平和と幸せのための演説
「ブラックアウトを起こし、世界を止めたのがこの俺だからさ」
アギトは歯をむきだし、気味の悪い笑みを浮かべた。
ぼくはそんなアギトの言葉を聞いて、トーラスの言葉を思い出した。
『いずれ対峙するかもしれない敵は、相当厄介だということを覚悟しておかなくちゃいけねえ』
その通りだった。
覚悟が足りてなかった。
出会ったらぎゃふんと一言言ってやるつもりでいた。だけど今のぼくにはそんな心の余裕はなかった。
それにここは相手のギルドの中で、PK可能なエリアに属している。
この厄介な状況のなか、ぼくはソファーから立ち上がれそうにもなかった。
「キュービさん……」
悲しい目をしながらフィオナはキュービを見た。
だけどキュービはそんなフィオナのことを冷たく無視した。
「おや、どうしたんだ? 顔が強張っているが……さては人見知りか?」
アギトがぼくの顔を覗き込む。ぼくはその視線を避けた。
「もしかして俺のことを敵視しているのか?」
「そ、それは……」
その通りだ、僕はお前みたいな奴にお灸をすえるためにここまでやってきたんだ。
……とは口が裂けても言えなかった。
「いや、これは俺の聞き方が悪かった。すまん。お前らはバグを解消するために旅を続けていた。世界をバグから救うために。しかし世界をバグらせたのが俺とわかれば、そりゃあ当然敵視するよな。聞くまでもなかった。ただ勘違いして欲しくないことがある」
アギトはぼくから離れ、玉座にだらしなく足を投げ出して座った。
「俺たちはお前らを敵視していない。俺が敵視しているのはこいつだけだ」
こいつ、と言って指さされたのはベルクだった。
「ベルクは仲間じゃないのか?」
ぼくはベルクを見ながら言う。ひとりソファーに座らず立ったままだったベルクは、苦しそうに顔を歪めた。
「かつては仲間だった。だが、今は裏切りものさ。そうだろ、ベルク?」
返事はなかった。だが、首を横にも縦にも振ることもなかった。
「……ということで、俺たちとお前らの共通の敵はベルクだけだ。それに俺たちは、お前らのことを仲間だと思っている。だからここに招待した」
「仲間……仲間だって!? 私たちがブラックアウトを起こしたあんた達と同じだって言いたいの!?」
ガタン、と大きな音を立ててアサノが立ち上がった。両手にはいつの間にか鉄の爪・クロウがつけられていた。
その鋭い爪先をアサノはアギトに向けていた。
「アサノ、やめて」
リッカが声を震わせて言う。
アギトはその様子を恐れることなくじっと見つめ、そして落ち着いた口調で言った。
「俺はお前らと戦いたくはない。今は人数差もあるしな。それに招待をしたのは、ここで話し合うだけじゃ納得してもらえないと思ったからだ」
「どういうことよ?」
クールダウンしたのか、アサノはクロウの爪先を降ろし、ソファーに座った。
「これから1階の集会場で演説を行う。定期的に行っている軽い演説だ。聴衆たちに交じって、お前らにも聞いて欲しい。結論を出すのはそれからにしてくれ」
集会場はやはりぼくがキュービに一度尋ねた入り口近くの部屋だった。『またあとで案内する』というキュービの言葉は、この演説のことを言っていたのだ。
ぼくらはアギトに連れられながら集会場の中へと入った。
集会場は教会のように天井が高く、長椅子が等間隔にたくさん並んでいた。そしてすでにたくさんの聴衆が集まり席を埋め尽くしていた。
集まっている聴衆のざわめきには懐かしさがあった。それは朝礼の校長先生の挨拶を待つ生徒たちのざわめきにそっくりで、このゲームに来てから今まで1度も聞くことがなかった。
「あちらの席にどうぞ」
キュービがあいていた長椅子にぼくらを招いた。ベルクはフィオナやアサノといった女性陣を避け、ぼくを壁にするようにして座った。
「すみません……」
ベルクは小声で言った。丁寧な口調は相変わらずで、それでいて謝罪もまたサラリーマンっぽさがあった。
だけどぼくは無視をした。アギトを信じたわけではなかったが、嘘をついていたことは事実だ。嘘をついた理由を聞かない限りは、ぼくだってそう簡単に心を許す気にはなれない。
少し待つと、さっきまで一緒に廊下を歩いていたアギトが、集会場の前の檀上に現れた。
その瞬間、ざわめきはやみ、外から窓を伝って聞こえてくる風の音だけが集会場を支配した。
色鮮やかなステンドグラスを背にしたアギトの表情は、先ほどまでとは違い、柔らかな笑みを浮かべていて親しみがあった。そしてその柔らかな笑みを維持したまま、口を開いた。
「俺には夢があった。平和な世界で幸せにみんなが暮らす、そんな夢だ。ただこの夢は小学生の頃の卒業アルバムに載っていた夢でしかなく、中学生になるとすぐに夢は夢でしかないと知った。戦争、貧困、事故、難病、天災……平和と幸せを邪魔するものを挙げていくだけでもキリがなく、しかもこいつらを根絶する力を、俺どころか世界は持っていなかった。あったとしても多少はマシにする程度の力しかない。俺は絶望を通り越して諦めた。戦争も貧困も事故も難病も天災も、しょうがないものだと思って受け入れることにした」
隣にいたアサノが怪訝そうな顔をし始めた。よく見るとフィオナも同じような顔をしている。
おそらく何の話がはじまったのかわからず、混乱しているのだろう。
それはぼくも同じだった。
ただ多くの聴衆は静かに、混乱する様子も見せず聞いていた。
