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15.来訪者

 ぼや騒ぎを起こしてからしばらくの間、僕は拠点近くに身を潜めていた。理由は二つ。ひとつは、「ルカやグローザさん、マスターと接触する隙を伺う」ため。


 もうひとつは、「酒場ダスビーで騒ぎを起こした脅し屋クラーヴジヤは他の場所へ移動すると警察は考えるだろう」という理由。安直な考えではあるけれど、実際あの後ダスビー付近の警備は薄まったように思う。


 空が暗い青に染まり出す。ほんのりと薄暗かった店内の照明がパッと点灯したのが見えた。僕は、足を踏み出し今日も酒場へと入店する。


「いらっしゃいませ」


 マスターの声だ。


「いつものを頼むよ」


「かしこまりました」


 当然僕は変装していて、声色も変えている。マスターは、僕の正体には気づいていないだろう。彼は、普段話す時は見せない営業の態度で、すぐにワイングラスを用意し始めた。


 カランカランと、入口の扉に吊るされた小さな鐘が鳴った。客が来てしまったようだ。……今日もマスターとは接触できそうにないな。


 少しばかり丁寧に、いつもここに来ていたクラーヴジヤとは別人のような所作でカウンター席に座る。来客が僕の隣の席に腰かけた。怪しまれないよう気をつけなくては。


「少しいいだろうか」


 ……急に声をかけられた。ちらりと目をやると、外国人と思わしき女性がこちらを見ていた。この客、僕に聞きたいことでもあるのか。


「なんでしょうか」


「君は、いつもこの店に来ている人だ。その君に質問をさせてもらいたい」


 さっき僕がマスターに「いつものを頼む」と言っていたのが聞こえていたのか。


「質問とは?」


「脅し屋クラーヴジヤについて知っていることはあるか?」


 本当に急だった。危うく咳き込みそうになってしまったが、なんとか耐えて向き直る。


「脅し屋クラーヴジヤについてですか。さあ……詳しいことはなにも……。ええと、あなたは一体?」


 この女性、見たところ警察の人間ではなさそうだ。軽く探りを入れてみる。


「失礼した。私は、フリスクという者だ。訳あって個人的に脅し屋の調査をしている」


「個人的な調査を。はあ……」


「詳しいことは知らない。であれば、クラーヴジヤの姿を見たことはあるか?」


 脅し屋クラーヴジヤの姿を? なんだいその質問は。……詳しく知らないと言った手前、自分は脅し屋に不干渉な人間であると答えなければ。


「脅し屋の顔を見たのは、この間のテレビでの報道が初めてです。その後でこの店にクラーヴジヤが通っていたという話は聞きましたが、実際に姿を見たことはありません。実は私、最近になってこの店に通い出した者でして。そうでしょう、マスター」


 マスターに話を振って話の確実性を得る。


「ええ、そうですね」


「……では、脅し屋について詳しいことは本当になにも知らないのだな」


「はい。そもそも脅し屋が本当に存在するものだとわかったのも、最初の警察の声明発表を見てからなもので」


 フリスクと名乗った女性は、僕を見据えた。僕は頷いて、カウンターテーブル内側の棚へと目を逸らす。


「外国人の私が言うのもなんだが、この地における脅し屋という存在は、代々不殺の執行者としてその名が各地に轟くものだ。その脅し屋が殺人を働いた。この事件には裏があるに違いない。私は、強く興味を惹かれたんだ」


「……それで調査を?」


「ああ」


 勘ぐってくれるじゃないか。確かに裏はあるけれども。それだけで他国の街の事件に首を突っ込むとは、随分な物好きなんだな。


「脅し屋本人に直接会って話を聞くことができればいいのだが。君。彼らは一体どこにいると思う?」


 ……なんというか、すごく行動力のある人というか、勇気のある人だな。


「彼らの居場所? 検討もつかないが……とりあえず遠くへ逃げたんじゃないですか?」


 ちょっとばかりの印象操作も兼ねて答える。するとフリスクは、静かに立ち上がって言った。


「答えてくれて感謝する。すまない、時間を割かせてしまったな」


 そして、そのまま店を去ろうとする。


「呑んでいかないのですか?」


 応えもせずに、フリスクは店を出ていった。


 一体なんだったんだ。ともかく、これで店にいるのは僕とマスターだけだ。やっとコンタクトを取れる。そう思った矢先、入れ替わりで他の客が来店した。


 いらっしゃいませとマスターが言う。……これから客が増える時間だ。心の中でため息を吐いて、僕は目の前の酒に口をつけた。






 酒を嗜んだ後は、ホームレスの姿に逆戻りだ。寝床にするため用意した新聞紙が貯めてある、拠点近くの路地裏へと足を運んだ。地面に紙を広げてその上に横たわる。


 こんな時期に紙に身を包んで野宿。当然、疲れなんてろくに取れやしない。思考が鈍くなってしまっていることは、十分にわかっていた。寒さに襲われて、今自分がすべきことさえ忘れてしまいそうだ。眠りにつく前に整理しなくては。


