虐待
スキンヘッドの男、ルーズが所属するギルドの建物はアルビオンの北駅のはなれの丘にあった。建物は現実世界でいうところのログハウスのようなもので、そこからは高層の建物群を見下ろすことができた。
日はもうすでに落ち、地上にあるあらゆる人工の光がログアウスを照らし、ぼくの目に入ってきていた。
「ルーズ、おかえり! あっ、彼らがバグ・ノートリアスと戦う勇敢な『クォンタム』のメンバーなのね」
ログハウスの階段からひょっこりと猫耳をつけた少女が顔を出し降りてきた。
なぜか釣り竿とクーラーボックスをもっている。
「私、アルテリアって言います。みなさん、ゆっくりしていってね。あっ、ちなみに私は中の人はおっさんなんだけど、このテンションでずっと喋っちゃってるから本当の性別がどうとかよくわかんなくなっちゃったっ! てへっ! ということで、ルーズと一緒に頑張ってね。シーユー!」
ドタドタとアルテリアはぼくらを横切って、ログハウスから出ていってしまった。
「なんなのあの子……っていうかおっさん? まあ私は『クォンタム』に入ったわけじゃないんだけど」
フィオナは呆れながら、アルテリアが出て行った扉を見ていた。
「アルテリアは最近になって釣りスキルを上げることが生きがいになってきたんだ。テンションは妙に高いが許してやってくれ。あれでもブラックアウトの時は落ち込んで色々と大変だったんだよ」
懐かしい思い出でも語るかのように、ルーズは笑みを浮かべていた。ただ、笑みの奥には苦い思い出があったに違いない。
そして立ち呆けるぼくらを察して、ルーズはダイニングルームへ案内をしてくれた。
いつの間にか、テーブルにはコーヒーとクッキーが置かれていた。
「コーヒーが苦手な人はいるかな?」
アイリがさっと手をあげた。
了解、と言うとすぐさまルーズは牛乳の入ったコップと取り換えた。
コーヒーも牛乳も来客用にルーズのアイテム袋の中に入っているのだろう。現実世界とちがって、コーヒーだって持ち運べる。
事実、ぼくはいまだにトーラスからもらったグラタンをアイテム袋の中に入れている。何日もたったけれど、腐ることはない。
ルーズは議長席に座り、全員の顔を見てから言った。
「まあリラックスしながら話をしよう。俺はここのギルド『暁の獅子』のリーダーを務めるルーズだ。今の主な活動内容は君たちと同じバグ・ノートリアス狩りで、ポッチェたち情報屋を通じてバグ・ノートリアスの所在地を割り出して討伐を繰り返していたんだ。君たちが何者かわからなかったから、直接交流はできなかったけれど、バグ・ノートリアスを狩っているギルドが他にあると聞いたときは心強かったよ」
ルーズが少し頭を下げると、つられてぼくも頭を下げた。
「ただ最近は困ったことに、バグ・ノートリアスが見つからなくなっていたんだ。俺たちのギルドがある街に、バグが発生しているにも関わらず」
「それって……」
「ああ、正直助けに行ったときはビックリしたさ。キュービの依頼は君たちを現地のギルドのもめ事から逃がすことだけだったが、俺たちにとってその依頼は思わぬ収穫になった。君たちが戦っていたあの女のバグ・ノートリアスは、俺たちが探していた最後のバグ・ノートリアスだったんだ。
つまり、あいつを倒せば全員、現実世界へ戻れる」
ルーズはゴクリと、自分の入れたコーヒーを飲んだ。一口飲んだだけなのに、もう空になっている。
「でもあのバグ・ノートリアス、とても強いですよ」
「そこなんだよな。どうするべきか……その辺はまたポッチェとチャットをしなければならないと思っている。場合によっては、世界中のバグラーが集まって総力戦にもなるだろう。
ただ、今の君たちはそんなバグ・ノートリアスの話より、もっと大切なことがあるんだろう。あの女の子について――」
「リッカです。私とコウの友だちです。ネットの友だちじゃなくて、同じ学校に通っている子なんです」
いつも男勝りなアサノも、このときばかりは女の子らしく落ち着いていた。
「リッカちゃんか。そう、その子のことだけど、君たちを裏切ったのは確かなんだよな?」
裏切り――。
その言葉があまりにも重すぎてぼくはすぐに首を縦に振ることができなかった。でも事実だ。
「そうです。現実世界に戻るためバグ・ノートリアスを倒していたのに、この世界に留まりたいと考えるアギトたちと一緒にいたリッカは『現実に戻りたくない、ずっとここで暮らしたい』と言いました。そもそも、アギトがあの宿屋にやってきたのもリッカが伝えたからだと思います」
チャットの機能を使えばぼくらに気付かれることなくアギトとも会話ができる。宿屋の場所だってそれで伝えることができただろう。
そう考えるとリッカは、あの演説を聞いたころから互いに会話しあっていたのかもしれない。
「で、アギトと一緒にバグ・ノートリアスを放った……」
「それは違います! だってリッカはアギトがバグ・ノートリアスを放つなんて思ってもいなかった」
アギトの行動に青ざめていくリッカの顔が、ふと頭の中をよぎった。
ルーズのいれたコーヒーに波が立っていた。気がつけばぼくはテーブルに手をついて立ち上がっていた。
「……だろうな。俺もそう思っているよ。だから落ち着いてくれ」
ぼくは自分の唐突な怒りに恥ずかしくなりながら座った。
「何か確信があるんですか」
「ある。なぜならこの真の依頼人はポッチェではなく、ポッチェを通して依頼してきたリッカという女の子だからだ」
「リッカが……!?」
「ああ、ポッチェが言うには、頼める人間が他にいないから『アルビオン』にいる知り合いに助けを呼んでもらうよう言ったらしい。大事に至らないよう、ポッチェもすぐ俺に連絡を取ったし、俺もすぐ君たちを探した。リッカちゃんに直接チャットができればよかったんだが、このゲームは1度も会ったことのない人間と連絡が取れないからな。リッカちゃんと連絡を取るポッチェを介して連絡を取り合っていた。そんなやり取りの中、宿屋に向かうと、助けを呼んだリッカちゃんが裏切っていて、宿屋の前には最後のバグ・ノートリアスがいた……というわけだ。
正直、混乱したよ」
ルーズはいつの間にか新調したコーヒーをテーブルの上に置き、それもまた一気に飲み干した。
「そういえばアギト……あいつ、言ってたわよね。彼女の心の傷がどうとか。コウとアサノとリッカは現実でも仲が良いってことよね。何か知っているんじゃないの?」
「いや、ぼくは知らない。そうだよな、アサノ」
フィオナの問いかけにぼくは記憶を巡らせる。思い当たる節が本当にない。
しかしアサノは思いつめた表情をしていた。
「アサノ……?」
「コウ。私ね、さっきからリッカにチャットを飛ばしているんだけど、返事がないの。リッカってすごく良い子だけどさ、無口で、それでいて苦しいこととか辛いことはほとんど話してくれないの。たぶん今もそう」
「……アサノ、お前なに言ってるんだ?」
「コウ、あなたが気付かないのも無理はないわ。こういうことをみんなの前で喋るのって正直どうかと思うけど、さすがにこれはリッカが悪いから、ここではっきりと言うわね。
リッカはね、親から虐待を受けているの」
虐待。
その言葉がもつリアルに、誰もが動きを止めた。