「ただこれは俺だけの話じゃないと思っている。みんな同じように諦めていたはずだ。もしくはしょうがないものだとして、その世界を受け入れ、意識しないようにしていたはずだ。しかし意識をしなくても、こういったものは我が物顔で日常に入り込む。伏線や予告もなく、突然やってくる。そういったものに遭遇しなければ、対岸の火事のように思うだけで済んだところだろう。だが、自分が遭遇したとなればたちまち平和や幸せは無慈悲に奪われる。そういった不条理に対し、多くの人は自分のことを世界で1番不幸だと考える。そんな日常が繰り返されていたのが、現実の正体だ」
アギトの明瞭な声は、玉座があった部屋よりも荘厳に響いていた。校長先生のこなれた朝礼が体育館で行われていても、ここまでの迫力と美声はなく、また説得力もなかった。
そんなアギトに呼応するように、前の席に座っていた男性プレイヤーがうんうん、と大きくうなずいた。
「知っている人も多くいると思うが、この仮想現実の世界の時間は現実に対して止まっている。俺たちがここで何日過ごそうが、現実では1分も経たない。その事実に加え、ログアウトができない。そのことを不幸に思った人は多いと思う。俺だってそのことを最初は不幸だと思っていた。だが俺はあるとき、ふと思った。本当にこの状況は不幸なのだろうか?」
小さな声で「えっ?」とアサノが声を出した。
何か変なこと言い出したぞ、という気持ちが声になったのだろう。ぼくも同じく「えっ?」という声が喉元まで来ていた。
「現実は無慈悲で不条理だ。ところがこの止まった仮想現実はどうか。俺は冷静になって現実と比較してみた。まず仮想現実は死ぬことがない。事故死も病死も餓死もない。そして病死どころか病気もない。天災もゲームが決めた天候を表現するだけで起きることはない。そもそもこのゲームは、どれだけ雨にうたれようが一切フィールドが変化しない。川が氾濫し村を飲み込まないのも同じ理屈だ。ただ今起こっているバグを除いてではあるが、それでもこのバグで死んだ人間はいないはずだ」
しかしバグで現れたノートリアスのせいで、プレイヤーは止まってしまう。その悲劇にアギトは触れない。ここが質疑応答の場なら、ぼくはすかさず手を挙げてそれを指摘していただろう。
だけどこの場は、そんな中断を許す気配はなかった。
みんな真剣にアギトの言葉を聞き入っていたからだ。
「さらに言えば、今の仮想現実の環境は現実と切り離してくれている。皮肉にもそのおかげで、戦争や天災といった大規模な絶望どころか、個人レベルの小さな絶望からも人を救ってくれている。学校や職場のイジメ、ネットの誹謗中傷、親からの虐待などの小さな絶望からだ。ただこの俺が今言った絶望の大小は、あくまで規模の大小であって、その人自身が受けとめる絶望の度合いを指した言葉じゃない。絶望は大小問わず、死ぬほどつらい。他人には分からなくても、自分にとっては最悪な絶望で、人によっては死んだほうがマシだと考えてしまうときがある。そういう小さな絶望が重なり合うことで、自殺未遂者が数えきれないほど多くなり、自殺者が何万人も毎年この国から出るようになる。そして死のうとする人間が何万人もいるのだから、死のうと思う人間が何十万人いてもおかしくはないことは簡単に想像ができる。その絶望は、戦争と何が違う? たいして変わらないはずだ」
気付けば前に席いた男性プレイヤーは「そうだ、その通りだ、現実はクソゲーなんだ」とボヤいていた。
ぼくはそのプレイヤーの声を無視して、アギトの言葉の意味を頭の中で咀嚼しながら演説を聞き続けた。
「そんな死の思想に近づいた人ほど、これから俺が言う言葉を聞いて欲しい。……もう悩まなくていい。絶望もしなくていい。周りにいる人のことを悪者だと疑わって誰にも相談することなくふさぎ込まなくてもいい。ここでは胸を張って、堂々と、前向きに、安心してこのバグだらけの世界で暮らしていい。そしてはっきりと言いたい。生きるのがとてもつらい現実世界で、よく頑張って生きてきたと、一人一人に俺は言ってあげたい」
アギトがそう言うとともに、すすり泣く声が聞こえてきた。それも1か所ではなく、いくつも聞こえてきた。
「そしてこの平和と幸せの創造ために、俺たちのギルド『アルカディア』はプレイヤーのための住居と娯楽の提供を進めていこうと考えている。何度もこうした演説を行うことで、賛同者は着々と増え続けているが、まだ人手が足りない。アイデアも資金も少ないままだ。賛同者は随時募集している。この演説がおわり次第、『アルカディア』のメンバーの誰かに声をかけてみてくれ。気分が乗らなければ明日でも明後日でも構わない。ここを新たなみんなの現実にするため、俺たちに力を貸してくれ!」
アギトはそう言うと、深々と頭を下げた。
その瞬間に、嵐のような音の拍手が集会場に鳴り響いた。
集会場は再びざわざわとし始めた。ギルドのメンバーと思われる人の周りに人だかりができて、そこからは色々な声が飛び交った。感動した、手伝わせてくれ、といった声も聞こえた。
「コウ、どうするの?」
アサノがぼくの顔をのぞく。
「アサノ、ぼくは――」
「コウ、どうだ。改めて聞く。仲間になってくれないか?」
アサノに言い返すまえに、さっきまで檀上にいたアギトがぼくのそばにやってきた。
アギトは手を差し出し、握手を求めていた。
だけどぼくはその手を取らなかった。
「言いたいことはわかった。だけどぼくはアギトたちの仲間にはならない」




