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彼女の心の傷

「なんでここがわかったの!?」


 悲痛な声を出したのはアサノだった。

 事情がわかっていないアイリはアギトに手を振っていた。しかし姉であるフィオナが即座にその手をつかんで無理やり降ろした。

 宿屋の部屋は外から覗き見ることはできない。だから手を振るアイリの姿はアギトには見えていない。そのことはフィオナにはわかっていたはすだ。

 この場は一瞬にして混乱に満ちてしまった。

 しかしただ1人、リッカだけはコップを割った時よりも冷静そうに見えた。

 気のせいだろうか?


「そこにいるのはわかっているぞ! わざわざ迎えにきたんだ。降りてこいよ」


 グラントの大声が部屋に響く。

 街中にいるプレイヤーはPKができない。それが分かっていても、グラントのもつ斧を見ると降りる気にはなれなかった。


「まあそう怒鳴るなよ、グラント。俺が彼らを誘うよ」


 アギトはグラントの肩をポンと軽く叩いて前に出てきた。


「グラントたちの奇襲の非礼を詫びるよ。あれは俺の意思じゃなかった……本当は戦いたくなんかなかったんだ。でもコウ、これは最後通牒だ。俺たちの仲間になってくれないか? 俺のあの演説の意味がわからなかったわけじゃないだろう? もっと真剣に聞いてくれ。君たちの仲間の1人はわかってくれたぞ」

「えっ!? わかってくれたって、どういうこと?」


 フィオナが狼狽していた、その時だった。

 ガチャリと扉が開いて、足音が聞こえた。

 誰かが出ていった。

 誰が出ていったのか、それは部屋を見れば明らかだった。


「リッカ……? リッカがいない!」



 ぼくらはすぐに宿屋を出た。

 そして目の前に飛び込んできた光景に、予想はしていたが唖然としてしまった。

 アギトの隣にリッカがいた。


「リッカはわかってくれたんだ。リッカと同じ仲間なら賛同できるはずだよな?」


 アギトは微笑みながら言う。


「リッカ、どうしてなんだ?」


 ぼくはアギトの問いかけを無視してリッカに問いかけた。

 リッカは静かに、ゆっくりと凛々しい表情をしながら言った。


「私は現実に戻りたくないから……ずっとここで暮らしていたいと思ったから」


 声は少し震えている。

 だが脅されているわけではなさそうだった。自分の言葉を、丁寧に紡いで言葉にしていることはよく伝わってきていた。


「だからみんなもバグ・ノートリアス狩りをやめて、アギトと一緒に来て」


 最後は聞き取れないぐらい小さな声になっていた。


「どうだ? 仲間のリッカもこう言っているんだ。聞いてあげてもいいんじゃないか?」


 その言葉に悲痛な表情でフィオナが言った。


「聞かないわ。どうせあなたが言わせているんでしょ? ねえ、リッカ。あなたはこれでいいの? 脅されているんだったら、ちゃんと言ってよ!」


しかしリッカは首を横に振る。


「リッカがその理由を君たちに言うわけがない。彼女の心の傷、そしてその訴えは今まで君たちの耳に届かなかったのだから」


 アギトの言うリッカの心の傷。

 ぼくには思い当たらない。リッカの柔和な笑みはいつもぼくを癒してくれていた。その笑みの中に心の傷があるとはとても思えなかった。


「リッカ。残念だけど彼らはやはり今回も聞く耳を持たないらしい。どうやら約束は守れなさそうだ。キュービ、アレを放て」


 その時、リッカはハッと我に返ったかのように顔をあげ、アギトを見た。


「そんな、約束が違う……!」

「違わない。俺はただ、『彼らが仲間になったらすべて許そう』と言っただけだ。さあリッカ、行こう。今からここは戦場になる」


 アギトはリッカの肩をつかみ、引っ張ってこの場から去ろうとする。


「待てよ!」


 ぼくはアギトに向かって叫んだ。

 しかしアギトは振り向きもしない。

 そんなアギトに、グランも無言でついていく。

 こっちを向いていたのは、口を異様なほど大きく開けたキュービだけだった。


「これ、欲しかったでしょ? プレゼントするよ?」


 口を大きく開けながらも普通にキュービは喋り、その口からは1人の女が出てきた。

 その女は端正な顔立ちで長髪といかにも日本人らしい顔立ちに、スニーカーにジーンズをはき、そしてポロシャツを着るという、いかにもラフそうな格好をしていた。

 そしてその格好はとても懐かしかった。

 この仮想現実にスニーカーやジーンズなんてものは当然ない。中世風ヨーロッパの世界観を構築しているのだから、そんな装備があると世界観を壊すからだ。

 だけど目の前の女は、現実の服装を装備していた。

 どうしてこんなデタラメな格好をしているのか、ぼくには容易に想像がついた。


「こいつがここのバグ・ノートリアスか……」


 すぐさま腰にあるカッツバルゲルの柄を握ろうとする。しかし動かなかった。

 ここが街中だということを一瞬忘れてしまっていた。街中でバトルはできない。


「キュービ、これをここに置いてどうするつもりなんだ?」


 ぼくはあえて尋ねた。

 安心できる答えを期待したかった。

 しかしキュービは言った。


「このバグ・ノートリアスは街中でも自由に動き回れるすごい奴なの。HPがほぼ無限でなおかつ常時回復状態。攻撃力だってバカにできない。そういえば覚えている? アルビオンの街中にいた止まってしまったプレイヤーたちのこと。あれはただのバグで止まってしまったわけじゃないの。全部、こいつが倒したの」


