11.欺瞞の産物
鈍い打撃音が確かに耳に入る。突如現れた謎の人物が振りかざした鉄パイプ。それは、ルカの頭を直撃した。攻撃を受けたルカは、よろよろと後退し路地の脇に放られていた複数のゴミ袋に向かって仰向けに倒れた。
思考が脳をほとばしる。レオニードは、僕たちがこの場所で接してくることを知っていた。彼は、躊躇いなく僕にナイフを向けた。そして、窓を割って現れ、ルカを襲った謎の人物。……確実に言える。僕たちは、罠にはめられたんだ。
でも何故? レオニードの容疑に関する情報、彼を脅して欲しいという文書は、警察からのものだったんだぞ。グローザさんが裏を取ったんだ、間違いはない。
まさか、警察と敵が絡んで……?
鉄パイプを持った人物は、すぐに僕にも襲いかかってきた。ダメだ、考えている暇がない。脳天を狙ってきたそれを、体の軸をずらして避ける。体を半回転させ、後ろのレオニードを視野に入れた時には既に遅かった。彼は勢い良く体当たりをして僕を壁に押しつけ、ナイフを首元に押し当ててきた。冷たい刃物の感触が皮膚に伝った。
「動いたら命がないと思え」
レオニードが言い放つ。僕たちのやることと違って脅しではなく、本気で殺されてしまいそうだと感じた。このままじゃ身動きが取れない。謎の人物は、鉄パイプを下ろして僕に近づいた。フードを深く被っていて、暗かったこともあってその顔は目視できなかった。
謎の人物は、僕の顔に手を近づける。なにをする気だ。その手が僕の頬の少し下をまさぐる。そして、皮膚とマスクの境界線を見つけたのだろう。そこを掴まれて、僕が装着する変装用マスクを一気に引き剥がされた。夜の一層ひんやりとした空気が鼻や額に触れる。
「良くできた仮面だ」
そう言って謎の人物は、マスクを適当に放り投げ捨てる。男の声だった。この声、どこかで聞いて……?
「いもしない人間の情報に踊ってくれて助かったぞ」
「……いもしない人間?」
言葉を復唱してしまった。男が言った、いもしない人間。架空の人物。もしや、僕たちが追っていたレオニードのことを言っているのか。
「でも、彼の情報は徹底的に調べた。出生から、今までの経歴まで……」
「完璧な偽装だっただろう」
偽装……だって?
「権力を味方につけることができて、これ程までに心強いことはない」
警察から得た情報は、僕たちを陥れるために作られたもの。それが意味することはひとつ。
「……お前たちは、警察と繋がっているのか?」
まさか。本当に敵と警察権力が関わっているというのか。
聞き返しても男は応えない。それどころか、ヤツは懐からカメラを取り出し、僕の顔を撮影した。まずい……。
「良く写っているぞ。脅し屋クラーヴジヤ」
告げられて、衝撃を受けた。
……名前を呼ばれた。確かに僕の名前だった。聞き間違いじゃない。
「どうして、名前を」
男は、カメラを懐にしまう。そして、聞くに不気味な笑い声を轟かせた。
「クラーヴジヤ。お前は不運だったよ」
後ろに下がった男を月明かりが照らしたが、やはりフードのせいで顔全体は見えない。見えたのは、歯を見せて笑う口元だけだった。
名前を知っていた理由は教えてはくれなさそうだ。しかし、大方予想はつく。
カチューシャだ。恐らく、彼女に渡された花瓶に入っていた盗聴器で僕の名前を知ったんだ。
だったら、この男はカチューシャのなんなんだ。盗聴器の件の後、彼女の周囲の人間を調べたが、こんな男はいなかった。でも、この男は彼女を監視して……いや、他の人間から情報を受け取ったのか? 彼女の近くにいられて、彼女と僕の会話を知れた人物……心当たりがまったくない。本当に誰なんだ。
カチューシャの名前を出して男の反応を確認したかったが、そうするとなんらかの形で彼女に被害が及ぶかもしれない。僕は、黙っていることしかできなかった。
路地の向こうの出口に隠れている手筈のグローザさんは……どうなったのだろう。もしかすると敵はこの二人だけではなくて、今頃対応を迫られているのか。ふと、視線を対辺の暗がりに向ける。今まで意識を失っていたのかゴミ袋群に倒れて動かなかったルカが、少しずつ起き上がろうとしている。ルカ、頼む。なにか行動を起こしてくれ。さっきは予想外のことで遅れを取ったが、一瞬でもこの二人組に隙ができれば僕が制圧する。
なにか、隙を……。
