地下迷宮(後編)
「もう現れてるの? どこ? どこ?」
フィオナが口元に手をあて、きょろきょろと周りを見た。
しかしバグ・ノートリアスを見つけられなかったのだろう。目は不安そうに泳いでいた。
そしてぼくも見つけられなかった。
いや、ここにいる誰もが見つけられなかった。
それに姿どころか、相手が動く音すら捉えることができなかった。
「透明状態であっても、足音ぐらいは聞こえてくるものなんですけどね」
ベルクは聞き耳をたて、静かな声で言った。
「アサノは何も見てないんだよな?」
ぼくはアサノをこれ以上怯えさせないように、優しい口調で聞いた。
「見てないわよ。ただ何かがあたった感触だけはあったの」
「何かがあたった?」
「ええ、それが何かはよくわからなかった。けれどその感触に気付いたらHPが削れていたの」
つまり相手は姿を見せず、また音をたてることなくぼくたちを攻撃することができるバグ・ノートリアスということになる。
厄介極まりない相手だ。
「アサノさん、今はどうですか? 攻撃を受け続けてはいませんか?」
ベルクはまるで医者のように、ゆっくりと問いかけた。
「いえ、大丈夫です。端の方にいた時の一撃だけだったので……」
「わかりました。じゃあちょっと見てきますね」
その瞬間、ひゅっと風を切るような音がした。
そしてさっきまでそばにいたベルクが消えた。
いや、ちがう。高速でこの場を去ったのだ。
ベルクの能力は高速で動くこと。しかも人の目では捉えることのできない早いスピードで動く。ベルクからすれば「周りがスローになる」らしいので、思考も同時に高速になっているそうだ。
だけど高速状態から戻ってきたベルクは、首を横に振って肩を落とした。
「とりあえず何かいないか、この部屋を一周して探ってみたんですが、何にもなかったですね」
「じゃあ、敵は……」
ぼくは息をのんだ。そして聞きたくなかった答えを待った。
「こちらから一切認知できない、そういうバグをもった敵なのかもしれません」
「なにそれ? じゃあ倒せないじゃん!」
フィオナは叫んだ。
その叫びにベルクは、
「相手は敵とはいえ、バグですから……」
と言い、一瞬だけ悔しそうに歯噛みした。
ぼくたちはベルクの見せたその一瞬を逃さなかった。
いつもは誰よりも余裕のあるベルクがそんな表情をする。
ぼくの頭の中にはゲームオーバーという単語がふと蘇った。
この段階で地下迷宮から脱出すれば間違いなく助かる。
しかし地下迷宮には入れなくなるので、この世界から二度と脱出することができなくなる。
それはぼくたちだけではなく、何万人のプレイヤーも巻き込むことだ。
そんなのは嫌だった。
しかしその諦めたくない気持ちと同時に、どうしていいかわからない混乱も一緒に渦巻いていた。
ぼくはカッツバルケルとバックラーを構えたまま、立ちすくむ。そうする以外、なかった。
しかししばらくすると、リッカが口を開いた。
「あの……バグ・ノートリアスが必ず部屋の中にいるとは、限らないんじゃないでしょうか?」
自信のない声だった。
「どういうことなんだ?」
ぼくは疲れから、ついぶっきらぼうに聞いてしまった。
しかしリッカは臆することなく、力強い意志を宿した二つの瞳でぼくを見つめ、言った。
「バグ・ノートリアスが中にいるなら、まだ攻撃されているはずだよね? 相手からのターゲットをはずす方法なんて、この部屋から出る以外にないんだから……。だとすれば、バグ・ノートリアスがなんらかの事情で動けなくなってるんじゃないかな?」
そしてリッカは1人、走り出した。
さっきアサノが逃げてきた方向だった。
「リッカ!」
ぼくはリッカを止めようと、叫んだ。
しかしリッカは立ち止まるどころか、杖・エルブダムールを両手で持ち、構えた。
そしてあたりをきょろきょろと見回し、ある一点を見つけると動きを止めた。
