14.心配
日が暮れた。惣菜屋のエプロン姿のままため息をついてソファに体を投げる。
押しかけてくる新聞記者たちは日に日に数が減って、昨日ついに現れなくなった。ようやく自由に動けるように……と思った途端、今度は警察の手による調査が入った。まあ、当然といえば当然だけどよ。昼間は、警察官の押し入り調査で店の経営にすら当たれなかったぜ。
俺たちの拠点から去る時の警察共のしかめっ面をよく覚えている。かつてクラーヴジヤが生活していたここで脅し屋へ繋がる一切の手がかりが得られなかったのが癪だったんだろうな。ともかく、これで俺と親父は動けるようになった。
「どうだ親父。集まったか?」
パソコンをいじくる親父に声をかける。
「ああ。あの日の建物内にいたパシーヴァの人間をリストに纏めた。来い」
そう言われて、仰向けになった体を起こして歩み寄った。親父の言った通りパソコンの画面に映るリストには、あの日ダレント社長の近くにいただろう人間の名前がひとりひとり記載されている。
「気になるヤツは?」
「パシーヴァの各取締役。取締役会長と……」
前にクラーヴジヤが言っていたものに近い考えをすると、パシーヴァの中でもダレント社長殺害の真犯人である可能性が高いのは、上層部の人間だろう。会社を纏めあげた上で警察と便宜を図れるのは、多分ソイツらだけだ。
「それと、パシーヴァの社長だ」
名前の横にソイツの顔写真が映し出される。パシーヴァの社長……。この老けた顔の男は確か、あのパーティの時に広間の中心でマイクを握っていたヤツだ。
「この面子を中心に探りを入れ__」
言葉の最中でインターホンが鳴った。親父は、間髪入れずにリストを閉じる。こんな時間に来客か。
「ルカ。行ってこい」
一体誰なんだ。まさかクラーヴジヤじゃねぇだろうし。また警察か? そう警戒しながら玄関へ足を運ぶ。ゆっくりと扉を開いた。
「こんばんは。お茶は要りませんよ」
客の顔を見て安堵の息をつく。
「なんだ、あんたかよ」
酒場ダスビーのマスターだった。若干の安心感を感じちまったぜ。扉を大きく開けて全体像を視界に入れると、マスターの手にひとつのファイルが握られているのがわかった。
「それは?」
「後で説明します。まずは、テレビで今晩のニュースでも見るとしましょう」
なにを言っているんだと思って顔を見ると、マスターはいつになく鋭い眼差しを放っていた。らしくない表情を前にして、俺は唾を飲み込んだ。
マスターの言う通りにテレビのニュース番組をつける。ニュースキャスターが先の報道を切り上げると、次の報道内容を読み上げた。
「__それでは、次のニュースです。世間を騒がせているあの事件に進展がありました」
その言葉と共に、よく見覚えのある建物が画面に。
「あ? この建物って……」
「うちも有名になってしまいますね」
隣に座るマスターが言う。テレビに映された建物とは、酒場ダスビーだった。
「どうしたんだよ。店でなんかあったのか?」
横を見ると、マスターが顎をしゃくって「いいから見ていろ」と指図する。次のキャスターが放った声で、俺は度肝を抜かれた。
「__脅し屋からの犯行声明です。昨晩ルーンベルク中心地域に位置する酒場で、脅し屋クラーヴジヤが置き去ったと思われる文書が発見されました」
「は?」
……今、キャスターは「犯行声明」って言ったよな? 脅し屋からの?
「__記されていたのは、『これから私は警察組織と戦う。腐りきった正義をあるべき姿に戻す。脅し屋より』という文章でした。警察は、この文章を警察への敵対宣言であると判断し、街の警備強化、施設等に対するテロ対策などを講じていくと発表__」
「はぁ!? マスター、この報道は……」
「本当のことですよ」
変わらぬ表情で告げられる。本当に……クラーヴジヤがやったことなのか。
「昨晩うちの店の目の前でぼや騒ぎが起きました。その直後、窓の外に人影が通り過ぎたのです。恐らく彼は騒ぎを起こし、その騒ぎにつられて警察らが離れた僅かな隙に文書を置いていったのでしょう」
「……ふむ」
対面のソファに座る親父が小さく呟く。
「マジかよ……。クラーヴジヤのヤツ、なにを考えて」
「ただ」
マスターに言葉を遮られる。
「これは私しか知らないことですが、彼の残した文書は二つありました」
「二つ……?」
犯行声明の他にクラーヴジヤが残した言葉がもうひとつあるってことか?