 キュービがうちの子自慢のように嬉々として語る。

 一方でキュービよりもはるかに長身の女のバグ・ノートリアスは、興味なさそうにあくびをし、目をこすり、いかにも眠たそうだった。


「本当にそいつ、バグ・ノートリアスなの? プレイヤーじゃないの?」


 アサノが怪訝な表情で言う。


「プレイヤーっぽい動作はするけど、一応バグ・ノートリアスだよ。その証拠に、このバグ・ノートリアスはもうターゲットを補足している」

「えっ?」


 一瞬だった。

 女のバグ・ノートリアスは地面を蹴って跳躍し、ぼくらの目の前に立ったかと思うと、その長い脚でベルクの腰を蹴り飛ばした。

 ベルクは盛大に吹っ飛び、宿屋の壁にぶつかった。傷一つつかない宿屋の木の壁を背に、ベルクは苦しそうに腹をおさえた。


「腹が痛いのは幻覚でしょうけど、これはまずいですね」


 気が付けばみるみるうちにベルクのHPが減っていく。


「アイリ、回復魔法を!」


 ぼくはアイリを見る。回復魔法はまだ街中で使える。

 そんなぼくにビクっとアイリは肩を震わせながらも杖を握りしめた。


「コウさん。すぐ次の一撃がやってくる。だから逃げてください」

「いや、でもキュービの言うことが本当かどうか――」


 喋っている最中だった。女のかかとがぼくの顔に迫ってきた。

 白衣をはためかせるこの女の攻撃を、ぼくはかわしきれそうになかった。

 ボコッという音が頭に響くとともに、視界が揺らぎ、ぼくは地面に手をついた。

 HPが一瞬で削れたのが感覚で伝わってくる。

 それもレベルがそれほど高くなかったからか、ベルクよりも危険な状態になっていた。

 キュービの言うことが本当かどうかは、どうでもよくなった。

 こいつはヤバい。それは間違いない。

 アサノの跳躍力で逃げ切ることができるのだろうか。そもそもこいつだって跳躍するのだ。


「アサノ」


 ある考えが浮かんだので、アサノに声をかけた。


「なに……もしかしてジャンプして逃げる?」

「ああ、そうしてくれ。ただ連れて行くのはアイリとフィオナとベルクの3人だ。ぼくは置いていけ」

「はあっ!? どうしてなの?」

「誰かがターゲットを取らないと、全員やられるだろ? 犠牲は最小限に抑えた方がいい」

「コウ、あなたバカなの? 犠牲は出さない方がいいに決まってるじゃん」

「それはそうだけど、攻撃できない街中であんなやつと戦うなんて、どうしようもないだろ」


 女はじりじりとあくびをしながら距離をつめてくる。

 ぼくやベルクにトドメを刺すのか、それとも別のターゲットを見つけるのか、それはわからない。

 しかしわからないからこそ、こわい。


「とにかく今しかない。早くジャンプを!」

「でも!」

「でも、なんて言っている場合じゃないだろ!」


 ぼくは声を張り上げた。

 そのときだった。

 女は白衣をはためかせ、急に方向転換をした。逃げてくれると一瞬だけ思ったが、そうじゃないことはすぐにわかった。

 女の目はアイリを捉えていた。


「まずいっ!」


 ぼくはすぐに駆けだした。だけど女の方が早かった。

 気が付けば女はもう、アイリの目の前にいる。

 そばにいたフィオナは駆け寄ってギュッとアイリを抱きしめた。


「お姉ちゃん……?」


 危機を理解できていない、幼いアイリの声が聞こえた。

 女はそんな幼いアイリをまえにしても、動きを止めず、拳を振り上げた。

 ぼくはこれから起こりうる悲劇に目を覆いそうになった。

 しかし、悲劇は訪れなかった。

 振り上げた拳は宙に浮いたままオブジェのように固まってしまっていた。


「この束縛魔法は長くもたない。君たち、早く逃げるぞ」


 うしろから声が聞こえてきた。

 振り返るとそこには、スキンヘッドでサングラスをかけた黒人の男性がいた。


「ポッチェから連絡を受けてここまでやってきた。俺の能力は絶対にキャンセルされない弱体魔法をどこにいても使えることだ。ただ束縛時間は長くない……ので自己紹介はあとだ。俺たちのギルドの建物まで避難すれば、自然とターゲットははずれるはずだ。

 さ、行くぞっ!」


 突然現れた見ず知らずの男が、ポッチェという懐かしい名前を口にしたことで、ぼくは頭がこんがらがる。しかし悪い人でないことは間違いない。


「あの……いま逃げてもあのバグ・ノートリアスを放ったプレイヤーは見ているかもしれませんが」


 ぼくは弱々しくスキンヘッドの男に言った。


「ん? そんなやつがいるのか? 誰も見かけなかったが、用心するに越したことはないな」


 スキンヘッドの男はぽりぽりと頭をかきながら、「ついてこい」と手招きをした。

 ぼくは拳を振り上げ1人固まったまま動かない女のバグ・ノートリアスを背に、その場を去った。

新しい敵キャラの活躍、伏線っぽく書いたのはいいけど入れる余地がなかったので、改稿時になんとかしてみます。(時期未定)

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