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そして世界はバグった

「――ってあれ? いま一瞬ログアウトしたと思ったのに、もう普通に動くわね。心配かけてゴメン、コウ……って、うわっ!? 街中が変なことになってる!? どうして!?」


 ぼくがブラックアウトから意識を取り戻すと、街の光景が目に入るよりも先に、アサノの興奮した声が耳に入ってきた。


「どうなったかって、みんながログアウトできなくなって、それでアサノの動きが止まったんだけど――」


 そこでぼくの言葉も、そして思考も止まった。

 ぼくは目の前に広がる光景を見て、言葉を失う。

 ベランダに飾られるべき花瓶は宙に浮かび、郵便を配るNPCはぼくの頭を通りすぎ、くだもの屋の亭主は鋼でできた片手剣になり、その片手剣はリンゴを浮かせながら「いらっしゃい」と陽気に声を出していた。

 そして遠くのほうには、各階層が前後左右にずれて積み木崩しのようにアンバランスになっているトラウム城が見えた。


「ねえ、なにこれ? すごいことになってるわよ」


 アサノは興奮しながら嫌らしい笑みを浮かべ、宙に浮かぶ花瓶にそっと触れた。しかし花瓶はビクともせず、アサノの腕は花瓶のなかを貫通した。

 その花瓶に実体はなかった。


「たぶんバグを起こしているんだと思う。ただ、こんな大規模なバグは聞いたことがないよ」

「そうなんだ。コウはこれ、治ると思う?」

「きっと治るよ。ゲームの進行に影響が出る大規模なバグを運営側が放置するとはまず思えないからね。おそらくすぐにでも緊急メンテナンスが始まるはずだ。まあ、メンテナンスが始まれば強制的にログアウトされるだろうから、リッカに声をかけて今日は一緒にログアウトしよう」


 ぼくは自分でも驚くほど饒舌に言った。

 このバグに対して、ぼくは冷静だった。

 ここはあくまで仮想現実だ。そう意識して、まともな現実へ戻れることを考えれば、このバグはたいしたものではない。

 

 ぼくはチャットモードでリッカにログアウトをしないか、と提案した。

 しかしなかなか返事は返ってこなかった。


「え……嘘でしょ」


 リッカの言葉を待つぼくに、アサノは小声で言った。

 それは返ってこないリッカの言葉に対してではなかった。


「どうしたんだ?」

「ログアウトができないよ」

「なんだって?」


 アサノは宙の一点を凝視しながら言う。ウィンドウを開いて、ログアウトを実行しているのだろう。

 感覚コマンドが呼び出すウィンドウは他人からは見えない。しかし、その感覚コマンドを駆使してログアウトを行おうとしているアサノの葛藤が、ぼくには見えた。


「もしかして私たち、この変な世界からしばらく出られない?」

「いや、それはありえないよ。きっと運営側がすぐになんとか……」


 そう言いながら、ぼくもログアウトのウィンドウを呼び出した。

 ただ出てきたのは枠だけだった。

 ブラックアウト直前に見た、あの空白だらけの枠だ。


「どう? コウはちゃんと表示された?」

「いや、ダメみたい」

「はあ……。バグだらけで気持ち悪いって感じになっている上に、ログアウトできないとか正直、萎えるわ」


 アサノは力なくその場に座り込んだ。

 運営の補填アイテムに期待しよう、どんなアイテムが手に入るだろう、回復アイテムなら……とブツブツつぶやいては、ふふっと1人で笑った。

 さっきまでフザけていたアサノだったけれど、顔には疲労の色が少し浮かんでいた。


 冷静で、なおかつ何かに希望を持っているのはぼくぐらいじゃないかという気がしてきた。

 それはおごりではなく、事実なんじゃないかと錯覚すら覚えた。

 なぜなら街中にいる人々は例外なく誰もがバグに対して、ある種の冷静が欠けているように見えたからだ。

 ある人はバグに出くわすたびに驚きを隠せず間抜けな声をあげ、ある人は片手剣になった亭主をじっと見つめて腹をかかえて笑っていた。

 閉鎖恐怖な不安を嘆く声や、運営に対する文句を虚空に向かって叫ぶ声もあった。

 しかしそんな声は少数で、バグった状況を面白おかしく捉えている人々が圧倒的に多かった。

 それはぼくにとって、冷静でもなんでもなく、現実を見ようとせず躁状態になっているんじゃないかと思えた。


『あの……助けて』


 周りの笑い声に気を取られている中、突然チャットが飛んできた。

 リッカからだった。


「リッカだ。リッカからの返事がやっときたよ」

「私にもきたわ! でも助けてって……どういうことなのかしら?」

「ぼくが話しかけてみるよ」


 ぼくはリッカにチャットを飛ばす。


『リッカ、どうしたんだ?』

『お城の3階にいるんだけど……階段がふさがっていて降りられないの』

『階段がふさがっている? そんなことが……』


 と、ぼくは言葉を切ってトラウム城を見る。

 各階層、前後左右にズレた異様な城。中の様子がまともだとは想像しにくかった。


『わかったよ、リッカ。必ず助けに行くから待っていてくれ』


 会話を終えたぼくはアサノの方を見る。


「リッカは助けを求めていたよ。あの城の3階の階段がふさがって、降りられなくなったらしい。城の外観があんなことになっているんだから、中もめちゃくちゃなんだろう」

「それは……さすがにまずいわね」

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