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13/28

13.日陰にて

 拠点を出てから五日目。あれから移動し続け、ようやくルーンベルクの南地域へと入った。当然車なんて使えず、移動法は徒歩だった。出発する時にある程度の金を所持したおかげで食事にはまだ困っていないが、寝る場所は新聞紙を敷いた公園の木陰とかだし、そのせいでろくに体の疲れが取れていない。自分は、場所がどこだろうが横になれば眠れる類の人間だと自覚していたが、やはり環境は大切だ。寝ても疲れが取れないんじゃ、時間を消費して横になっている意味がない。


 ここ数日で一気に気温が低くなり、本格的に寒くなってきたことも身体的負担に拍車をかける。人影もなく、稀にすれ違う人の服装に目をやると、その人たちは皆コートやダウンジャケットを着用していた。自分も丈の長いコートを羽織って帽子を被り、マフラーを巻いて歩いている。もちろん寒さを凌ぐためだが、帽子を深く被ってマフラーを大きく巻いたのは、変装用マスクを装着していることがバレないようにするためでもあった。そう思えば、寒さの訪れは今の僕には都合が良かった。体力的にはつらいけれど。


 マスクは、拠点を出てからずっと装着している。垢とかすごいだろうな。でも、早く外してシャワーを浴びたい……とか、そんなことは言っていられない。


「__本日の報道です。軍事兵器製造会社パシーヴァが、試験用飛行操縦士三十名を迎え入れることを発表しました。同会社は、軍に提供する攻撃機の開発に尽力しており__」


 家電販売店の目の前を通り過ぎようとした。その店頭に設置されたテレビからの報道だ。パシーヴァという言葉が聞こえ、一瞬の休憩がてら足を止めて見てしまった。


 ダレントの社長を殺害した犯人は、パシーヴァの人間だろうか。それを確かめるためにも、あの場所へ行かなくては。僕は、再び前を向いて歩み出した。


 もうすぐで辿り着く。雨の降る日、幼かった僕が連れていかれたあの場所へ。






 敷地への入口の門を前にして立ち止まる。門越しに奥の建物を見つめた。黒い屋根と、ヒビの入った赤褐色の外壁。その佇まいに時の流れを感じてしまう。久しぶりに訪れても、抱く感想は同じだった。


 おもむろに手をかけ、門を開く。甲高く軋む音がした。そのまま敷地内に足を踏み入れて進み、途中の階段を一段飛ばしで昇る。扉の前に立って、子供の時は背丈の関係で届かなかった呼び鈴に手を伸ばし押そうとした。


「パーミャチ孤児院になんのご用でしょうか?」


 突然、後ろから肩を掴まれた。恐らく警察の人間だ。この孤児院は、僕が元々暮らしていた場所。マークされていてもなんら不思議ではない。警察がここに張り込んでいることは、想像に難くなかった。


「びっくりした……。俺、院長に会いに来たんですよ」


 声色と一人称を変えて別人を演じ、驚く素振りを見せながら振り向く。


 恐らく警察の人間であるこの男は、変装している僕の顔……報道にあったクラーヴジヤとは違う顔を見ても、警戒の眼差しを解かなかった。マスクを被って顔を変えるという脅し屋のやり方を認知しているのだろう。


「あなたは一体?」


 今僕がこの男を警察だと言ったり、警察ではないかと疑うと不自然だ。なにも知らないフリをして軽く探りを入れる。


「私は……理由はお伝えできませんが、この孤児院を見張っている者です。失礼ですが、お名前を伺っても?」


「ワイパーという者です」


 もちろん偽名だ。偽名だけれど、この男からすればワイパーという男性は確かに存在している人間に見えるだろう。男は、手帳を開いてなにかを確認し始めた。男が確認しているのは恐らく、この孤児院で暮らしたことのある人間の名前のリスト。


「お答えありがとうございます」


 僕が名乗ったのは、昔この孤児院で暮らしていた男の子の名前だった。院長に会いにいく手前、警察に聞かれても応えられるように、ここで生活したことのある男の子の中で僕と歳が近い彼の名前を勝手に拝借させてもらった。ワイパー本人のことは一切知らないが、彼には申し訳ない。


「ではワイパーさん。何故、孤児院の院長に会いに来られたのですか?」


 男が尋問を再開する。


「それは……」


 口を噤むと、男は一層眼差しを鋭くさせた。僕は、視線を逸らして下げ、左手の指で髪の毛先をくすぐった。数秒置いてから少しだけ口角を上げて、それからやっと言葉を発する。