「__弾けるぞ!」
突然の叫び声。グローザさんの声だった。鉄パイプの男とナイフの男が一瞬、声のした方向へ顔を向けたのがわかる。その隙を逃さず、ナイフを持つその手を掴み抑え、みぞおちを膝蹴りした。その衝撃で少し離れてみぞおちを抑え背筋を丸くした男の顔を、すかさず右足で蹴りあげる。
鉄パイプの男も襲いかかってきたが、武器を振りかぶる直前、目の前の地面にころころと音を立てて転がってきたものに気を取られたようだ。僕は、その物体がなんなのか既にわかっていた。転がってきた音だけを聞き、咄嗟に目を瞑り手で耳を覆った。
「弾ける」とは、僕たち脅し屋が仲間内で使う言葉で、一種の隠語のようなものだ。それは、閃光弾を炸裂させて辺りを光で染める時の合図だった。
ほんの一瞬。眩い白が通り過ぎただろう。からんからんと音がした。恐らく、男たちが武器を落としたんだ。数秒後に目を開いて、敵が立ち眩んでいるのを確認した。今なら逃げられる。騒ぎになって警察が来たら最悪だ。逃げる隙がある以上、戦いを仕掛けるべきではない。すぐにルカに近寄り、手を差し伸べた。
「立て。逃げるぞ!」
「あ、ああ……!」
ルカは、僕の手を掴んで立ち上がった。空いた方の手で頭を抑えよろけながら。
男たちが目元に手を押し当てながら地面に伏して、落としてしまった武器を手探りで探している。
「早く来い!」
グローザさんが叫ぶ。脅しを行った後に使う予定だった、立ち去る時に乗る用の車が予め置いてある道路の方に向かって走った。路地を出てさらに少し走って、路肩に停めてある車に急いで乗り込む。グローザさんが運転席に、僕とルカが後部座席に。
「助けるのが遅れたな。すまない。他にヤツらの仲間が潜んでいないか確認していた。……ルカ、大丈夫か?」
そう言ってグローザさんは、車を発進させる。ルカは、痛そうに頭を抑えながら応じた。
「平気だぜ、このくらい。それよりも、あれは罠だったんだよな……。なんでだ? レオニードの情報は、警察からのものだったんだぜ?」
「さっきの会話によると、ダレントの副社長レオニードは、存在しない架空の人物。俺たちは、完璧なまでに作られた嘘の情報を掴まされた。ルカ、この意味はわかるな?」
「……へへっ。警察がダレント社長殺害の犯人に加担してるって訳か。なんだよ、思ってたより敵がでけぇな」
僕たちが絶対に情報を信頼するように……リークされたとする、ありもしない情報を脅し屋が盗み見るだろう警察内のデータにわざと残しておき、架空の人物の出生や生い立ち、これまでの経歴までもをまるで存在するかのように作り上げた。囮であるその架空の人物が完全にひとりきりになるタイミングがあそこしかなかったのも、僕たちが来る場所を確実に見据えるためのお膳立てだったんだ。……どうやら、これを仕組んだ人間は脅し屋のやり方を良くわかっているらしい。
「これは俺の考えだけど、さっき襲ってきた二人は、ダレント社長を殺して俺たちに濡れ衣を着せたヤツら……警察と関わってる方のヤツらじゃねぇか? 本人かどうかはわかんねぇけど」
「だろうな」
「だって、二人組だったんだぜ? 警察が直接出てくるなら、逃げ道を塞ぐようにもっと大人数で来てるはずだよな? 脅し屋が殺人犯だって報道されてる訳だし。警察がちまちまやるってのは、意味がわからねぇ。なんで少数で俺たちを襲う真似を……」
確かに、ルカの言う通りだ。少し思考して、僕は発言した。
「それは、今回のやり方で警察が脅し屋を捕まえられた場合、逮捕できた理由が不都合になるからだと思う。いくら犯人を捕まえるためとはいえ、その犯人と繋がって情報を渡したってことになるから」
さらに考えを巡らせ続ける。
「もしかすると、警察の中でも真犯人に加担しているのは……上位の階級に位置する人間だけかもしれない」
「なるほど。真犯人と繋がりつつ組織の動きを纏められるのは、ソイツらしかいねぇもんな。敵が少数だったのは……上位階級の人間にとっては犯人に情報を明け渡したってやり方が下の人間から不審に思われるから、それを避けたかったってことだな」
ルカは、言葉を続けた。
「他の仲間からなにも不自然に思われないために、偽の情報は上位階級の人間の間だけで扱って、悟られないように警察ではない人間の手によって脅し屋を捕らえる……か」