 まず僕は、ルカたちとの繋がりを持たないといけない。マスターは、僕からの指示を理解してルカたちに情報を送ってくれただろうか。これも賭けだけれど……。もしも上手くやってくれたのなら、ルカたちは今頃真犯人の正体を掴んでいるかもしれない。パシーヴァの人間とカチューシャの家族に同一人物がいるかどうか。せめてそれだけでも知りたかった。


 ……でも、何度か試みているが、やはり今の僕ではルカたちと接触するのは無理がある。どうしたものか。


「お前」


 考えていると、また急に呼びかける声が。吹きすさぶ風の音に紛れて、その人が近づいてくる足音さえ聞き取れなかった。瞼を開くと、そこに立っていたのは……さっき酒場で話しかけてきた女性、フリスクだった。店にいた時とは違い、パトロールキャップのような帽子を被っていた。


「……これは、みっともない姿を見せてしまいましたね」


「御託はいい」


 横たわった姿勢から起き上がって、フリスクの顔を見上げる。……なにか言われそうな雰囲気だ。僕は、今からどんなことが起きてもいいように壁から背を離した。


「変装しているのに、こんな場所で野宿しているとはな。脅し屋クラーヴジヤ」


 ……僅かに衝撃を受けた。しかし、それは本当に僅かだった。冷静になれない程ではない。


「なにを言っているのですか。私が脅し屋? そんな馬鹿な」


 この人、言い方から察するに僕のことをクラーヴジヤ本人だと確信している。僕の正体に勘づけるだけのことがあったのか。


「クラーヴジヤ。酒場にいた時、私はお前に『彼らは一体どこにいると思う』と聞いた」


「ええ、私はクラーヴジヤではありませんが。確かにそう尋ねられました」


「そしてその後お前は、なにも疑わずに応えて会話を続けた」


 あの会話の中に、僕の正体に気づける情報があったというのか?


「……それがなんだというのです」


 フリスクは、その場でしゃがんで僕の顔を覗き込んだ。


「警察の発表では、脅し屋の人数について言及されたことはない」


 そう言われてハッとした。さっきの会話で、僕は……。




 __彼らの居場所? 検討もつかないが……とりあえず遠くへ逃げたんじゃないですか?




 確かに、「彼ら」という言葉が表す脅し屋の人数についてなんら疑わず応えていた。


「しかし……。詳しく知らない人間であれば、他人から入った情報に疑いようなどなく会話を続けてしまうものでは?」


「お前は、事件に対する最初の警察の声明発表は聞いたと言っていた。あの報道の中で、報道陣の記者は捜査主任官に対し『彼の正体は掴めるのか』と発言したんだ。それを聞いたのであれば、脅し屋は一人であると認識してしまいそうだが」


「その報道からは日にちが経っています。脅し屋が何人いるかの認識なんて、どこかに飛んでしまっていました」


 一体なんなんだこの人は。詰め方からして、なにか権力に絡んだ人間ではないようだけれど。


「大概おかしい。言っていることが事実なら、何故あなたは脅し屋のことを彼らと言ったのですか」


「無論、彼と会うためだ」


 そう言うとフリスクは、しゃがんだ姿勢から立ち上がり、僕のそばへ歩み寄った。


「お前の正体が脅し屋かどうかは、首元に触れればわかることだ。マフラーを取ってもらおう」


「……何故です?」


「マスクを被っているかどうか確認するためだ」


 そのままこっちへ手を伸ばそうとしてくる。


「こんなに寒いのに、家なき私にマフラーを外させようとするのですか」


「家がないのに酒は嗜むんだな。あの店の店主も、脅し屋に関わっている人間なのだろう」


 この人……本当に僕の正体を脅し屋だと信じて疑っていない。確かに首元に……変装用マスクと肌の境目に触れれば僕が脅し屋だとわかるが……。


「安心しろ。お前が脅し屋だとわかっても、悪いようにはしない」


 フリスクの右手が僕の首へと近づいた。


 今の僕は、誰にも正体を知られる訳にはいかない。静かに深呼吸をした。……こうなったら最終手段だ。


 僕は、左手でこちらへと伸ばされた手を引っ張り、右手でフリスクのジャケットの胸元を強く掴んだ。そして、体を丸めつつ全体重を乗せて後方へ重心を傾ける。自分に覆い被さるように体勢を崩した相手の腹部を右足で蹴り上げ、同時に背を地面に落とし、その勢いに任せてフリスクを後ろへ蹴っ飛ばした。