「……小さい頃、院長にたくさん世話になって。今更だけど、お礼を言いたくなったんです。なにかあったって訳じゃないけど、今の俺があるのってあの人のおかげだから。ははっ、ちょっと照れくさいですけどね」


 院長にお礼を言いたいということは本当に思っている。そのおかげで自然な演技をしやすかった。わざと口を噤んだのは、照れくさいと感じているように見せるため。ちらりと視線を戻す。男は、まだ警戒しているようだ。


「とにかく俺は、院長に会いたいんです。もういいですか」


 男がなにか発言しようとする。その時、孤児院の扉が静かに開かれた。そして現れた彼が心配してくる。


「声が聞こえてきましたので……。なにか揉め事ですか?」


 孤児院の院長だった。……本当に久しぶりに会う。顔を見たのは九年ぶりだ。


「院長! お久しぶりです。俺です。昔、お世話になった」


 院長は、困惑した顔で見つめてきた。それもそうだ、今僕がマスクを被って騙っている顔は、この世に存在しない人間の顔なのだから。


「……やれやれ、歳かな。どうやら私は、自分で育てた子の顔すらも」


「__院長」


 言葉を遮って言う。今は、僕のことがわからなくても……院長もよく知っているだろう歌を、今なお澄んだ歌声で僕の記憶に焼きつくあの歌の一節を聞かせれば、わかってくれるだろうか。これは賭けだ。賭けに出るという行為を僕は好まないけれど、初めからこうなることは覚悟していた。……少し深く息を吸って。


「俺は、()()()()()()()()()()()()んです。()()()()()()()()()()()


 それだけ聞いてなにか引っかかり記憶を探り始めたのだろう。院長は、顔をしかめた。もっと言ってしまおう。


「そして、()()()()()()()()()()()。それはまるで、()()()()()()()()()()()


 横で聞いていた警察の男は、なにがなんだかわからないといった表情だ。僕が言い終わると院長は、目を丸くして見つめ返した。昔ここにいた女の子が歌っていた歌を思い出したようだ。……受け入れてくれるかな。


「君は……」


「……院長。積もる話があります。ここでは体が冷えてしまうので、中に入りましょう。それに、久しぶりに中を見たいですから」






 応接室に入った。院長は、僕の正体に勘づき、警察の前で上手いこと話を合わせてくれた。情につけ込んだみたいで罪悪感を感じるが……とりあえず受け入れてくれて本当に助かった。でも、まだ油断はできない。さっきの男は、僕と院長の二人きりでの会話を許してくれたが……恐らく、見られてはいなくともこの部屋での会話は警察に筒抜けだろう。そうなってもいいように、建物に踏み入った直後に自然な会話の流れで応接室に入ろうと言ったんだ。この部屋を選んだのには理由がある。


「本当にお久しぶりです。お元気そうで良かった」


「……ああ。ワイパー、訪ねてきてくれて嬉しいよ」


 視線だけを動かして、天井に監視カメラがないことを確認した。記憶通りだ。これも賭けだったけれど……大丈夫だ。いける。僕は、院長が座る対面のソファに腰かけた。


「さっきの男の人にも言ったことだけど、院長にお礼が言いたくなったんです。俺、今は自動車工場で働いてて。もう結婚もしたんです。嫁さんの写真、見てください」


 当然嘘だ。院長は、僕の考えを汲み取ろうとしているのか、眉をひそめている。充電の少なくなったスマートフォンをコートの裏ポケットから取り出し、写真を見てと言いつつメモのアプリを開く。予め記しておいた文章を確認して、スマホを差し出しその画面を院長に見せた。


「この人です。綺麗な人でしょ?」


 メモには、「口での会話で話を合わせつつ、このメモを使って僕の質問に答えて欲しい」と書いてある。この方法なら、話を他の人間に聞かれても大丈夫だ。


「……綺麗な奥さんだね」


 さっそく合わせてくれた。意思を理解してくれたようだ。目を合わせると、院長は頷いた。僕も頷き返して、次の文章を表示させる。


「今のは結婚した時の写真だけど、実はもうすぐで子供も産まれるんです。これ見てくださいよ。この中から名前選ぼうとしてるんだけど、全然決まらなくて」


 また文章を院長に見せる。「カチューシャの人間関係について知っていることを全て教えてくれ」と書いた文章を。それを読み終えられるだけの間を空けて、スマホを院長に渡した。