つまり、真犯人に加担している警察組織の人間は、今回のやり方で軍勢を率いて僕たちを捕まえにかかることができなかった。それは、彼らが上位階級の人間であることを示している。でっち上げた嘘の情報を犯人に掴ませるというやり方、そしてその犯人に組織内のデータを盗み見られるのが前提の立ち回りが下の人間に不審に思われるから……敵と繋がっている警察は、今回部下を使った作戦を立てられなかった。嘘の情報を自分たちだけで共有しつつ、全体に指示を出せるのは上位階級の人間だけだ。脅し屋を追おうとしている捜査本局の人間も、上位階級から「脅し屋が殺人犯だ」と信じ込まされているんだろう。
「その脅し屋を捕らえる人間が、ダレントの社長を殺されて困っちまうような立場のヤツらだったら……立派な仇討ちの構図になるな。世間からすれば、警察と関わって脅し屋を狙うヤツが英雄になり、当の脅し屋は裁かれるべき悪になる。涙を誘う復讐劇の完成だぜ」
そうだ。さっき僕たちが捕まっていれば、民から見た場合、社長の仇討ちをする正義の鉄槌の存在によって、脅し屋は悪だという認識がより強まる。真犯人と、彼らに関わっている警察の人間にとっては、世間への印象操作をすることもついでに狙えて一石二鳥だったんだろうな。
今更怖くなってくる。あのまま捕まっていれば、きっと僕たちには挽回の機会もなかった。もしも、さっき捕まっていれば……。
……そこで思い出した。
「うっしゃ! あんまり信じたくねぇけど、警察とかいうこれ以上ねぇくらいの大物が相手だ。親父! クラーヴジヤ! 気合い入れて……」
ルカが僕の方に向く。そして、不思議そうな顔をした。それも、僕が思い出したのも今更だった。
「あれ? クラーヴジヤ、マスクはどうし__」
「二人共」
今更、思い至った。
「僕は、これから二人と離れて行動することになる」
「……そうだな」
心中を察してくれたのだろう。グローザさんは、声色を落として言った。
「ヤツらに顔を撮られた」
「なっ……!?」
ルカが驚愕の表情を見せる。
「そして、敵は僕の名前を知っていた。言ってる意味は……わかるだろう」
ヤツらは、僕の素顔の写真を撮った。それどころか、僕の名前まで知っている。証拠として残った顔写真と、彼らが知る名前は合致して、それは紛れもない脅し屋の正体として公開され……それ以降、警察は晴れて僕を逮捕することができる。つまり僕は、追われることになる……。そう予想できた。当然、世間からも。文字通り、僕の居場所はなくなる。
ルカは、口を開けっ放しにしたままこちらを見ていた。依然驚愕の顔で。
「師匠。カチューシャの周囲への調査は、細心の注意を払ってくれ」
「……ああ」
しばらくして、ルカは俯いた。
「シラを切るっつーのは……できねぇよな」
「既に脅し屋が殺人を犯した旨の報道がされていて、警察は脅し屋を逮捕することを発表している。世間の人々は、別に真犯人がいることを知る由もないし、そもそも警察の発表を疑いようがない。僕の顔と名前が脅し屋だとして報道された後、先日の報道を信じた人々は……僕を見つけたら、凶悪な殺人犯が現れたと騒ぐだろう。その群衆相手に立ち回るのは……難しいどころの話じゃない」
殺人犯ではなくとも、正体が脅し屋であることは確かなんだ。知らぬ存ぜぬで貫き通すのは不可能。警察側のことを考えても、脅し屋の情報を公開しない理由がない。僕は、身を潜めることを余儀なくされる。
「それに、シラを切るべきは君の方だ」
「それは……そうだけどな……」
ルカとグローザさんとは、僕がパーミャチ孤児院を出た時からの付き合い。特にルカは、僕とほとんどの行動を共にしてきた訳だ。当然疑われる。
「拠点に帰ったら出発の支度をするよ。……誰かに僕のことを聞かれたら、どんな言い草をしてくれても構わない」
そこまで自分で言って、カチューシャの顔が脳裏に浮かんだ。彼女は、僕に失望するだろうか。それとも信じて……いや、そんなことはないな。なんにせよ、彼女に近づくことは絶対に避けなければいけない。迷惑をかけないためにも、自分が変な想いを抱かないためにも。
ため息をついてから、自分が深く息を吐いてしまったことに気づいた。隣を見ると、やっぱりルカも俯いている。グローザさんは、なにも言わずにただ前方を見据え、運転を続けるだけだった。




