっとじっくりと味わってもらわねばな。クラーヴジヤ。お前にも、だ」
マルカルスは、再び小さく笑い、駐車場の入口の方へと目を向けた。
「お前もよく知る人間へと招待状を送らせてもらった。その客人がようやく到着したようだ」
僕のよく知る人間……? まさか。僕は、マルカルスの視線を追った。おどおどとした顔でこっちへと歩み寄ってくる人の姿が見えた。長い金髪と淡い水色の瞳。思わず目を丸くしてしまう。見間違いじゃなかった。
「カチューシャ……」
その人の名を呟いてしまった。僕に近づいてくるカチューシャは、怖がっているけれど、それでも勇気を振り絞っているような。そんな表情をしていた。
「クラーヴジヤ君……。私に伝えたいことって……?」
「は?」と口に出したい気分だ。それ以外の言葉が本当になかった。
「クラーヴジヤ。お前の名前で彼女に手紙を出させてもらったぞ。こんな現状においても自分を信じて来てくれた彼女に感謝すべきだな」
「え……?」
その言葉で誘い出されたことに気がついて恐怖したのか、カチューシャは、さらに僕に近寄る。
「あ、あなたは……?」
「カチューシャ。アイツは」
娘を捨て、その人生を狂わせた張本人。……僕の胸の内は、憤りの炎が燃え盛っていた。
「君の父親だ」
カチューシャは、一瞬なにを言われたのかわからないといった顔を見せた。間を空けて、またマルカルスが笑い声を轟かせる。
「マルカルス。何故カチューシャをここに呼んだ」
「娘に会いたくなったのだよ」
マルカルスは、確かにそう言った。……本当かどうかはわからないが、どちらにせよヤツが自分勝手であることに変わりはない。僕は、ますます憤った。
「カチューシャ。今までひとりにさせてしまってすまない。これからは、父さんと一緒に裕福な暮らしを送ろう」
言われて、カチューシャが困惑した顔を見せる。
「なにも心配することはない。さあ、父さんの方へ」
「カチューシャ!」
僕は、叫んでしまった。憤りに身を任せて。
「惑わされるな。ヤツは、君と君の母親を捨てた人間だぞ」
カチューシャは、僕とマルカルスの顔を交互に見やった。
「カチューシャ。お前のことをずっと遠くから見守っていた。つらかっただろう。これからは、父さんが一緒だ」
「ヤツは、僕たちを陥れた犯人だ。ヤツに近づいてはいけない!」
少しだけ間を空けて……恐らく困惑しつつも、カチューシャは、僕の腕を掴んでくれた。……それだけで、僕は救われた気がしたんだ。
カチューシャの様子を見ると、マルカルスはニヤリと笑った。……まだなにかあるのか?
「家族を選ばず、脅し屋を選んだか。では、カチューシャよ」
僕の腕を掴む彼女の手の力がぎゅっと強まる。
「懐かしい歌でも歌おうではないか」
「……歌?」
僕たちは、口を揃えて復唱してしまった。マルカルスは、こちらへと一歩進み、その歌を口ずさんだ。
「あの人への文をしたためた。夜明けに帰郷を告げる文」
カチューシャの顔色が変わる。ヤツが歌う歌詞は、僕も聞き覚えがあった。この歌は……。
「燻る胸に愛が湧き重なる」
ふと気がついた。僕の腕を力強く掴んでいたはずのカチューシャの手がほどかれていたことに。
「暖かく陽射し降るように」
マルカルスは、手を差し伸べて言った。
「カチューシャ。父さんのところへおいで」
「はい」
驚かずにはいられなかった。脳が理解を拒んだことだけがわかった。彼女は、マルカルスの言葉に即答したんだ。そしてカチューシャは、それまで僕の隣にいたのに、ヤツの方へと歩いていってしまった。
どういうことだ。
マルカルスの元へとカチューシャが辿り着くと、ヤツは彼女の肩へ腕を組ませた。彼女が振り返る。僕は、その目を見た。カチューシャの瞳からは、生気が感じられなかった。まるで光を失ったかのような目をしていた。それでいて微笑んでいる。訳がわからなかった。
「お前の想い人は、お前といることよりも俺といることを選んだようだな」
僕は、無意識に手を伸ばそうとしていた。あっちへ向かって歩もうとしてしまっていた。
「クラーヴジヤ!」
それをルカに制止される。
「冷静になれ! 俺も訳がわかんねぇし、どうすればいいかもわかんねぇけど!」
「脅し屋。せいぜい生きながらえてくれよ。さあカチューシャ、行こう」
マルカルスがカチューシャを連れて遠くへ歩いていくのがしかっりと目に入る。ダメだ。もう届かない。理由はわからないが、そんな気がした。
マルカルスのそばにいた拳銃の男が、今度はナイフを取り出した。
「社長を追いかけたいところだろうが、お前たちの相手はこの私だ」
「……謎だぜ。戦うつもりなら、どうして拳銃を使わずナイフを振るうんだ?」
ルカが尋ねる。
「殺すなと命令されているからな。だが、ある程度痛めつけることは許されている」
そう言って、男はルカへとナイフの鋒を向けた。
「自己紹介がまだだったな。私の名はジャミ。さあ、楽しませてくれよ」
ルカと、ナイフ男__ジャミが戦っている。何故かグローザさんは膝から崩れたまま動いてくれない。ルカに味方しなければ。それだけ頭に浮かんでいたが、今の僕には立ち尽くすことしかできなかった。