一点を見つめるリッカの眼差しは、まるで獲物に狙いを定めた猟師のようだった。
緊張感が、部屋を包み込み、みんな押し黙った。
その瞬間だった。
「そこっ!」
威勢のいい、いつも静かなリッカからは想像のできない声が部屋の中でこだました。
そしてなにもない壁から、打撃を知らせる光が飛び散った。
リッカは構えていた杖をしまうと、すぐさまぼくらの元へと戻ってきた。
「やっぱり私の思った通りだった! バグ・ノートリアスは透明になっている訳じゃないよ! ただ壁の向こう側で動けなくなってるだけだよ」
興奮で息切れをしながらリッカは言う。その顔は達成感に満ち溢れていた。
ぼくはそんなリッカをそっと抱きかかえた。
その時、リッカのHPバーを見ると半分にまで削れていた。
ゾッとした。
「リッカ、ありがとう。でも……ムチャはダメだ! 敵がいるって思ったんだったら、ぼくに言ってくれ。後衛職のリッカがわざわざ危ない橋を渡る必要はないんだよ!」
ぼくは久しぶりに、怒りで声を震わせた。いつ以来かはわからなかった。もとよりこのゲームに閉じ込められて何日経ったのか、それすらわからなくなっていた。
そんな突然の罵声に驚いたリッカは、急にシュンとして体を縮こませた。
「ご、ごめん、コウ君……。でも私、今まで全然役に立ってなかったでしょ? コウ君やアサノさんみたいにバグ・ノートリアスと戦うことはできないから、逃げてばかりだし……。だから、こういうことでもしないと役に立てないなって思ったの」
ぼくは首を横に振った。そんなこと、考えたことはない。
「そんなことはないよ。リッカがいなければ、ぼくたちはみんな、ここまで来れなかった。トラウムのバグ・ノートリアスを倒せたのは、リッカの考えた作戦のおかげだってこと、忘れたのか?」
「あの作戦、そんなに役に立ったの?」
「もちろんだ」
そう、リッカはバグラーではない。でも役に立っていないはずがなかった。
『42』を倒した奇策だけじゃなく、フィオナのはりぼての大剣の正体を見破ったのもリッカだった。
リッカは、自分を過小評価しすぎている。
「で、場所がわかったのなら、どうするの?」
フィオナが不満そうに言う。気がつけば、不満そうではないもののみんながぼくとリッカを見ていた。
ぼくは慌てて、みんなの方を見た。
「ああ、そうだな。バグ・ノートリアスの位置がわかった以上は戦わないといけないな。ただ、ここはぼく1人で行くよ。たぶんすぐ済む」
力が999ある。場所さえわかれば、勝算はある。
その証拠に誰もぼくを引き留めようとはしなかった。
ぼくはバックラーを構えながら、リッカがさっきまでいた場所までゆっくりと歩いた。
そして、この部屋を覆う岩肌のテクスチャーがくっきりと見えるようになったあたりで、ぼくは立ち止まった。
指先程度の小さなエフェクトが、ぼくの体にあたってHPを削っていくのが見えた。
敵は見えない。
だけど確実にいる。
ぼくはカッツバルゲルを振りかざし、壁に突き刺した。
岩肌にあたる硬い感触と同時に、相手にダメージを与える心地よい感触が腕に伝わってくるのがわかった。
敵のHPの残量は見えなかった。
しかしぼくの体に当たる小さなエフェクトは見えなくなった。
敵の姿は結局見えなかった。
だけどぼくは、この戦いの勝利を確信した。
その証拠にフリーズしていた人々は消えた。おそらく通常のシステム通り、教会の復活ポイントに飛ばされたのだろう。
それに勝利の余韻に浸っていたぼくたちのもとに、すぐさまチャットが飛んできた。
相手はトーラスだった。
「おーい、無事か? いまサントゥスがすごいことになっているぞ! さっきまで宙に浮かんでいた建物が全部、ゆっくりと降りてきているんだ。押しつぶされないかどうか不安になるが、この眺めは壮観だっ! もしかして例のノートリアスを倒してくれたのか?」
ぼくは「そうだ」と答えた。




