18.伏兵の叫び
「任されたぜ」
その言葉を最後に通話を切って、スマホをトレンチコートの胸ポケットにしまう。
逃げ場のない袋小路。予定では、この場所にマークスが逃げ込み、敵に追い詰められる。そうなった時のために備え、先回りして待機していた。階段の暗がりに体を預けて息を殺す。
ただ静かに待つ時間が続いた。目を閉じて深く息を吐く。……遠くからドタバタと走る音が。
「はぁ、はぁっ……」
荒い息遣いが耳に入った。ちらりと目を向ける。遠方から射す街明かりに二人分の人影が重なって見えた。雲間から照る月光のおかげで、夜だが視界は良好だった。
こっちから見て奥の人影__敵が、マークスの喉元へと刃物を向ける。
「あ、あんたは、パシーヴァの人間なんだよな……?」
マークスが尋ねる。極めて弱々しく、刈り取られる直前の命であるかのように。敵は応えずに、じりじりとマークスを詰めた。息遣いが一層激しくなる。
「教えてくれよ! 俺は、どうしてあの会社から見放されたんだ!? お願いだ! なにも知らねぇまま死にたくねぇよ!」
冥土の土産という言葉を使っても、敵はパシーヴァの思惑なんて話さない。そう思い、マークスには、ただ逃げてこいと指示した。しかし……今の怒号は、アイツの本音なんだろうな。安泰であるはずの人生から突き落とされた人間の魂の叫びだと思えた。俺としても、敵の行動理由は知れるだけ知っておきたい。ヤツは、吐いてくれるだろうか。
少しして、敵は口角を上げる。依然として刃先はマークスの喉へと向いていた。
「お前のような人間は、私たちの後に続く者として適さない。そう判断したまでだ」
続く者……。自分たちと共に動く者か。一年と半年前の人員削減……。もしや、自分たちに着いてこられる人間を選別したってことか?
マークスの叫びが続いた。
「なんだよそれ……! そんな訳のわからない理由で社員を一斉に解雇したっていうのか!? やっぱり、あの会社には裏が……」
「我々と警察権力の関わり。何故お前が知ったのかわからないが、邪魔をされたからには消えてもらう」
ヤツが一歩、また一歩とマークスへ近づく。
「へっ……。いいのかよ? 今俺を殺したら、あんたたちが真っ先に疑われるぞ。裏を嗅ぎ回られたパシーヴァが邪魔者を始末したってな」
「構わない。信頼など、今まで積み重ねたものでどうとでもなる。今の我々にとって、ゴミの片付けは、やるべきこととして何事にも勝る」
その歩みは、一歩進む毎に確かに速くなっていった。やがて徒歩は走行に変わり、ヤツはマークスの首へと向かって刃物を振り上げる。俺は、階段の影から飛び出し、その刃先が届く前に、横から敵の顔面を蹴り飛ばした。ヤツは、よろけながら立ち上がり、今度は俺へ敵意を向ける。
「誰だ……。……!」
俺の顔を見て、ヤツの目が丸くなる。カチューシャさんの前でクラーヴジヤと一緒にいた俺のことを覚えててくれたみてぇだ。
「あんたと顔を合わせるのは初めて、だな」
敵が刃物を振りかぶって突進してくる。手の届く範囲に入った直後、俺は体を捻って顔の位置をずらした。たった今確かに俺の眼球があった場所をヤツが突き刺す。伸ばされた腕を掴んでから力強く払って、がら空きになった腹に一撃、拳をぶち込んだ。この間は相棒が世話になったな、とでも言いてぇ気分だ。
マークスを背にして構え直す。敵は、歯ぎしりをしてこっちを睨みつけた後、振り返って逃走を計った。が、それは失敗に終わる。いくつものライトに照らされたからだ。目が眩んだのか、ヤツは手で光を遮ろうとする。俺もその眩しさに目を細めてしまった。だが、確かに見えたものがある。それは、ヤツへと向けて拳銃を構える複数の警察官の姿だった。
警察に連行されていく敵の背を眺める。これでこの作戦は終わりだ。俺は、夜風を浴びつつ一呼吸ついた。後ろから肩を叩かれる。
「これで、この先の五年間、俺の生活費を面倒見てくれるんだよな」
「ああ。後できちんと振り込んでやる。……協力してくれて本当に助かったぜ」