「もうひとつの文書。その紙は、窓枠の非常に見えにくい位置に挟まれていました。私だけに気づいて欲しかったのでしょうね」
「……アイツがマスターだけに伝えたかった言葉があるのか?」
「そのようです。恐らく犯行声明の方は囮。警察がそちらに気を取られている間に……ということだと思われます」
……そうか。なぜだか安心したぜ。囮で気を引くってのは、まさにクラーヴジヤのやりそうなことだ。犯行声明は、注目を集めるためのものに過ぎなかったんだろうな。
「じゃあ……そっちにはなんて書いてあったんだよ?」
「一見白紙のようでしたが、火で炙ると文字が現れました。ミカンの果汁などで書いたのでしょうか」
マスターは、懐から紙を取り出してテーブルに広げ、うっすらとした文章を指さしてなぞり始める。
「『パーミャチ孤児院で暮らしていたカチューシャという女性の家族の情報を脅し屋に』」
「カチューシャさんの……家族?」
あの人の家族、その情報の収集。それがクラーヴジヤからのマスターへの指示だったのか。
家族……カチューシャさんの……。あの人、今の言葉にあったように孤児院で生活してたんだよな。当時まだ幼かっただろう彼女を育児放棄したヤツ……。
彼女の親が敵の正体だったら、なんでソイツはカチューシャさんを監視する必要があったんだ? ちっとばかし考えたが、わからなかった。多分だけど、指示を出したクラーヴジヤ自身もわかってねぇんだろうな。わかってたらもっと書くことあるはずだし。
「考えているところ申し訳ないのですが、ひとつ伺ってもよろしいですか?」
「なんだよ?」
「……そのカチューシャという女性は、例の事件に関わっているのですか?」
ふと顔を見る。マスターの眼光は、依然として鋭いものだった。
「彼女自身は、事件に関わってる訳じゃねぇ」
「では、何故周辺の調査を?」
「彼女がクラーヴジヤに渡した花瓶に盗聴器が入ってたんだ。でも、最初アイツがカチューシャさんと再会したのは偶然だったし、彼女、盗聴器の件の後も普通に惣菜屋に来てくれたからな。周囲の第三者が彼女を利用しただけだと踏んだんだよ」
マスターは、腕を組んで一息ついた。
「なるほど。それでカチューシャの周囲の人間と、あなたたちを陥れた人間の中に同一人物がいれば、その者が犯人であるとわかる訳ですか」
「そういうことだ」
「……わかりました。では、情報をお見せします」
そう言ってマスターがファイルから紙と写真を取り出して並べる。もう情報集め終わってたんだな。
「まず、こちらがカチューシャの母親です。とは言っても、写真は何年も昔のものですが」
顔写真を覗き込んだ。写る女性の顔のパーツは、確かにカチューシャさんに似ていると、そう思えた。写真を対面に差し出す。
「親父、見たことあるか?」
親父は、写真を手に取って覗いた。
「いや、ないな」
「でしょうね。彼女は、もう随分前に失踪してしまっていますから。では次です」
もうひとつの写真と紙が取り出される。
「こちらはカチューシャの父親。あなたたちは、この顔に見覚えがあるのではないですか?」
「見覚え?」
差し出された写真に写る男性の顔を見て、俺は驚愕した。
「コイツは……!」
その男は……あの日、俺とクラーヴジヤが潜入したパーティ会場の大広間でマイクを握っていた、老けた顔の男。パシーヴァの社長だった。
「コイツが……カチューシャさんの父親?」
「見せてくれ」
言われて、親父にも顔を見てもらう。親父は写真を受け取ると、同じく目を見開いて驚いた。
マスターが情報を纏めた文書をこっちに流してくれる。
「その男の名は、マルカルス。カチューシャと、彼女の母親を捨てた男です」
どういう訳か、今のマスターの物言いには憤りが含まれていると感じた。
