16.密やかな交渉
「なぁ親父」
後ろから呼びかけたが返事はない。いつも通り煙草を灰皿に押し付けているのが見える。親父は、それをもう一度吸った後、本日十本目の吸殻として捨てた。
「どうしたんだよ。なんかあったのか?」
やっぱり返事はなかった。敵の正体がパシーヴァの社長マルカルスだとわかってから、ずっとこんな調子だ。
親父が煙草の箱に手をかける。中は既に空だった。
「ルカ。煙草を持ってきてくれ」
「なんかおかしいぜ。言うべきことがあんなら言えよ」
「……お前に言うべきことなら存在しない」
空箱を机の下のゴミ箱に投げて、振り向かないまま親父は応えた。ったく。あんたがそんなんだと動きようがねぇっつーの。
どうしたもんか。盗み見れる警察のデータは信用できねぇし、パシーヴァも動きを見せてこねぇし。早いとこ進展が欲しい。今のままが続くと、いずれクラーヴジヤが警察に見つかるかもしれねぇ。この状況が長引くだけ不利になる。
親父の背を見つめていると、テーブルの上に置いておいたスマートフォンが着信音を鳴らした。知らない番号からだった。誰だよと思いつつ、通話に応じる。
「もしもし? どちら様?」
「__久しいな。僕だ」
突然の出来事に、思わずむせちまった。聞こえてきた声がクラーヴジヤのものだったからだ。
「クラーヴジヤ? 本当なのか?」
「__ああ。僕に協力してくれる人と出逢って、その人のスマホから電話をかけているんだ」
落ち着け、俺。声も喋りも確かにアイツのそれだが、俺を罠にかけるために別の人間がクラーヴジヤを騙っている可能性がある。確かめねぇと。
「……俺の誕生日は?」
「__十一月七日」
即答してくれた。ちっとばかし嬉しかった。
「……俺の好きな食べ物は?」
「__カルボナーラ」
合ってる。次の質問だ。
「じゃあ……俺の親父は、ストレスが溜まるとなにをする?」
「__煙草を吸いまくる」
間違いねぇ。本物のクラーヴジヤだ。安心感に見舞われる。久しぶりに声を聞いて口角が上がるのを止められなかった。
「無事だったんだな。良かった」
「__あれから、マスターからなにかあったかい?」
「ああ。おかげさまでな」
ろくに動けない状態の中で無理にマスターに指示を出してくれたんだ。感謝しかねぇ。
「パシーヴァの社長とカチューシャさんの父親が同一人物だった。名前はマルカルス。ヤツにとって、カチューシャさんの存在は隠し子だった」
「__なるほど。だから彼女は監視されていた訳か」
「だな。そして、最終的に俺たちがすべきことは、マルカルスと警察の癒着を証明して、ダレントの社長を殺害した犯人を暴くことだ。そのために今どうすればいいかを考えてんだけど……」
チラリと親父の背中へ視線を向ける。その背筋は、相変わらず丸まったままだった。
「はぁ。どうしたもんかね」
「__癒着……。警察の上位階級の人間がパシーヴァの人間を庇っている場面を他の警察に見てもらえれば、それが一番手っ取り早いな」
クラーヴジヤの言う通りだ。事件に関わっていない警察に、その状況に居合わせてもらえれば、俺たちが癒着を証明するまでもない。でもよ……。
「作れると思うか? そんな状況が」
「__わからない。今言ったことを成立させるためには、なにかしらの悪行を犯しているパシーヴァの人間と、それを庇うべきではない警察上位階級の人間、それに着いていく立場の他の警察をひとつの場所に集めるべきで……」
俺は、思考を始めた。パシーヴァを釣れるだけの情報……。そして警察……。
その状況を作るためには、ヤツらの悪行を見て警察に知らせるヤツが必要だな……。まず、通報を入れるのは、俺たち脅し屋じゃダメだ。俺たちが警察と関わるのはかえって危ねぇ。脅し屋以外の誰か……パシーヴァ側の悪い行いを見る人間……もしくは、パシーヴァの悪行の被害者となる人間が必要だ。
そこまで考えてピンと来た。
「なぁ。今の考えでいくと、パシーヴァの犯す悪行の被害者もいた方がいいよな」
「__ああ」
「そしてその被害者っつーのは、パシーヴァと警察の関わりを知っていてもおかしくなくて、かつヤツらに恨みがあっていい人間だよな」