一般人であるマークスの身を危険に晒した、危ない作戦だった。本当に……よく協力してくれた。
「マークス。お前はこの後、またヤツらに狙われるかもしれねぇ。金はやるから、しばらく街から出た方がいい」
「わかっている。警察の連中に今の出来事を説明した後、すぐにでも出発する」
事情聴取では、偶然その場にいたヤツに助けてもらったと証言してもらうことになってる。俺は、マークスの目を見て頷いた。
「……なあ。薄々勘づいてたんだが、あんた、脅し屋だろ?」
マークスは、小声で俺に尋ねた。……色々と話したんだ。悟られるのも無理はねぇ。今更驚くこともなかった。
「だったらどうする?」
「別になんもしねぇよ。ただ……」
ちっとばかし間を置いて、マークスはニヤリとした口元を見せた。
「逆境にいても自分のやるべきことをやるあんたを見て、俺も少しは頑張ってやろうかと思っただけだ」
そう言ってマークスは、警察官の元へと歩んでいく。
少しづつ、なにかが変わっていっているのを感じた。その方向の善し悪しは判断つかねぇけど。……良い方へ進んでいると信じてぇ。
警察官が撤収した。パトカーの走る音が遠くなっていく。俺は、スマホを取り出してクラーヴジヤへ電話をかけつつ路地裏を歩いた。
「もしもし? 俺だ」
「__首尾は?」
「上々だ。後は、明日の警察共の様子を見てから動く」
次の日の、それも夕暮れ時になって、やっと動きがあった。内容は、言ってしまえば悪いものだった。なんというべきか、敵のシルエットを改めて認識することになったんだ。
あの後、敵が警察の上位階級の連中とどんな打ち合わせをしたのか知らねぇが、マークスを襲ったあのナイフ男は釈放されることになったらしい。親父が盗み見てきた現物の記録だ。間違いはない。
本当に腐ってやがる。だが、警察が殺人未遂を黙認して犯人を野放しにするという結果に、敵と警察組織が持っている繋がりがより鮮明になった。
捕まったアイツが全部吐いてくれればそれで終わりだったが、そうもいかねぇようだ。やっぱり俺たちが脅すしかねぇ。クラーヴジヤにもそう連絡した。
身柄を釈放されたヤツがもうすぐで警察署を出てくる。これから俺と親父は、署まで迎えに来てヤツを乗せるであろう車を追う。あのナイフ男の帰る先が知りたかった。それを知った後は……拉致でもして脅すことになっかな。
「親父。アイツが出てくる時刻まで残り三分だ」
「……ああ」
「運転頼むぜ」
親父は、小さな声で煮え切らない返事をする。また普段とは違った様子に思えた。気がかりなことでもあるのか。
「どうした? 親父。なんかあんなら言えよ」
「……気に留める程のことではないはずだが、どうしても気になることがあった」
「さっき警察署に侵入した時のことか?」
約一時間程前、親父には変装して警察署に侵入してもらっていた。もちろん、ナイフ男の現状を知るためだ。
「ああ。ただの偶然かもしれんが、一週間後、その日だけ上位の階級に位置する警察がこぞって街から出ていくらしい」
「なんだそりゃ。なんか大事なイベントでもあんのか?」
「さあな。いまいち想像つかん。……だが、ソイツらはパシーヴァと癒着している警察の人間だ。そんなヤツらが一斉に出ていく日。気になって仕方がない」
一週間後か。特に思い当たる行事はねぇけど、一応覚えておくか。
「頭には入れとくぜ」
空の茜色が濃くなってきた。窓の外に目を向ける。警察署から出てくるナイフ男の姿が見えた。特に恐怖しているようなものでもない、至って平然とした表情をしてやがる。癪でしかねぇな。
「ほら、来たぞ」
警察署の前に一台の車が停まる。ヤツがその車に乗り込んだのがわかった。
「親父」
「ああ」
ヤツを乗せた車が西へと走っていく。親父がアクセルを踏み、俺たちの乗る車を発進させた。走り出すと共に、後方の路肩に停まっていた別の車も俺たちの後をつけるように動き出した。どうやら俺の相棒は、まだ休みたくはないらしい。
落ちていく太陽の光がフロントガラスから射し込んでくる。俺は、西陽を手で遮った。