 あの日、僕とルカに襲いかかってきた謎の男は、僕の名前を知っていた。敵が名前を知っていた理由。カチューシャを利用したからに違いない。


 昔ルカが言っていたように、彼女の周りにいる第三者が怪しい。けれど、それに対しては疑問点がある。まず、僕たちとカチューシャが出逢ったのは本当に偶然だったということと、僕の方から脅し屋の情報は漏れ出ていないこと、そもそもこの盗聴器の件は脅し屋の殺人事件が報道される前だったということだ。僕たちを襲った男たちが盗聴器を仕掛けた犯人なら、彼らは僕とカチューシャが出逢う前からずっと彼女を監視していたことになるし、彼女相手にそんなことをし続ける意味がわからない。


 でも……もしも敵が、昔から彼女のことを気にかける必要があった人物なら? あくまで仮説だけれど、敵がカチューシャとずっと昔からの関わりがあって……なにか、例えば彼女から辿れる自分たちの情報に不都合な事実があったなら。僕には想像つかないけれど、それは敵にとってカチューシャを監視し続けなければならない理由になる。


 そして監視していた最中、カチューシャと僕たちが出逢って、少しだけ行動を共にした。しかし、僕たちの方から脅し屋の情報は漏れ出ていない。つまり、敵は僕たちを脅し屋だと判断できないはず。だが仮に、直接的な情報がなくても、僕たちの外見的要因……背丈や声などから僕たちが脅し屋だと推測できたら?


 もしもこの仮説通りだったら、敵はどこかで僕たちを見たことになる。変装して脅し屋として動いていた僕たちの姿と、カチューシャと会った時の僕たちの姿を比較して脅し屋の正体に勘づくことができたのなら話の筋が通る。その脅し屋としての僕たちを見た敵というのが、あの日のダレント社長の近くにいた人物なら……例の報道がされるよりも前に脅し屋の殺人事件の情報を知っていただろうし、彼らが盗聴器を仕掛けることができたのも辻褄が合う。


 つまり僕の名前を知っていた敵は、ダレントの社長の近くにいられて、かつカチューシャと深い関わりがある人物だ。そのカチューシャとの深い関わりというのは……同業で仲が良いとか、そんな軽いものじゃない。きっと敵は、ずっと昔から、死角から彼女を見ていたんだ。


 しかし、僕たちが調査できた期間はほんの数日しかなく、現在カチューシャの周囲にいる人間……例えば彼女と同じ花屋で働いている人間や、今彼女と親しい人間など本当に近しい者しか調べられていない。今の彼女が持つ関係だけではなく、今に至るまでに発生した全ての人間関係を探る必要がある。ここで全て知る……というのは不可能だろうけれど、せめて孤児院にいた時の彼女の人間関係を知りたい。院長ならそれを知っているだろうと思い、教えてもらうためにここに訪れた訳だった。


「……どれもいい名前だ」


 やがて院長は、知っていることを書き終えたのか、スマホを差し出して返してくれた。


「ははっ。そうでしょ」


 迅速に確認する。「私の知る限り、ここにいる間カチューシャには、君以外の友人はいなかった。外部の人間と関わっていた記憶もない。あるとすれば、あの子を含む子供たちに勉強を教えてくれていた教師や、彼女が働き始める時に接した花屋の人くらいだ」。


 カチューシャに友達がいなかったことは知っている。言っていた通りだ。


 外部の人間との関わり……。僕の記憶では、科目毎に別の教師が勉強を教えていた。その教師たちは、院長が直々に選定して孤児院に呼んでいたはず。もし教師の内誰かがカチューシャを監視していた犯人なら、院長が偶然その犯人を呼んでいたことになる。そんなのは、あまりにも本当に偶然が過ぎる。それに、教師の立場にいてカチューシャが邪魔になるだろうか。教師が犯人である線は薄い。


 カチューシャが接した花屋の人間。これもそうだ。確か彼女は、働く場所は自分の意志で選んだと伝えてくれた。ならば、彼女は偶然犯人の元へ行き着いたことになる。それは、犯人にとって都合が良すぎるように思う。そんなことが起こりうるのか。


 思考をさらに深く潜らせる。カチューシャと敵の繋がりは、彼女がここにいる時に生まれたものではない。そう判断できた。ならば、カチューシャが孤児院に来る前にできた関係……ということに……。