 がしゃんと音がした。すぐに立ち上がって振り向き身構える。倒れたゴミ箱のそばでフリスクが起き上がろうとしていた。


「君は、この国の人間じゃない。僕たちの話に首を突っ込むのはやめておいた方がいいと思う」


 よろけながら立ち上がって、フリスクは帽子を被り直す。


「……元はと言えば、私は賞金首のために来訪した。今まで話したことを撤回して、お前を警察に突き出してやってもいいのだが」


「あいにくだけれど、君の金稼ぎに振り回されるいとまはない」


 僕としては、ここでフリスクを放ってはおけない。相手も僕を逃したくはないだろう。僕たちは今、互いに引くことを許されない。……仕方ない。一般人を巻き込みたくはないが、相手を気絶させよう。今いる場所が誰も来ない夜の路地裏で助かった。


 姿勢を低くし走り出して接近し、相手の顔をめがけて横から右足で蹴りを入れる。フリスクは、二歩分だけ後退し容易く攻撃を避け、はずみで体を回転させこちらへ向き直る。同時に軽く跳ねて左足で僕の側頭部を蹴ってきた。この動きでわかった。この女性、舐めてかかってはいけない相手だと。


 僕は、仰け反って倒れそうになってしまった。今の蹴り……右腕を置いて防ごうと思ったが、寒さと連日の疲労で体が思うように動かせない。今更気づいても仕方がなかった。蹴られた箇所がじんじんと痛んでくる。これも寒さのせいだろう。


 今度は、フリスクが接近してきた。両手を前に構え拳を握り、腰を落として殴りかかってくる。二発目、三発目、四発目と飛んでくる猛攻を捌くのは決して容易ではなかった。


 反撃する隙はない。ならば懐に潜り込むべきだ。そう判断した。五発目の拳を捌いた直後、僕はさらに姿勢を低くして突進し、相手の腹に膝蹴りを喰らわせた。


 一瞬だけ呻いて離れ、フリスクの足が崩れる。だが、その体勢は、次の動きに繋がる流れであることを察知した。手が地面へと伸ばされていたからだ。


 フリスクは、さっき倒されたゴミ箱の蓋の端を掴み、それを僕へ向けてブーメランのように鋭く投げ放った。


 飛んできた蓋を手で防御する。それを解いて視野を広げると、既に僕の顔面に拳が迫っていた。避けられない。痛みを覚悟した。


 ……からからと、弾かれて落下したゴミ箱の蓋の音が聞こえた。ゆっくりと目を開いていく。眼前の拳は、動きを止めていたんだ。


「……どういうつもりだい?」


 言葉の後、沈黙が少し続くと、ゆるりとその手は下げられた。


「言ったはずだ。悪いようにはしないと」


 確かにさっきも言われた。その言葉を素直に解釈してしまっていいのだろうか。


「……意味がわからない。どういう風の吹き回しで君は」


「私は探偵だ」


 フリスクは、つばをもって帽子を脱いだ。


「始めは金のために来たというのは本当だ。だが、脅し屋という存在を調べていく内に事件に興味が湧いた。私としては、浮気や脱走したペットよりも、代々語られる不殺の執行者について調査したくてな」


 そんな理由で……。酒場でも思ったことだけれど、もし本当ならこの人、行動力がすごいどころの話じゃないな。


「僕が君を信頼できる理由は?」


「警察や、賞金首目当てでお前を追う組織が外国の探偵に助力を申し出るとは思えない」


 ……言われてみればそうだな。しかし……。


 フリスクは、僕のいる方へと一歩踏み出して言った。


「教えてくれクラーヴジヤ。事の経緯と、今お前がすべきことを」


 本当にこの人を信頼していいのか。思い悩んだが、今の僕だけではなにもできないというのが事実だ。


 ……そうだ。事件の裏側を知られたとして、それは一般人の力が及ぶ話じゃない。警察に僕の居場所を告げ口されるようであれば逃げればいい。……ルカたちとコンタクトを取るためにフリスクのスマホを利用しよう。ルカたちの名前は出さずに、言葉を交わすのは僕だけで。

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