「__そうだな」
今言ったような人物。ひとりだけ心当たりがある。
「……マークスに協力してもらうってのはどうだ?」
「__マークスって……前に君が督促状を渡しにいった?」
「そうだ」
アイツは確か、理由もわからないまま会社を解雇されたとか言っていた。そんな元社員がどうしてか「警察との癒着」という会社の秘密を知って、その情報を第三者に漏洩しようとしている。こういった状況ができれば、パシーヴァからすれば放ってはおけないはずだ。
「__なるほど……。マークスがパシーヴァの秘密を知っているということをチラつかせてヤツらを誘い出し、彼へと刃を向けさせて、そのタイミングで警察と鉢合わせさせるってことか」
「もしもそこに上位階級の人間がいて、パシーヴァの連中を庇ったら、他の警察は不審に思って内部から警察組織への捜査を始める。パシーヴァの連中が捕まれば、後は情報を吐かせて芋ずる式でマルカルスを引きずり下ろせる。どっちに転がろうが進展は望める訳だ」
「__わかった。マークスとの接触は君たちに任せる。作戦が固まり次第、僕に指示を出してくれ。その時は、この番号に電話してくれればいい」
そうだな。まず俺は、マークスに会って話を持ちかけねぇと。
「ああ。やってみるぜ」
「__頼んだよ」
そこで通話が途切れた。暗くなった画面を見つめて、今更ながらに思うことがあった。さっきは聞き流しちまったが、クラーヴジヤに協力してくれてる人って誰なんだ? 少し不安になるが、アイツのことだ。上手く言いくるめて自分を信じ込ませているんだろうな。
俺は、ずっと黙っていた親父の元に歩み寄り、その肩に手を置いた。
「親父。明日、前に俺が依頼で督促状を渡したマークスってヤツに会いに行くぞ」
「……何故だ?」
「説明してやる。おらっ、気合い入れろ。マルカルスを引きずり出すためだ」
肩を強く叩く。親父は、一息ついて立ち上がり、憂鬱を振り払うように力強く言った。
「……ああ。そうだな。終わらせるためだ」
翌日。南東地区にて、マークスが暮らすアパートの階段手前で親父と共に待ちぼうけしてしばらく経つ。今日の競馬が終了しておよそ三十分だ。そろそろ帰ってくることだろう。
「親父。作戦を考えたのはいいけどよ、その完遂にはマークスの協力が大前提だ。アイツ、力を貸してくれっかな」
「金に困っているんだろう? 賄いを出すと言えば釣れそうなものだが」
「もし協力してくれるようなら、結果的にヤツに支払う金は親父の方で用意してくれよな」
マークスの協力を仰ぐには、金の話を出すのが一番のはずだ。惣菜屋やって地道に金を貯めてきたのが活きそうだぜ。
ふと、遠目で右方向を見る。大量の酒でも入っているのか、パンパンになった袋を抱えつつ歩いてくる男がいた。
男がアパートに近づく。俺は、ソイツに近寄って声をかけた。
「よお、マークス」
「ああ?」
「どうやら今日の賭けには勝ったみてぇだな。俺のこと覚えてるか?」
視線を合わせるとマークスは、目を見開いて声を荒らげる。
「お前は……あの時の説教野郎!」
「気持ちよくなってるとこ悪ぃが、あんたに話がある」
マークスは、大事そうに袋を抱きしめてじりじりと後退する。
「な、なんだよ。また借金の……」
「いいや、違うな。交渉だ」
「は?」
マークスが不思議そうな顔をする。俺は、一歩踏み出した。
「あんたに仕事を頼みたい。上手くいけば金をやるよ。聞いてみるか?」
金と聞いてその目がさらに開く。一応交渉とは言っているが、俺としては断ってもらう気なんてさらさらねぇぜ。
マークスは、顎を引いて俺を睨みつけた。
「……いくらだ?」
「そうだな……。この先五年間の生活費の分を借金返済に当てられるくらいだ」
ごくりと唾を飲み込んだのか、マークスの喉が揺れ動いたのがわかった。
「話の前に一回聞いておくぜ。あんた、本当に元パシーヴァ社員だったんだよな?」
「……ああ」
「そうか。助かるぜ」
相変わらず睨みつけてきやがる。俺は、さっそく本題を話し始めた。
「あんたにしか頼めねぇことなんだ。よく聞いてくれよ」