 そこまで考えて思い出した。かつて彼女が言っていたことを。




 __お母さん、いなくなっちゃったんだ。その後にここに来たって訳。お父さんは、元からいなかったし。




 形はどうであれ、誰しもが生まれながらに持っている血の繋がり。家族だ。


 彼女を虐待していた母親と、会った記憶のない父親。他にも親族はいるだろうけれど……彼らの内の誰かが敵の正体だったらどうだろう。


 カチューシャの家族で、彼女から辿られる情報が自分の不都合になる人。一体どんな立場だ。少し思考したが、想像できなかった。


 いつの間にか下がっていた視線を正面に戻すと、院長が僕の顔を覗き込んでいた。……カチューシャの家族のことを院長は知っているだろうか。


「子供が産まれたら、一層仕事頑張らなきゃな。そうそう、これが俺の働いてる工場です」


 スマホを握り直し、素早く「カチューシャの家族を知っているか」と文字を打って再びスマホを差し出す。それを受け取り、院長は少し間を置いてから文章を入力してみせた。


「……立派なところじゃないか。しっかりと働いて家庭を養うんだよ」


 彼がスマホを渡し返してくれる。それを手に取って、記された文章を読み始める。「すまない」、文の最初の言葉だった。「あの子の家族について知っているのは、母親が行方知れずになったということだけだ。それ以外のことは一切わからない」。


 院長は、申し訳なさそうな表情をしている。……当時を想像するに、院長がカチューシャと出逢ったのは、彼女が孤独になってしまった後のことだろう。知らないのも無理はない。


「……ありがとう院長。俺、これからもっと頑張るよ」


 僕は、カチューシャの家族について調べて、その情報をルカたちに知らせる必要がある。ルカたちが調査しているだろうパシーヴァの人間の中にもしもカチューシャの家族がいれば、その人物が犯人だと確信できるからだ。だが……今の自分ではそれを成し遂げるのは難しい。誰かの力を借りなければ。陰ながら力を貸してくれる人……。


「……なあ院長。()()()って今売ってるかな?」


「ミカン? もう店にはあると思うよ」


「そっか。ちょっと食べたくなっちゃってさ」


 スマホで文章を打ち込んで、それを院長に見せた。一言「車を貸してくれ」と書いて。文を読んだ後、院長は目を合わせてしっかりと頷いてくれた。


「……院長も色々あるだろうに、連絡も寄越さずに急に会いに来ちゃってごめん。話に付き合ってくれて本当にありがとう。俺、そろそろ行くよ」


 本当に。こんな形で会いに来てしまって申し訳ない。ソファから立ち上がると、何故か院長は僕に向けて小さく手招いた。伝えるべきことがあるのかと思い、スマホを手渡す。


「ワイパー、久々に会えて良かったよ。またいつか来て欲しい」


 彼は、すぐに文字を打ち込んでスマホを僕に返した。その画面を見る。「事情があるんだろう。大丈夫、君を信じているよ。私にとっては、君も大切な子だからね。クラーヴジヤ」と書かれていた。


 ……院長は、僕を信じてくれている。決して暗くない感情が胸に込み上げてくるのがわかった。胸の内は、いささか暖かかった。これが活力になってくれる内にすべきことをしなくては。僕は、足早に応接室を立ち去った。






 夜。院長から借りた車でルーンベルクの中心地域に戻った。久しく来ていなかった酒場ダスビー付近の物陰に身を潜め、目を細めて店の入口手前を見やる。数人の男が煙草を吸っていた。恐らく、一般市民のフリをした警察官だろう。ダスビーは、僕がよく訪れていた店。警察がここで張っているのは予想通りだ。


 店に近づく。今の僕は、それさえできればいい。コートの裏ポケットに隠した二枚の紙を服越しにさすった。右方向の少し離れた場所へ僅かに視線を向ける。そこには、院長から借りた車を停めてあった。


 もうすぐで、ちょっとした騒ぎが起きる。院長には本当に申し訳ないけれど、こうする他ない。


 見ている内に、車の中に真っ赤な揺らめきが発生した。異変に気がついたのか、店の前の男たちのひとりが車を指さす。それからあまり時間を置かずに車は炎上し始めた。男たちが声を荒らげて店の前から離れ、炎の周囲にいた人間に車から離れるよう大声で呼びかけていく。


 車内の一部分に灯油を撒き散らし、そのすぐ隣に新聞紙を丸め置いて火をつけたマッチ棒を投げ入れ放置していた。やがて車は燃え始め、結果として店から男たちを引き離すことに成功。僕は、今の隙に急いで店に近づき、裏ポケットから二枚の紙を取り出す。文章が書かれた方の紙を入口の扉の下に差し込み、もう片方のまっさらな紙を窓の縁の見えづらい位置に挟めた。


 どうかこれでわかって欲しい。そう願いつつ、燃え盛る車を尻目に罪悪感を感じながら急ぎ足で店を離れた。

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