親父は、奪うような手つきで文書を取り、調査報告に目を通した。少しして、その口が小さく開かれる。
「隠し子……か」
「ええ」
確か、パシーヴァの社長マルカルスには結婚歴はない。子供もいないと聞いていた。この情報が本当なら、カチューシャさんの存在は、マルカルスにとって隠し子だ。
「……社長という立場にいながら秘密裏に子供を作ったのがバレたら、周りからの信頼は間違いなく落ちぶれる。だからカチューシャさんを捨てておきながら、彼女の動向を把握するため監視してたって訳か」
あの日マルカルスは、変装していた俺たちの姿を防犯カメラの映像などで認識した。その後、カチューシャさんを監視している中で彼女の目の前に俺たちが現れて、それで勘づくに至ったのか。そうやってクラーヴジヤの顔と名前を知り、警察と手を組んで脅し屋を誘い出して正体を確認したんだ。
ここまで考えが至って、ひとつの疑問が浮かぶ。
「……なあ、マスター。聞きてぇんだけどよ」
「なんでしょう」
「どうやってカチューシャさんの両親の情報を得たんだ?」
カチューシャさんの親が姿を消したのは、十年以上前だろう。そんな昔のことを調べるのは、いくらマスターといえど難しかったはずだ。
「気になります? 私がそれを話したとて事は進みませんが」
「ただ気になったんじゃねぇ。情報が信頼に値するか確かめんだ」
マスターは、鼻をすすり、ソファに背を預けて足を組んだ。
「隔絶されていた記憶の蓋を開けたのですよ。久方ぶりに」
「は? 記憶って、あんたの?」
「説明が要りますか?」
あまりにも意味不明が過ぎたんで頷くと、ため息が吐かれた。マスターは、体勢を変えずに伏し目になる。それは随分と気怠げで憂鬱そうだと思えた。
「……二十年程前。私がまだ南地区の喫茶店で働いていた頃の話です」
どうしたんだマスター? 説明を求めたのに、突然昔話始めやがった。
「当時接客を任されていた私は、よく店に訪れていたひとりの女性に恋焦がれました。ですが、想いを伝えられずに時は流れ、やがて彼女の腹には私の知らぬ人との子供ができたのです」
マスターの声色は、段々と暗くなっていく。俺は、黙って話を聞いた。
「店で会わなくなってから早一年。彼女が久方ぶりに店に来た時、その顔は酷くやつれ、体もやせ細っていて。話を聞くと、相手に捨てられたようで」
そこまで聞かされ、その先を察してしまった。
「捨てられたって……まさか?」
呟くと、マスターは一瞬だけこっちを見て、またすぐに目を逸らす。
「精神がすり減った状態の彼女ひとりで子育てを遂行するのは無理があった。彼女と再会した後、私は遠くから二人を見守っていましたが……あの環境は、お世辞にもまともとは言えない。数年後には、子供への虐待が始まった」
マスターの言う恋焦がれた女性って、もしや……。
「それからは、まあ色々とありまして。彼女が失踪した後、私は彼女の一人娘__カチューシャを孤児院に連れていきました。これで彼女らと私の縁は終わり。キッパリと忘れよう。そう思っていたのですが」
マスターは、もう一度ため息をつく。そして、今度は嘲笑するような目つきでこっちを向いた。
「これも運命でしょうか。あなたたちとカチューシャの偶然の出逢いをもってして、再び私の中の怨嗟の歯車が回り出した」
マスター……言葉の節々に潜んだ感情でわかる。あんたは、カチューシャさんたちを捨てたマルカルスを憎んでいたんだな。
「さて……。もう何年も昔のことですが、私は最後にカチューシャの母親と会った時に聞いたのです。自分を捨てたその男は、軍事兵器製造会社パシーヴァの社長マルカルスだと。……これが情報の確実性を裏付ける証拠です」
そう言ってマスターは、相変わらず気怠げそうに立ち上がる。
「さ、確かに渡しましたよ。ここからは、あなたたち脅し屋の仕事です」




